「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第48話

第48話 皇女和宮像を辿って 2017年6月10日放送

第14代将軍徳川家茂にお嫁入りした和宮内親王の「銅像」のお話です。なんとこの「銅像」5体つくられた内、3体が神戸にあると言われています。明治天皇のおばさんにあたる皇女和宮です。昭和になり時代が落ち着いたころ、「やまとなでしこ」の模範として、元兵庫県会議員の中村直吉さん(兵庫で米穀商)が、東京に2体を、墓所の増上寺と日本女性学習財団に寄進します。地元神戸の女学校にも3体寄進されたのです。戦時中の金属供出の賛否論もありましたが対象にはなりませんでした。神戸にある1体は、持ち主が像を溶かし,銅を処分しようとしたが、腹痛になり溶かすのをやめ、その後丁重に扱い、かたくなに公開もしない話も残っています。


48話 皇女和宮さまの銅像

「長田今昔ものがたり」第47話

第47話 学校教育 2017年6月3日放送

産業化が西神戸で急速に進んだお話をしています。1868年には、兵庫の豪商が「明親館」を建てています。東尻池でも1871年に宝満寺で寺子屋がはじまっています。読書・算術・謡などを教わっていました。長田区で一番古い学校は真陽小学校で、今年で開校130周年、真野小学校も100年の歴史です。1873年くらいの他校の科目をみますと、万国の地理や歴史、算数、習字、作文、問答、体操などがありました。いまも、長田中学の生徒さんに住民がパソコンを習い、お返しに、郷土の話をしています。いくつになっても勉強は大事ですね。


第47話 わだかんの祖父の修業証書

「長田今昔ものがたり」第46話

第46話 産業インフラの整備 2017年5月27日放送

東尻池交差点に立ってみると、川崎が新幹線を作っていたり、増田製粉のサイロが見えたり、三井製糖やミヨシ油脂や三ツ星ベルトの広告塔が見えたりします。1894年にカネボウが西神戸に進出してくる前に、1876年には東尻池から柳原までの道路が整備され、1888年には兵庫から明石まで山陽鉄道が開通、1890年には和田岬線も一般に開放されます。産業用地の確保のため、双子池や真野池(尻池)が埋め立てられ、念仏山古墳も工場用地となってゆきます。しかし、この土地活用の時期でも、「気持ち・心」をこめて、「地」に感謝して先輩たちは産業化を進めるのです。「心地」よい精神でした。


46話 和田岬線

「長田今昔ものがたり」第45話

第45話 長田・須磨の気象(閑話休題) 2017年5月20日放送

「しょぼしょぼ権現・降る長田・生田祭は降らんことなし・楠公さんのカンカン祭、と今も言い習わされている」と、須磨在住の井上さんは説明されます。いまでも「雨男」とか「雨女」と表現します。駒ヶ林の石油基地、ライジングサンと言っていた時代ですが、石油タンカー(油船)が入港すると必ず雨が降ったそうです。昔は漁師さんが天候はよく知っていました。小学校の遠足の前、明日の天気を聞くと「アーア、くもりやけど、雨は降らん」と教えてくれました。最近の須磨海岸の水位も気になります。海面や河川の上昇を心配して、気象台に聞いてみた、お話も加わっています。


45話 昔と変わらず自然が残っている、一の谷川の河口付近
晴天が続くと川の先端は海面まで届かず、砂浜に吸い込まれている。

「長田今昔ものがたり」第44話

第44話 北風家の貢献 2017年5月13日放送

開港150年です。明治維新前後のむつかしい時期を、兵庫津で懸命努力した北風荘右衛門にも触れておきましょう。この人の「よすが」は今、能福寺の境内に「顕彰碑」が残るだけです。「風果てぬ」という小説がありますが、カネボウが用地を取得した1894年に、荘右衛門は、北風家の財産一切を正直に整理し東京に転居します。幕府を救うため寄付、姫路城を救うため寄付、湊川神社や神戸駅のためには土地を寄贈しています。お茶の事業を始めたり、私立学校「明親館」を設立したりもします。神戸駅に「銅像」があっても良い人物のお話です。


44話 兵庫運河・兵庫港から神戸港方面(兵庫区役所提供)

「長田今昔ものがたり」第43話

第43話 隠れた偉人、濱田篤三郎 その2 2017年5月6日放送

井上さんは須磨の偉人、濱田氏についてはまだ逸話をお持ちです。33話で話されたように、元町を拠点に外国人向けの古美術品の販売や雑貨の輸出をしていた濱田氏は、1900年に、パリ万博で日本人画伯の大橋翠石(すいせき)の出品を応援し、神戸の有名人15名で後援会も組織しました。出品された虎の絵は横山大観などと肩をならべ、優勝金牌を得て、その後の絵画活動にはずみがついたようです。写真の「千里一走」には大橋翠石の「虎画」のエピソードが記されています。翠石は後年、須磨に住居を移し、絵画活動を大胆に進め、独自の「須磨様式」を完成させました。


第43話 美術保護に鑑識眼があった濱田篤三郎
「美術ノ保護ニ在リ、翠石ノ片影ヲ傳(つた)ウ、真髄這裏(しゃり)二在リ」

「長田今昔ものがたり」第42話

第42話 カネボウの選択で飛躍 2017年4月29日放送

産業化が進むなか、カネボウが、吉田新田のあった土地を工場適地として選びました。決定的だったのは「地下水の豊富さ」です。1894年は「一躍進の年」と位置づけています。運輸(物流)の便利さ、京阪神の消費地に近いのもその理由です。ほかにも、先行したマッチ産業のよく働く人が居たことも幸いしました。おかげで、工業用地として土地は売れ、事業家となった富裕層は、持ち前の「自律の精神」で銀行業や鉄道業に投資してゆきます。和田岬線や兵庫運河や苅藻島など、すべて民間パワーが先行した町なのです。


42話  カネボウが選んだ土地、ヴィッセルが今活躍

「長田今昔ものがたり」第41話

第41話 西神戸の産業化のはじまり 2017年4月22日放送

江戸時代の農業・漁業主体から野菜売りなども現れ、産業化の時代にお話しは入ってゆきます。今年は神戸(兵庫)開港150年。兵庫区の東出町に川崎兵庫造船所ができ、あとでお話する、カネボウが1894年に東尻池の地を工場用地として選択したことで、産業化が進みました。わが地域は大化の改新以前の条里制があって、清盛が都の計画を持ったり、秀吉も直轄領にしたり、江戸時代には、天領や尼崎藩の管轄があったりもしました。その頃から、兵庫・長田南部の真っ平らで、ふくよかな土地は、人がよく働くといったこともあって、産業に適していたのです。


41話 石川晴久氏 画 「赤い煙突」兵庫駅近辺の工場(知人所有)