奄美専門チャンネル【奄美にとって明治150年を問う】シリーズ第2回


2018年8月の放送についてをお知らせします。今年7月から〈奄美にとって明治150年を問う〉シリーズを放送しています。2回目のゲストは、ウタシャの米川宗夫さん(徳之島町亀津出身)と向井登美江さん(同町花徳出身)です。テーマは、「シマウタでたどる明治150年」です。

♪~番組の中で歌われた曲は
1.犬田布節
2.俊良主節
3.ぎーくん坊(取ん金ぐゎ)
4.黒だんど節
5.徳之島一切い節
6.ワイド節

1.犬田布節/奄美にとっていつから明治(=近代)の始まりとするのかを問う時、幕末のいわゆる「黒糖地獄」(薩摩藩による奄美群島に対する第二次砂糖総買入れ制度の施行)から説き起こした方が、説得力がありそうです。この歌には、徳之島の犬田布集落(伊仙町)で起った百姓騒動(犬田布騒動・1864年)について歌われたもので、「かしゅて気張たんち 誰が為(たむぃ)どぅなりゅる 大和いちゆぎりゃんきゃぬ 為(たむぃ)どうなりゅる 仕方やねんど ねんど(こんなに苦労して働いたとて 誰が為になるというのだ 大和の役人の ためにしかならない 仕方がないのだ)」との歌詞が込められている。

2.俊良主節/明治に入って、奄美群島を統治する主体は薩摩藩から鹿児島県に名称が代わり、すこしずつ近代日本の諸制度が適用されるようになりました。そのひとつとして帝国議会の議員を群島から選出することになりました。明治23年のことです。この歌にうたわれてたいる基俊良は奄美選出の第1回帝国議会の議員。こうした名誉栄達を獲得した人に対して、周りにいるシマンチュはうわさ話を含めてさまざまな視線を向けます。こうしたまなざしがひとつの曲となり歌い継がれているのです。この曲は奄美大島の歌。

3.ぎーくん坊(取ん金ぐゎ)/徳之島・亀津の港で起きた船の難破に絡む歌。島で起った事件や争乱はこうしてシマウタに歌われることで、記憶が継承されていくのです。〈シマウタは民族の記憶装置である〉とは私・大橋愛由等が主張しているテーゼです。この歌は徳之島の他の地域では「取(とった)ん金ぐゎ」であり、今回はその歌の節にあわせてこの「ぎーくん坊」が歌われています。

4.黒だんど節/奄美大島でさかんに歌われているが、徳之島でも独自の歌詞が多く伝承されています。この「黒だんど節」は大島も徳之島も時節柄の話題を歌い込める曲としてシマンチュは認識しているようです。ここでは、砂糖作りの一環としてのキビを絞る動力として水車が導入され、それを見ていて感嘆する様子が歌い込められています。この水車を使った搾り器は、いつのまにか使われなくなったそうです。それは▼もともと徳之島の川は水車を回すほどの豊かな水量がない▼黍を水車のあるところまで搬出する必要がありそうした移動行為が隘路になった——などが考えられるといいます。

5.徳之島一切い節/この歌こそ明治以降に生まれた徳之島の徳之島らしい歌だといえます。「一切い節」とは「ちゅっきゃいぶし」と呼ぶことが多い。短い節を重ねて歌い回すもので、歌そのものに勢いがある。この歌が生まれたのは、日露戦争のころで、徴兵を忌避したい内容も含まれているから、明治37年ごろと思われる。神戸市長田区で2008年に始まった「徳之島一切節大会」はいまも形を変えて存続している。今回歌うのは、奄美出身者が神戸に来てこの都市で定着する歌詞が選ばれている。歌詞は米川宗夫さんが作ったもの。

6.ワイド節/徳之島の闘牛大会でこの歌なくしては成立しえないほど島に定着している。ところが、この歌は作詞坪山豊さん、作曲・中村民郎さんという奄美大島コンビなのである。勢いのある曲なので「イトゥ(仕事歌)」「一切朝花節」「豊年節」とともに若いウタシャの野外コンサートでも引っ張りだこの曲である。