2017年2月から登場の韓国語番組!즐거운 잔소리 시간



2017년2월4일 첫토요일 저녁6시30분부터 7시까지
30분프로그램 「즐거운 잔소리 시간」‘이 시작됩니다!
이프로그램 담당하는 사람은 厳美鈴씨와 瀧澤秀樹씨입니다。
2017年2月4日第一土曜日夕方の6時半から7時までの30分間は「チュルゴウン チャンソリ シガン(楽しいおしゃべりの時間)」です。
この番組を担当するのは、厳美鈴さんと瀧澤秀樹さん。
在日コリアンにむけての韓国語番組とは少し違って、新しく韓国から日本に移住してきた新しい韓国人の人々むけの番組です。
楽しい韓国語のおしゃべりと似ていて違う韓国と日本について語ります。

***************ソウル女子大の日語日文学科の学生に番組を聴いてもらって日本語に訳してもらいました。パーソナリティの二人とは年代も時代も違う若い世代なのでかなり苦労したようです。

こんにちは~ ヒデキとミリョンの「チュルゴウン・チャンソリシガン」です!
今日は初放送ですが、韓国からいらっしゃった方々のためにこの放送を作りました。韓国からいらっしゃったかただと言うと1970年代、1980年代、そして、その以降にいらっしゃった方々、ニューカーマと言いますが、私もニューカーマですよ。韓国の放送を聞けば嬉しいなと思ってこう言う時間を作ればニューカーマ方達にも喜んでもらえるかなと思いこの放送を作りました。この放送はヒデキ先生と私ミリョンが担当しています。
私は2012年から2015年までヨボセヨと言うプログラムを担当しました。FMわぃわぃがラジオ放送からインターネット放送に変わりましたね。それで今回「チュルゴウンチャンソリシガン」を担当することになりました。

それではこの放送を一緒にしていただくヒデキ先生、自己紹介お願いします。
オム:先生、こんにちは!
瀧澤:、こんにちは!瀧澤秀樹と言う日本野郎です。
オム:日本野郎ですか?www(笑い)
瀧澤:私はこの放送局があるこの街で長く住んでいました。そして日本人なのに韓国語を少し学んで現代韓国社会を研究しました。
オム:そして先生、本もたくさん著しましたよね?何冊書きました?
瀧澤:本は15冊書きました。
オム:15冊ですか?ワァ!本当に多いですね!私は1冊も書けなかったのに…とても羨ましいですね。その中にも特に先生が自慢としている本がありますか?
瀧澤:全部自慢の本ですけど…ソウルチャンガという本がありまして、1984年に韓国で1年間生活しながら感じたことを書きました。韓国的な内容というより韓国人に出会って初めて感じたことを書きました。
オム:あ、そうですか!私も読みたいです!先生が書いた本の中で「中国チョソン族の旅」という本があるじゃないですか。
瀧澤:はい、あります。
オム:その本私も読みました。よくおかけになりましたよね!旅行しながら書いたじゃないですか?今先生がその話を言いまして私もその本をよんで深い感銘をもらったことが思い出しました。この先、このプログラムがどんなプログラムになればいいと思いますか?
瀧澤:私が韓国に興味を持って一番気に入ったのは韓国の歌です。近代の歌ですね。言わば歌の紀行のようなものです。「歌を思い描きながら韓国と日本の近代歴史を考えてみよう」というのが頭の中にあります。
オム:先生の考えのようにいい番組になるようにして見ましょう!
はい、ありがとうございます。

♪jingle

オム:それでは先生、「チュルゴウンジャンソリシガン」を私と2人で担当することになりましたが、「ジャンソリ」のようなものは韓国では沢山するじゃないですか。ところでこの番組で「ジャンソリ」と言うからどんな小言をしようとプログラムの名前まで「ジャンソリ」としたのだろうと思うかたもいらっしゃると思います。先生はジャンソリについてどう思っていますか?
瀧澤:今私たちがするのはただの小言ではなくて楽しい小言です。
オム:そうですね。
人と話をするとき一番楽しい話は楽しい小言だと思います。
瀧澤:そうですね。小言も悪い小言は聞きたくないですが、いい小言が楽しいじゃないですか。韓国でも冗談で「잔소리 하지마! 또 잔소리야!(小言言わないで!また小言!)」と言いますが、この放送ではいい小言を沢山言いましょう!
オム:はい、そうしましょう!
韓国には植民地とか南北戦争があったじゃないですか。そのとき、故郷を思い描く歌があったと思いますが、今先生が思い浮かぶ歌はなんですか?
瀧澤:どんな国でも故郷への懐かしさ、両親への情などが歌の主題になったと思いますが、日本と韓国を比べてみるとどうも韓国の方が故郷を懐かしがる歌がはるかに多いと思います。
オム:そうですね、たくさんありますね。
瀧澤:例えば、韓国は植民地の時代だったけど、日本は「古賀メロ」と言うのがあって、その中心には「酒は涙かため息か」という歌がありました。この歌のメロディーが似ている歌で韓国には「他郷暮らし」と言うのがありました。
オム:最初にどう歌えばいいですか?「타향살이 몇 해더냐」
瀧澤:それと「酒は涙かため息か」とすごく似ています。
似ていますね。日本の歌か、韓国の歌か区別ができないくらい似ていますね。
瀧澤:そうです。そして今も民族が分断されていて、先ほどおっしゃった戦争もあったし、それで故郷を失って他郷で苦労して、故郷を懐かしがる人が日本にもいるけど韓国にはもっと多いと思います。
植民地の時代の時にサハリンに行った人も多いし、植民地の時代に韓国に来て故国に帰れなくここにいる在外同胞も沢山いるじゃないですか。そういう人の立場でこの故郷の歌句を聞くと慰めるになるでしょう。私が韓国に興味を持って、ハングルも学んで、韓国について勉強し始めたのが1970年代です。
オム:それでは何年くらいなりました?いまが2017年だから!
瀧澤:45年前です。
オム:だから韓国語がお上手なんですね!
瀧澤:その時、私は35歳でした。
オム:今もお若いですよ。
瀧澤:そしてその時「イ・ソンエ」という歌手が歌った「風に送る手紙」という歌がありました。サハリン同胞を懐かしがる歌でした。しばらくの間ですが、韓国ではあまり知られていなかったようです。
オム:韓国ではあまり聞いたことがないですが、日本にきてこそそういう歌があったということをわかりました。
瀧澤:「ナムジン」という歌手が「胸委託」という歌を歌ったじゃないですか。日本ではナムジンさんよりイ・ソンエさんが有名で、イ・ソンエさんが「カスマプゲ」を歌いました。

♪jingle

オム:先生!その「風に送る手紙」って深いわけがあるみたいですよ。その歌がサハリンにいる同胞たちの哀絶の念を描く歌のような気もするし。
瀧澤:植民地時代に日本の政策のせいで多くの朝鮮人が自分の意思ではなくサハリンに行ったと知っています。ところで、その人たちが戻れなかったです。解放の直後、日本人の多くは逃げましたが、朝鮮人は逃げることができませんでした。例えば、イ・ソンエさんは無事に日本に到着しましたけど。
オム:その方はサハリンに住んでいました?
瀧澤:そうですね。サハリン同胞でした。
オム:なら日本によくいらっしゃいましたね。
瀧澤:「イ・ソンエ」さんは韓国にお帰りになりましたけど、帰れなかった人が沢山いました。そして韓国では「サハリン同胞帰還運動」というのがありました。
オム:2000年代でしたよね。2000年代にサハリン同胞を韓国の訪問団として招待してアンサンにサハリン同胞の家を作りました。
瀧澤:そうですね。私も一度行ったことがあります。
オム:ところで先生、「風に送る手紙」は何年度の歌でした?
瀧澤:1970年代にイ・ソンエさんがナムジンさんの「カスマプゲ」という歌を日本で歌いました。それで日本人はその歌をイ・ソンエさんの歌だと思っています。イ・ソンエさんの「カスマプゲ」のテープを買えばA面には「カスマプゲ」、B面には「風に送る手紙」がありました。
オム:あの歌聞くと胸が痛くなりそうですね。最初にどう歌えますか?「(歌)海の上に広がる/カモメの涙〜」韓国ではあまり聞いたことがないです。ところで、日本のカラオケに行くとその歌があったんですよ。日本では相当有名らしいですね!
瀧澤:日本では相当流行りました。
オム:韓国ではどうしてこの歌が知られなかったかわからないですね。
瀧澤:それは私も分からないです。
オム:ところで日本のカラオケに行くとその歌があって調べてみると、サハリン同胞を懐かしがる歌でしてね。この歌日本語ではなんと言いますか?
瀧澤:「ノサップ岬」。
オム:「ノサップ岬」は北海道ですよね?
瀧澤:サハリンが見える~~という意味で「ノサップ岬」としたのですが、実はサハリンの見える岬は宗谷岬ですけど、その歌を聞くとノサップ岬と歌われています。だから宗谷岬とノサップ岬を町下駄んですね。
オム:あ、そうですよね?地図で探してみると突拍子もないところにノサップ岬がありましてね。実はサハリンは見えませんよね。だから「変な風に変わった」と思いました。
「島村先生」という歌に出てくる「ハマナスの花が咲いて散る島村」で「ハマナス」という韓国語が日本の知床岬では「ハマナス」と言うそうですよ。
オム:ハマナスの花は大きいじゃないですか。韓国の田舎に行くとはまなすが沢山咲いていますけど、日本には北海道の方に沢山ありますか?
瀧澤:そちらは知識がないので知りません。
オム:では先生、ノサップって日本語じゃないと?
瀧澤:私が知る限りでは私たちが「アイヌ」と呼んでいる北海道の原住民の言葉らしいですよ。
オム:じゃ、ノサップはその町の名前ですよね。。?
瀧澤:それは私にもよくわかりません。とにかく宗谷岬からサハリンが見えるから、サハリンが見えるのは実は宗谷岬です。
オム:植民地時代だったら昔の懐メロも沢山あるじゃないですか。韓国の人たちは植民地の時を思い出しながらその歌を気に入ってよく歌うようになった方が多いです。ところで、「カスマプゲ」は故郷を懐かしがる歌ではないですよね?
瀧澤:「カスマプゲ」はそういう歌ではないですね。
オム:それでは「モクポの涙」はどうですか?
瀧澤:「モクポの涙」は私1930年代の歌だと知っています。故郷を懐かしがる歌です。
オム:そうですよね?「他郷暮らし」もそうだし、「涙に濡れたトゥマンガン」も故郷を描いた歌ですよね?
瀧澤:そうです。
オム:また「連絡船は去る」もありますよね。
瀧澤:その歌はチャン・セジョンさんが歌いましたけど、この歌を日本では日本の女性歌手の歌だと思っています。
オム:はい、こういうのが思い出しますけど、故郷に関する歌がすごく多いようですね。
そして「連絡船は去る」、「涙に濡れたトゥマンガン」、「哀愁のセレナーデ」もあるし
「哀愁のセレナーデ」
「がんばれ!グムスン」って知っていますか?
「がんばれ!グムスン」は6・25戦争、1・4後退、朝鮮戦争の時の歌です。
オム:「故郷無情」は?
瀧澤:「故郷無情」は私が知る限りでは故郷を離れてから
オム:「故郷無情」は誰が歌いました?
瀧澤:よく知りません。
オム:すごく有名だったのに!
瀧澤:先ほど懐メロと言いましたよね。でも韓国の「ガヨムデ(歌謡舞台)」と言うプログラムら聞きましたけど流れた歌じゃなくて流れてきた歌だと言いました。
オム:あ、そうですか?
瀧澤:あ~ そうなんだ!とおもいました。
オム:あ、そうですね。流れた歌じゃなくて流れてきた歌ですね。
瀧澤:流れてきた歌はここにあるんですよ。流れた歌は行ってしまってないですよ。
オム:あ!流れてしまってない!流れてきて今ここにある!て意味ですね!わぁ、先生本当に色々考えをしますね。これを思い描きながら昔の歌を勉強する人がいますかね?先生しかいないようです。そうですよね?
はい

♪jinngle

この番組は「チュルゴウン・チャンソリシガン」。毎月第一土曜日6時半から7時まで放送します。この番組を担当する人はオム・ミリョンと滝沢ヒデキです。

♪jinngle

(韓国語)この番組は「チュルゴウン・チャンソリシガン」。毎月第一土曜日6時半から7時まで放送します。この番組を担当する人はオム・ミリョンと滝沢ヒデキです。

♪jinngle

オム:先生、韓国で有名な歌があったですよね?「連絡船は去る」。先生、先生からこの歌が日本の歌だと聞きましたけど本当ですか?
瀧澤:元々は韓国の歌です。植民地時代の韓国の歌ですが、この歌を歌った歌手であるチャン・セジョンさんが6・25の時越北(境界線を越えて北の方に行くこと)をしたらしいですよ。それで韓国では歌えないようになりました。
オム:あ、禁止曲だったんですね!
瀧澤:はい、でも解放後に日本で日本人の歌手が日本の歌で歌いました。それで日本の歌だと思われています。
オム:日本でもこの歌、人気ありましたよね?
瀧澤:そうですね。
本当に日本の歌なのか韓国の歌なのか区別ができない歌が多いです。韓国人の音楽好みと日本人の音楽好みが似ているようです。
オム:そうだと言う人が多いです。
瀧澤:「演歌は韓国が元祖だ、日本が元祖だ」と言う人が多いです。
私にはそういうことはよくわかりません。
オム:そうですよね。正確にいうのは難しいと思います。
瀧澤:日本に「鉄道唱歌(절도찬가)」というのがありますが、これ韓国では韓国の歌だと思われています。
オム:どんな歌ですか?よく知りません。
瀧澤:/歌/「학도가」と言います。
オム:あ!학도가聞いたことあります!
瀧澤:そういうの多いですよ。でもどっちが先かよく知りません。
オム:こんなに似ている歌が多いということは先生を通じて初めて知りました。先生本当によく知っていますね。歌の物知り博士ですね。
瀧澤:歌をうまくは歌えないけど好きだから。
オム:そうじゃないです。先生は歌もお上手です。それでは、日本の歌と韓国の歌、そして区別ができない歌、こういうのを考えてみるとすごく楽しいと思います。これからもたくさん見つけて教えてください。
瀧澤:教えられないけど一緒に楽しめましょう。
オム:そして先ほど先生がおっしゃった通りサハリン同胞たちが多く住んでいるというキョンギドアンサンの同胞の家ですが!
瀧澤:はい!その汽車駅のすぐ隣にサハリン同胞の家があります。私は行ったことあります。
オム:私は話を聞いただけで行ったことはないです。同胞の方は何人くらいいらしていますか?
瀧澤:今何人がいらっしゃっているのかはわかりませんが、多いときには1000人くらいだと知っています。1番親しい友達がハンヤン大学アンサンキャンパスにいる教授ですが、一緒に行きました。大きい建物ですが、いまはそんなに多くないようです。ところで、神戸で生まれて、サハリンの方に行って、また韓国に戻ってきたというおばあさんがいました。
オム:たくさん話してみました?
瀧澤:はい。神戸の場所を覚えていて、私も長い期間住んでいたと話したらすごく喜んでもらいました。
オム:そうですか。先生、じゃ、韓国に行くとき私も連れて行ってください。私もおばあさんに会って一緒に話したいですね。サハリン同胞の方達がいる場所を「福祉会館」と言いますよね?
瀧澤:そういう名前だと知っています。
ニューカーマの方々とも一緒に訪問したり、どうやって住んでいるのかをみたり、一緒に話もするといいと思います。
オム:そうですね。元々アンサンには外国人のための町もありますよ。アンサンに外国人にそんなに多く住んでいるらしいですね?そこは工場が多い産業地帯ですか?
瀧澤:キョンギドの産業地帯でした。海を埋めてたくさんの工場を作りました。そこに外国人の労働者がたくさん行きました。朝鮮人も多いです。フィリピンの人もいるし、中国人、ベトナム人など人がすごく多いらしいですよ。国際都市ですね。
オム:一度行ってみたい!連れて行ってください。
瀧澤:一緒に行きましょう。

♪jinngle

オム:皆さん、今日の「チュルゴウンチャンソリシガン」楽しいおしゃべりをいかがでしたでしょうか?楽しんでいただきましたでしょうか?この番組は毎月第一土曜日6時半から7時まで放送します。たくさんの方に聴いていただきたいです。(もう一度韓国語で)
オム・瀧澤:では、この放送を担当している人はオム・ミリョンと瀧澤秀樹でした。みなさん、さようなら!