「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第72話

第72話 仮住まいと復興住宅 2017年11月25日放送

震災でたくさんの家を無くしました。自宅、預かっていた弟の須磨の家、祖父母の時代からお貸していた住宅、それに店舗。幸い近所の妹の家は健在で、家族はそこに居候しました。社員の中で一番の被災者で、会社は園田寮を提供してくれました。自宅は借金し、1年半後に新築できました。店舗付き住宅は4階建てで2年後に完成、この借金は今年完済できました。依頼され、「民間借上賃貸住宅」を2年半後に完成しました。従前の方が10名入る予定でしたが、時間の経過で6名の入居となりました。自分にこんな大きな借金ができるとは思ってもみませんでした。あと15年間、16戸+1店舗のお守りが残ります。


72話 須磨の家 全壊(1995年1月17日)

「長田今昔ものがたり」第71話

第71話 震災23年目を迎えて(震災シリーズ) 2017年11月18日放送

12月ころから、JR新長田駅前の追悼行事の準備がはじまります。子どもたちに1月17日当日に使ってもらう「ろうそく」を作ってもらいます。今回から10回ほどは、井上さんも含め、阪神淡路大震災の「十分には語られなかったこと」を話します。ワダカンは当時51歳、いま73歳。いまだ復興住宅のローンが88歳まで残っています。物損があったわけですが、家族に死者はなく、会社も赤字部門(我々のカメラ事業)をかかえていましたが、60歳定年まで働けました。震災の3月くらいから、ミニコミ誌発行やFMわぃわぃでボランティア活動に入れてもらったおかげで、「難有り、有り難し」の生活が送れています。


71話 わだかんの寝室(1995年1月17日)

「長田今昔ものがたり」第70話

第70話 須磨の近代文化遺産(閑話休題) 2017年11月11日放送

井上さんが須磨で見つけた「これ! こんなトコにあるの?」という100年前後の文化遺産を紹介します。まずは国鉄(JR)の海岸添いの「防波堤」。石積みであって、「そり」があって、「波返し」まで細工されています。またの自慢は「天神橋」。そう、JR線路をまたぐ「跨線橋」です。昭和2年の設計ですが、すでに複々線を見通し、広く作られていたのです。この橋は昭和8年に「市電」も通る橋になります。離宮道を歩いてもらうと、今でもお金持ちのお屋敷の塀が50mほど残り、また、屋根に趣きがあり、小窓もしゃれていて、下の方には御影石がつかってある……。ともかく、散歩でも、いろんな発見ができます。


70話 須磨の近代文化遺産? 現JR須磨-塩屋間「須磨の浦」波返しの石崖、震災にも被害なく100年ほど路線を守っている

「長田今昔ものがたり」第69話

第69話 紡績業、戦後の流れ(産業編まとめ) 2017年11月4日放送

産業編の締めくくりとして、カネボウの果たした役割と西神戸の地の力についてお話します。カネボウが紡績工場として選んだ土地は、清盛が新しい都を作ろうとした長田南部に近く、江戸時代、吉田新田として農地用に開拓された土地でもあります。文明開化で牛肉を食べるようになり、新しい野菜、たまねぎの価値があがり、玉ねぎ畑になっていました。大きな紡績工場ができ、殖産興業の「時期」に、武藤山治さんという「人」と、よく働く「人々」を得て、水と光がいっぱいの「場所」で、数々の産業が生まれるきっかけとなっています。農業から工業に転換した私たちの地域は、これからも「時・人・場所」を生かします。


69話 神戸百年記念病院(旧鐘紡病院)

「長田今昔ものがたり」第68話

第68話 須磨の別荘と良主、住居の線引き 2017年10月28日放送

須磨の井上さん、神戸ではなじみ深い「ええし」という表現を「良主(えいしゅ)」で説明されます。住友さんとか須磨の別荘に住んだ人々もそうですが、西国街道沿いの旧家(前田さん、頼広さん、貴答さんなど)の方は御屋敷に住み、大正モダンというか、どことなく品があって、お金には執着しない、うらやましい存在でした。武庫離宮があったからかもしれません。一方須磨には、菅原道真の時代から漁師が住み、職人さんもいて、うまく住み分けてもいました。東西に2本の路線があり、地域もわかりやすいです。「良主」と「庶民」との小学校での、いまでいう「いじめ」も限定的でした。


68話 須磨の別荘と良主
(戦災・震災を耐え残る須磨の良主の邸宅。須磨区離宮前町には戦後までお屋敷が5~60邸あったが、現在は2邸のみとなった。)

「長田今昔ものがたり」第67話

第67話 お菓子やレトルトの工夫 2017年10月21日放送

「鶯ボール」は西尻池の「みなとや」のお菓子です。植垣さんです。マーケティングの工夫がすばらしい会社です。この近くの実業家で水垣さんがいます。MCCを創業された方です。レトルトでは超有名企業となっています。お話を聞けば「材木」が縁のようです。西神戸が大発展していた1900年はじめ、マッチ産業だけでなく、材料としての木材が大きな商売でした。水垣さんのご親戚は北海道で森林をもっておられ、「中村マッチ」の中村真次郎の勧めがあり、真野で缶詰ビジネスを始められたようです。ロシア人のモロゾフさんのチョコレート事業を真野で引き継いだ葛野さんも材木商で、バレンタインチョコで有名です。


67話 みなとや(西尻池)

「長田今昔ものがたり」第66話

第66話 マーガリン発祥の製油業 2017年10月14日放送

苅藻島の手前に「ミヨシ油脂」があります。かつての神戸の大商社の鈴木商店の油脂部門を1960年ころに引き継いだ会社です。1910年に東大卒の久保田氏が魚油を使ったマーガリン作りの研究を始め、鈴木商店(兵庫製油所)が市販しました。この地は「硬化油脂工業の発祥地」と言われています。バターが手に入らず「代用品」として「人造バター」が重宝された時代でした。ミヨシ油脂は真野地区の大企業として地域密着の活動をしています。製油業としては、高松橋の近くに「不二製油」もあります。大豆たんぱくの「あぶらあげ」等を作っています。門のそばの鉄製の「窯(かま)」がこの企業の歴史を語っています。


66話 ミヨシ油脂(石鹸も製造)

「長田今昔ものがたり」第65話

第65話 西須磨の職域と店舗(閑話休題 ) 2017年10月7日放送

1920~1930年代の話です。須磨の枕言葉は「風光明媚・白砂青松・気候温暖」といった好印象のものが並びます。その中で、西須磨は南北約2kmで東西が約3km、面積は三角形で約6km²です。この狭い地域の職域と店舗を見てみると、多彩な店・職人・珍しい職種がでてきます。医師がなんと22軒、植木屋12軒、酒屋11件、花屋、旅館、ブリキ屋、そして大工・棟梁、職人さんも大勢いました。勿論「大師もち」も売られていましたが、ロシアベーカリーという「パン屋」さんも人気でした、小銃を修理する鉄砲屋とか、日本刀を研ぐ「刀屋」など、須磨ならではの「たたずまい」でした。


65話 須磨寺前商店街の賑わい


昭和初期の須磨寺前商店街の地図
(クリックしていただくと井上氏作の地図ファイルが開きます)