なぜFMわぃわぃは東北やインドネシアで活動するのか?


FMわぃわぃが東北で活動を初めて二年三ヶ月、インドネシアで「定住型」の活動を始めて、七ヶ月が経った。FMわぃわぃは俗に言うところの災害支援NGOや国際協力NGOではない。コミュニティラジオを一つの道具にして、阪神淡路大震災からまちづくりをしてきた団体である。

FMわぃわぃのある神戸の長田は、1995年1月の阪神淡路大震災でとくに大きな被害にあった地域である。昔ながらの下町で古い住宅が密集して、地震とその直後の火事で、まちが空襲の後のようになってしまった。

「ホースから水が出んかった。水さえ出たら、、、」
「ノコギリが一本でもあったら、、、」
「隣りの婆ちゃんが、どの部屋に寝てるのか、知っとったら、、、」


町の人達が悔しそうに話すこうした言葉を、何十回となく(もしかしたら百回以上も)聞いてきた。その言葉に先には、助けられなかった大切な命があった。その悔しさが、この18年間のまちづくりの原動力となったことは間違いない。そして、国の内外を問わず災害にあった地域の人達のことを思い、神戸の人達が(たまにはおせっかいと言われながらも)被災地に人達と関わりをもってきたのも、その「悔しさ」と、それをバネに取り組んだまちづくりの豊かさを実感しているからだ。

その気持ちは震災体験者だけが有していものではない。「悔しさ」に思いを重ねてきた人達、地震を知らない若者達、外国から移り住んで来た人達。たくさんの同じ気持ちを持っている人達が神戸にはいる。FMわぃわぃは、そうした町から東北へ、そして国境を越えてインドネシアへ、出かけていっている。

初めて、「国際協力」と言われる活動を大きな資金をともなってインドネシアで行うようになって、「援助」という言葉とどう向き合えばいいのか、最初は少しとまどいもなかった訳ではない。

阪神淡路大震災の被災地も、東北の被災地も、メラピ火山の被災地も、そこには災害にあって大変な困難を抱えた人達がいた。でも、被災地の人達は、決して可哀想な人達ではない。
そして「助ける人」「助けられる人」という関係もそんなに長く続くものではない。よく考えれば、あたり前のことである。その地の人達は、地域のことは他の誰よりもよく知っているし、20代、30代のボランティアやNGOのスタッフよりも人生経験が豊かな人達だらけだ。

しかし、解消されない、災害によって最大化された困難が、そこには存在する。その困難に直面した人達に神戸が培った知識や経験を伝えることはとても大切なことであるが、それだけで困難が解決されるはずもない。

私達が被災地にでかけていってできることは、一緒に悩み、考え、そして夢を語り、そこから見えてきたことを、出来得る限りにおいてともに進めていく仲間であり続けることではないかと思う。一歩進んでは半歩戻る、の繰り返しかもしれない。そうした苦しい道のりを、一緒に歩いてくれる存在がいたら人は頑張れるはずだから。

FMわぃわぃの18年間も、そういう仲間がたくさんいた。インドネシアに来て、仲間の一人を思い出すことがある。FMわぃわぃの創成期にテレビでその活動を知って連絡をくれ、その後、何度も鷹取に足を運んで、いろいろなことを教えてくれた、アップルコンピュータでスティーブ・ジョブスの右腕だったHさんである。

「なんでわざわざアメリカから?」
「なんでこんなに何回も何回も?」
「とっても忙しい人のはずなのになんで?」

阪神淡路大震災の何周年かの日に、わざわざアメリカのサンノゼから会いに来てくれたHさんに、FMわぃわぃの金千秋が尋ねた言葉である。

Hさんは、沖縄人の両親がカリフォルニアに留学している時にアメリカで生まれ、その後、カルフォルニアと沖縄を行ったり来たりの子ども時代を過ごした。沖縄、アメリカ、そして日本の三つの文化の中で育ち、多文化に生きることの豊かさと大変さを、実感していたから、震災から一年余りのよちよち歩きのFMわぃわぃに連絡をくれたのだ。

こちらは、最初は恐縮の連続だった。金千秋ではないが、「なんでだろう?」「なんでだろう?」と不思議に思っていた。あるときは一人で神戸に来てくれ、あるときは部下を連れてきてくれ、そして家族を連れてきてくれたこともあった。そうした出会いを重ねていくたびに、「教える人」と「教わる人」という関係から、いつしか一緒に活動をつくっていく仲間に変わっていった。

Hさんは支援に来たのではなく、仲間に会いに来てくれていたのだ。

地域も文化も違うけれど、縁あって繋がった人達と一緒に社会を変えていきたと思う気持ちは、私達FMわぃわぃのみんなも持っている気持ちだ。FMわぃわぃはHさんのようには世界レベルの知識や経験があるわけではないが、東北やインドネシアでの活動は、同じく仲間づくりの活動だ。

FMわぃわぃで月曜日の昼の番組を担当しているスタッフが、この6月から兵庫県香美町に移り住み、まちづくりを始めた。彼女からFMわぃわぃに届いたメールにはこう書かれていた。

「大切なのは自分たちが暮らす地域だけが『豊か』に(経済と言う意味だけでなく)なることじゃなくて、他の地域にも同じように思いを馳せて、思いやりを持ってその上でまちづくりやむらづくりを考えることかな」

自分の地域も大切に、そして仲間が暮らす地域も大切にしたい。その気持ちをいつも大切にして、FMわぃわぃは長田で東北でインドネシアで活動をしている。

(FMわぃわぃ代表 日比野純一)