「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第56話

第56話 ゴム工業の勃興 2017年8月5日放送

1908年、日本イングラムゴム(ダンロップの前身)が、長田区東尻池で「タイヤの会社」を作ります。英国が本社の外国資本系の会社で、機器・器具類も全部英国製でした。「進取の気風みなぎる」ところだったのです。1906年に運河近くに設立された阪東化学や、1919年にマッチ工場跡を活用した三ツ星ベルトも、布製からゴム製のベルト生産へと、切磋琢磨して技術革新を行いました。マッチ生産の勤勉な労働力と、内外を区別しない「人間対応力」が伝統となり今も残っています。1915年にはカワムラ自転車も創業、この地を去ったあとも、車いす技術で先端をいき、西神戸は「ゆりかごの地」となっています。


56話 ゴム工場の現場

「長田今昔ものがたり」第55話

第55話 生活様式が変わりました(閑話休題) 2017年7月29日放送

今昔物語のもう一人の話し手の井上さんは建築家です。このところ、住まいは様変わり、日本式から超洋風化、間取りの呼び名もカタカナになっていると話されます。様式が変われば居住形態も変化、住宅建築も様変わり!です。家を建てるのは誰? 昨今の家は商品、不動産ではなさそうです。便所ひとつをとっても、厠(かわや、こうや)とか、雪隠(せっちん)、雪かくしとか、ご不浄と言っていた時代から、「トイレ」という呼称となり、水洗はおろか、ウォシュレットで乾燥まで引き受けてくれます。リビング、キッチン、クローゼット、エントランスとかで、「大工さん」を追いだしたかもしれません。


55話 昔の便所(一例)

「長田今昔ものがたり」第54話

第54話 戦争も災害もありました 2017年7月22日放送

今昔物語の話し手のワダカンは、子ども時代、焼夷弾で焼け焦げた跡のある天井をみつめて、眠りについていました。日本では長く平和が続いていますが、西神戸の産業勃興のキッカケとなった、カネボウの工場用地決定の1894年は、日清戦争の年でもあります。1895年には台湾を日本の領土とし、1904年の日露戦争も勝利し、満州に足がかりをつけ、1910年には韓国を併合、アジアでは唯一、欧米列強と肩をならべる国力をつけてゆきます。この間、西神戸では、船舶や戦闘機や軍需用品も生産します。1945年の神戸大空襲、1995年の大震災など、産業振興の舞台には、戦争・災害もあったのです。


54話 川西航空機(本社は運河沿いにあった)「紫電改」 画・清水光久氏

「長田今昔ものがたり」第53話

第53話 一の谷不動尊 潮音寺、独立した磨崖仏 2017年7月15日放送

須磨一の谷に「磨崖仏」がある。1341年の作品です。南北朝時代の不動明王で、須磨の潮音寺に祀られている。藤田男爵が天理から須磨の別荘に移されたもので、その他、石仏群があり、天平年間の「板碑(いたび)」は天正年間の改ざんという説もあるが、一岩石に磨崖仏の六地蔵が施され残っている。昭和13年の水害で磨崖仏と石仏群ともに一の谷下流に押し流され、「流転不動」ともよばれ、水害にもめげず、奈良の地から神戸の地にやってきた須磨の貴重な文化財である。須磨駅から西へ徒歩10分です。石仏と花のお寺「潮音寺」は須磨寺の末寺、花の季節にぜひ訪れてお参りください。


53話 潮音寺 一の谷不動尊 磨崖仏不動明王

「長田今昔ものがたり」第52話

第52話 いろんな企業が生まれます 2017年7月8日放送

1910年は日韓併合という、記憶に残る年でしたが、中村マッチがマッチ生産を始めています。1912年には、阪神ゴムが東尻池でゴムをはじめ、世界的な商社で名をはせた鈴木商店は、兵庫製油所(ミヨシ油脂が継承)や日本樟脳(東尻池)を創業させています。1920年に入りますと、運河沿いで「川西航空機」が創業、今の新明和の母体でした。1929年には高校の先輩のお父さんが船舶用のポンプを製造するとか、1930年にはわたしの友人のお父さんがナットの製造を始めるとか、すそ野産業も誕生します。帝国酸素というフランス系の会社の進出、鶯ボールやMCC、モロゾフなど話題がわんさかあります。


52話 湊川変電所(1912年建築)長田区南駒栄町

「長田今昔ものがたり」第51話

第51話 産業ラッシュの1900年代 2017年7月1日放送

東尻池は1896年に神戸市と合併、市政の中に入ります。その西の西尻池や野田は自立して独自色を出そうとしていました。1899年に兵庫運河が完成、1900年に入ると耕地は整理され、道路も改修されます。鐘紡につづき、運河近辺には川崎の車両工場ができ、1907年には、増田製粉も横浜からやってきたり、阪東化学がベルトの生産にトライしたりします。1908年には神戸製糖もできます。日本イングラムがやってきて、ゴム工業も始まります。和田岬の引込線からは、第1号の蒸気機関車が製造され出てゆきます。よその人をオープンに受け入れます。よく働く気風と産業の振興とが回転しだすのです。


51話 兵庫運河支流

「長田今昔ものがたり」第50話

第50話 ベルトコンベアと神戸沖埋め立て 2017年6月24日放送

裏山を削り、土で埋め立て、海に新しい土地をつくる、工学博士の原口市長のアイデアでした。昭和39年から平成17年まで41年間、一の谷川に全長14.5kmのベルトコンベアを敷設、海岸まで土を運び、そこから船で土を運搬しました。削った土地は高倉台などのニュータウンへ、海には、六甲アイランド、ポートアイランド2期や神戸空港など、1700haの土地が生み出されました。長田区の約1.5倍の広さになります。「山、海へ行く」というこの構想は、今でも、ベルトコンベアが被災地で役にたっています。陸前高田では神戸の知恵を使い、土地に盛り土を造成するため、コンベアをつなぎ土を運んでいます。


50話 コンベア撤去跡地、一の谷の海岸砂浜に石標がある

「長田今昔ものがたり」第49話

第49話 事業の払い下げ 2017年6月17日放送

川崎正蔵さんが1881年に兵庫造船所を政府から払い下げを受けたところから、神戸の川崎重工はスタートしています。加賀藩が小蒸気船をつくっていたのですが、武士の経営がうまくゆかず、民間に払い下げたのです。西の神戸では、1897年に岩崎弥太郎さんが和田岬や今出在家の官有地の払い下げをうけ、三菱の神戸造船所を作っています。造船といった重工業分野では、技術的に遅れをとっていた日本では、「払い下げ」という手段が有効でした。ワダカンがフランスで事務機器の工場をつくったとき、ボージュ県(仏)は道路を新設することで私企業をサポートしてくれました。ときには行政の支援も必要です。


49話 神戸港に停泊中の「こうべエキスプレス」