「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第64話

第64話 製糖業と台湾 2017年9月30日放送

砂糖は高価な品でした。小麦粉が手に入り、高い玉子と、砂糖で、西洋風につくったのがカステラや瓦煎餅。製粉の増田さんは西神戸に進出する前は横浜で砂糖屋さんでした。そこの番頭の湯浅さんが独立し、兵庫運河沿い(東尻池)に1908年に開いたのが「神戸製糖」です。これを三井資本の「台湾製糖」が1911年に買収します。台湾は1895年に日本領土となり、両地域で砂糖の生産・販売が活発になります。1945年の日本の敗戦で台湾の地を失います。わだかんの子どものころ、まだ「台糖」の名前は有名で、砂糖は「台糖」でした。今「三井製糖」の看板が残ります。「台糖」の名前がどこかに欲しいです。


64話 三井製糖(台湾製糖ゆかりの場所)

「長田今昔ものがたり」第63話

第63話 須磨の国鉄沿線、海岸 2017年9月23日放送

須磨の井上さんが子供のころ聞いた須磨のコワイ話。大正から昭和にかけての話をされます。海岸があり、松林があり、住宅街から離れた須磨浦あたりは、鉄道や、入水や、松林の「事故(自殺)」が少なくはなかったようです。しかし、「ちょっと待て 神は愛なり」という防止の札を立て、救命活動をする牧師や婦人団体、加えて、企業人などからなる「方面委員会」という組織も困窮救済にあたりました。妹尾河童さんの「少年H」でも、一の谷で、河童少年が自殺を試みるシーンがあります。幸いこの地域では、戦後から現在に至るまで事故はなく、立て札もありませんが、時に花が供えられています。


63話 2号線、一の谷検問所跡。この辺りに「一寸待て 神は愛なり」の標識柱があった(供養は今も続けられている、写真下)

「長田今昔ものがたり」第62話

第62話 スイーツ支える製粉業 2017年9月16日放送

今回は「粉」の話です。メリケン波止場という名前が残っているように、メリケン粉(小麦粉)は、そのほとんどがアメリカ・カナダから船で輸入されました。増田製粉が梅ヶ香の兵庫運河支流に工場を建設したのが1906年。翌年以降、日米精米製粉や日本製粉や日清製粉まで運河沿いに操業しています。パンは軍隊の携行食としても重宝されました。1945年の敗戦のあと、小麦粉は政府が直接管理し、増田製粉など大手だけが残りました。米国の戦後の小麦粉輸出政策もあって、給食がパンとなり、和食の中にパン食が入り、ケーキ文化も定着し、増田製粉では、良質の小麦が今もサイロで保管されています。


62話 増田製粉のサイロ

「長田今昔ものがたり」第61話

第61話 機械サポート工業が支える 2017年9月9日放送

西神戸の産業史が続きます。下請けとか協力工場と呼ばれたりしますが、明治の殖産興業で始まった鉄鋼や車両、航空機、造船からゴム産業に至るまで、独自技術を発展させた「サポート工業」があっての産業化の推進なのです。ガス溶接から技術をみがいた「ヘンミ」は1914年の創業、ガス溶断の「千代田精機」は1946年にできています。わだかんの子どものころを思いだしますと御蔵のあたりに鋳物の「神戸鋳鉄(1916年)」があり、梅ヶ香発祥の「兵神機械」はポンプの修理で、戦災を受け大橋の方へ工場を移し、いまは播磨町です。先輩・友人がサポート企業で活躍したのを自慢できるのです。


61話 サポート工場の切粉(きりこ)

「長田今昔ものがたり」第60話

第60話(閑話休題) 淡路狸と須磨狐 2017年9月2日放送

井上さんがお住まいの須磨には,おとぎ話や伝承が語りつがれています。海むこうの淡路では狸の話が多いです。「芝居小屋に木戸銭を木の葉で作って入った狸、番犬が置かれて寄れなくなる」のですが、お客さんの入りも激減したので結局、狸をお社におまつりします。須磨では「狐」です。「きつね坂」も地名にあります。三味線のお師匠さん、稽古の帰りに天神下まで降りるのですが、行けども行けども帰れない。たばこを一服すると狐は退散したのか、気が付くと「海岸線で、着物は濡れていた……」とか、狐に化かされてという話が多い。2000年になり、その須磨に、なんと「たぬき坂」ができてびっくり。狸と狐の話題は続きます。


60話 きつね坂(2号線より見る)

「長田今昔ものがたり」第59話

第59話 機械工業も多いです。 2017年8月26日放送

川崎重工の車両ビルの横にある2台の「こだま」は、地域のほこりです。インドの首相が工場に訪れたりもします。潜水艦を造る「三菱重工」には、かつて和田岬から高取山まで山岳トレーニングをしていた、加藤文太郎さん(「孤高の人」新田次郎著)も働いていました。運河沿いにある「富士通テン」はカーナビで有名ですが、今は自動車の自動運転の開発にトライしてくれています。かつて、戦時中は戦闘機まで造っていた地域です。技術基盤は十分で、国産航空機生産への貢献も期待したいです。新幹線・潜水艦・高速艇・航空機・自動車など、機械工業がある町にわれわれは住んでいます。


59話 2台のこだま

「長田今昔ものがたり」第58話

第58話 隠れた偉人、浜田篤三郎(その3) 2017年8月19日放送

須磨にも住んだ濱田篤三郎、同じ須磨の住人の井上さんのお話は、「篤三郎と大蔵経」です。濵田氏は44歳で事業家を引退、まずは仏教に関心を持ちます。仏教聖典を集大成したものは「大蔵経」と言い、インド発祥のものが漢訳されていました。東京の芝増上寺に保管されていた国宝経典を読む機会を得て、あやまりを修正し、「大蔵経」の出版もします(平成の再出版は全巻で100万円もしました)。濵田氏はキリスト教にも関心を持たれたそうです。宗教の関係で残るものは、須磨寺の「経塚」で、明治39年に寄贈されたものが見られます。濵田氏の、事業の儲けを社会に還元してゆく姿は、そこかしこにあります。


58話 須磨寺の経塚

「長田今昔ものがたり」第57話

第57話 マッチ工業のおかげです 2017年8月12日放送

マッチは行程も多く、地道に、こつこつの産業です。低コストですから、当初は女性や年少者の労働で、神戸では1877年、監獄でも行われました。1880年に滝川弁三さんが、いまの兵庫区で始められ「日本のマッチ王」と呼ばれるくらい活躍されます。コスト競争のせいで、1920年、西神戸のマッチは衰退します。でも波及効果は多く、ラベルの印刷技術やマッチでの広告技法が定着し、インドや中国、台湾、南米、北米向けに、輸出業も確立できたと考えます。中村マッチは、まだ浜添通6丁目で健在です。北野町の北野工房2階で、昔なつかしいラベルの「防災マッチ」が販売されています。


57話 防災マッチ(ラベルは東洋マッチ)