「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第104話

第104話 七夕や地蔵盆でにぎわう夏 2018年7月7日放送

関西というか、神戸の方の年中行事では、「月遅れ」という数え方があります。お盆などは8月15日ですね、おひなさんなら4月3日までに飾りを片付けるといった、融通を利かせる工夫があります。ワダカンの子ども時代、「七夕さん」は月遅れの8月7日でした。今は7月いっぱいが神戸の「七夕まつり」になっています。真野地区の、三ツ星ベルトが力をいれている七夕まつりは楽しいですね。地蔵盆は8月23日、長田近辺の子どもたちにとっては1カ月分のお菓子を1晩で集められる行事です。室町時代から始まったようで、最初はお酒を飲む大人の行事だったのが、子ども向けに進化したようです。


104話 真野地区の七夕まつり

「長田今昔ものがたり」第103話

103話 梅と桜、あやめと菊 2018年6月30日放送

長田区は、花は「サルビア」、木は「ハナミズキ」ですが、須磨区の花は「コスモス」で、木は「松」です。須磨にちなんだ花は多く、綱敷天神さんにちなんだ「梅」は、平安時代からの人気です。大池の北側には桜の古木があります。明治の「廃仏毀釈」で荒廃した須磨寺でしたが、その当時入山したお坊さんが山内に桜を植え続け、須磨寺を桜の一大名所としました。桜の剪定も今や様変わり、大きな枝を切り,進化した薬剤を塗り付けます。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」は死語になりそうです。「須磨の前田のカキツバタ」で代表される「あやめ」も、須磨の大池の「菊」も「花自慢のタネ」です。


103話 須磨寺・大池の桜より三重塔を望む


須磨の風物詩、前田のあやめ
大正時代、前田氏の屋敷跡へ須磨警察署が建てられた際に埋め立てられたが、現在は、菅の井広場として再興され、あやめが植えられている。

「長田今昔ものがたり」第102話

第102話 「社会を明るくする運動」と保護司 2018年6月23日放送

7月は「社会を明るくする運動」月間です。長田には保護司の方が60名ほどいて、更生を手助けし、犯罪のない社会を目指します。2年が任期ですが、長く務める人も多くいます。年4回ほどの研修や、刑務所の視察もあります。主に、出所する人の「出所後の引き受け環境の調整」と、「刑期満了までの期間の保護観察」という役目があります。夏休みに入る7月には、各地で、住民や学校の先生、警察や役所の方などに保護司も加わって、青少年の非行防止など話し合う機会があります。街角には「ふれあいと対話が築く明るい社会」という黄色い旗がたなびいています。


102話 社会を明るくする運動(東尻池交差点)

「長田今昔ものがたり」第101話

第101話 絵干し会と入会地 2018年6月16日放送

長田には、江戸時代からの風習がいまなお残っています。「四ヶ村(しかそん)」とは、長田村、池田村、東尻池村、西尻池村の4つの村のことです。水源地や樹々草木の確保のために、この4つの村で「入会地(いりあいち)」を持っているのです。高取山に近い「中一里山(なかいちりやま)」に共用の土地があって、年に一度、入会地の絵図を取り出し、代表8人くらいで、現場確認をしています。絵図を確認するので「絵干し会(えぼしかい)」という粋なニックネームがついています。水源としてのため池が多かった時代、柴をかったり、薪を取ったり、下草を肥料にした時代の風習など、昔を偲ぶ話も出て、今も続いています。


101話 入会地を確認する代表さん

「長田今昔ものがたり」第100話

第100話 須磨の四方山(よもやま)話(閑話休題) 2018年6月9日放送

井上さんはタイムスリップし、大正14年、1925年の乗り物調査の話をされます。自動車502台、自転車5,932台、電車228台のほかに、人力車、荷車、牛・馬車もでてきます。西須磨にも大きな牧場がありました。50頭の乳牛が須磨寺近くで飼われていたこともありました。「牛乳飲むか?」と言われ、飲んでみました。80年前のことです。「奇妙な味」と思いました。「大人になるとツノがはえるでー」とおどかされもしました。当時の「下町の物売りの呼び声」にも情緒がありました。「おばけ(クジラの尾の身)のぉー刺身」、「こうもり傘のぉーしゅうぜん!」なつかしく、耳に残っています。


100話 市電が走っていた頃の国道2号線

「長田今昔ものがたり」第99話

99話 鎮守の森の夏まつり 2018年6月2日放送

東尻池の言い伝えで、6月8日近辺に「夏の大祭」をやることになっています。ワダカンはここ10年ほど、「射場八幡神社ほか4社」の夏の儀式を手伝っています。江戸時代、村にはそれぞれの氏神さんが6~7社あったのですが、戦後は1ヶ所に集め、30名ほどの住民の参加で「おまつり」を行っています。農業が主体だった東尻池ですから、丁度「田植え」の時期、豊作を願い、夏を乗り切る健康も祈ったのでしょう。この神社には土の地面が残っています。こどもの居場所でもあり、大きくなったら「榊(さかき)」を供える立場になることもあるでしょうから、その勉強の場として、子どもたちにも声をかけて参加してもらっています。


99話 射場八幡神社の夏祭り