2月の「南の風~奄美編」 奄美ふゆ旅


今年も〈奄美ふゆ旅〉に行ってきました(1996年から始めて今回で連続23回目)。今回は、同行者が三人。小説家・高木敏克氏、哲学者・北岡武司氏。そして俳人・亘余世夫氏です。みなさん「団塊の世代」。元気の塊のようなひとたちです。

旅も「団塊ツアー」と呼びたくなるような内容でした。ナビゲートするわたしがたじたじとなる場面も。さて、今回の番組は、沖永良部島・徳之島・奄美大島をめぐった旅の報告や感想をもとに構成しました。


徳之島・亀津での語り合い。徳之島の人たちは熱く、かつ繊細な感情の持ち主が多い

語り/01

まず語り始めは、変わりつつある奄美・シマウタと、詩の世界についてです。奄美に毎年通いつめていると、島で会う人がすこしずつ変わっていくものです。その変遷をシマウタと詩の世界に限って語りました。まずシマウタの世界。去年、築地俊造さんがおなくなりになられて、その存在の大きさをあらためて知ることになります。さらに追い討ちをかけるように、坪山豊さんも療養されているとのこと。このお二人のシマウタを聴くことができないなんて、これほど大きなショックはありません。

また詩の世界では、藤井令一さんが去年亡くなったこともいまだ心の整理ができていない状態です。奄美大島には仲川文子さんというすばらしい詩人がいらっしゃるので、まだ安心ですが、隆盛をきわめた奄美の詩の世界も、一時に比べて寂しくなりました。

ただ、シマウタも詩の世界も、いずれ、次世代のウタシャ、表現者が活躍することになるでしょうから、それまですこし待っていましょう(シマウタの世界では、若手・中堅は活躍しています)。


語り/02

奄美の詩の世界は豊穣です。

番組の中で朗読した藤井令一さんの詩「二月」の全文を紹介しておきましょう。奄美の二月は北風(ニシ)が吹き続ける季節です。そうした季節を、詩人の感性でみごとに表現したのが、今回紹介する作品です。

こんな濃密な詩世界が奄美で展開されているのですね。


二月

藤井令一

二月に就いて語るな
とフウニシ親父(おやじ)は荒れ狂う
島は海から逃げる
海はフウニシになって追っかける
飛び入りひっくり返り潜り込んでも
左右四方八方東西南北上下すべて皆
島の影は海 海の影は島 涯なき愛憎

足りない日数を呪うな
とフウニシ親父は荒れ狂う

たとえば愛で繁殖する生物がいたとて
正月の飲み疲れをいやすにも
金を素朴にがめつく儲けようにも
恋や離島文化に透明に孵化しようにも
或は一かけらのウラニュウムとなり
原住民意識の甘い憂うつを超(こ)えようにも
舌たらずの日数では
フウニシ親父に蹴とばされるだけ
だからと云って
どんなに島が悶えても
フウニシ親父にやかなうまい
俺が来るのを待っているくせに
とフウニシ親父は荒れ狂う

赤土だらけの嬉し涙におぼれながら
島は阿旦(アダン)の緯度を逃げまわる
魔術も呪術も使えぬくせに
恋しいませに切ないくせに
逃げたつもりで抱き締められる

島に触れる手を出すな
とフウニシ親父は荒れ狂う

(「フウニシ」について著者は以下のように解説している。「真冬に北風が海から激しく吹きすさぶさまを云う。島の時空におおいかぶさっている何かの、大きな身もだえを感じさせる」)引用はすべて藤井令一詩集『シルエットの島』(思潮社、1976)


奄美大島・奄美市での語り合い。地元の新聞記者を初めとして、この島でも熱く語り合った

語り/03

今年の「南の風」をつらぬくテーマのひとつは、「明治維新からの150年を考える」です。もちろん「南の風」では、奄美にとっての150年を考えることが中心となります。

このテーマを考えるのに、ちょうどいい企画記事があります。南海日日新聞の1月1日付けに「維新150年と奄美」というテーマで、歴史・民俗研究家である先田光演さんがインタビューに答える形で語っています。

その記事を読んでいて感じることは、奄美にとって維新になったからといって、決定的な変化はなく、いわば「なしくずしの維新」であっただろうということです。もちろん、本土各地においても維新になってなにもかも突然変化したわけではないだろうから、この「なしくずしの維新」という表現は、すべての地域に該当するのかもしれません。

維新になってとりたてて変化がなかった理由のひとつに、奄美群島の支配者が薩摩藩から鹿児島県に名称は変ったものの、支配のあり方そのものは変化しなかったことが挙げられます。また徴税システムついては、当時の奄美の主だった納税品目である砂糖について、鹿児島県が薩摩藩から引きついで専売品目として扱っていました。つまりシマンチュにとって、いままで通り砂糖を納税していたわけです。

もちろん丸田南里などが率先した勝手売買(鹿児島県が作った官製の砂糖取引商社を介することなく大阪の業者などと直接取引する)の動きもあったのですが、鹿児島県側の横やりが入ることになります。

ただ維新の変化はようやく明治6.7年ごろに現れます。中央集権化をすすめる明治政府が利益となる砂糖納税を鹿児島県が独占しないよう調査団を送っています。その調査に刺激されて鹿児島県は明治8年3月にようやく代官所に関する布告を出して、藩政時代の終りを島民に告げるようになるのです。

奄美にとって、維新(世替わり)は、砂糖の勝手売買、三方法運動、独立経済とつづく明治中期以降の変動こそが、島民と群島経済にとって、決定的な変化をもたらすことになるのです。