2020年1月11日阪神・淡路大震災25年特別番組「災害の記憶と遺構を考える」~阪神・淡路大震災の記憶を未来に伝えるために~


阪神・淡路大震災から25年。
関西学院大学山中速人研究室とFMYYが共同制作する番組~阪神・淡路大震災の記憶を未来に伝えるために~
2020年1月は、被災の記憶を未来に繋ぐという観点から、第1回「研究者の視点」第2回「阪神・淡路大震災について神戸大学、神戸常盤大学、関西学院大学の学生たちへのアンケート調査を読み解く調査報道」第3回「女性の視点で見る災害支援」の3週連続でお送りします。
今回はその第1回「災害の記憶と遺構を考える」と題して、豊富なデータをの中から国立民族学博物館教授林勲男氏に、記憶とそれを継承するための遺構との関係をお話しいただきました。大変貴重なそして示唆に富んだ内容となっています。
  ■伝承を何百年も可能としている遺構の例1 日本で最も活発な火山の一つである浅間山、その山の天明の大噴火(1783年)の被害(5月9日~8月5日まで約90日間にわたって活発に活動、鎌原村(現在の群馬県嬬恋村)では村民の8割以上にあたる477人が死亡)そのすさまじい被害を伝える和讃(経文)を、女性たちが唱えることで被害の実態を現代まで伝えている「鎌原観音堂」@嬬恋村。 ■伝承を何百年も可能としている遺構の例2 大阪浪速区の「大地震両川口津浪記石碑(だいじしんりょうかわぐちつなみきせきひ)」は、安政津波(1854年11月4日・5日に発生した地震と、それに伴う津波)の犠牲者を祀る石碑である。碑文はすぐには建立されたのではなく、地震の後、船に避難した人が津波によって大きな被害を受けたこと、148年前の宝永地震でも同じことがあり、教訓を生かすことができなかったことが書かれている。  年月がたてば伝え聞く人は稀となり、忘れ去られてしまうが、今後はこのようなことがないよう、災害を後世に語り継ぐために、その碑文に墨をいれるように!と書かれている。そこで毎年の地蔵盆の時に、碑文に住みを入れるという行事をつづけている。 ■伝承を何百年も可能としている遺構の例3 宮崎県宮崎市の外所地震供養碑(とんどころじしん)は、50年ごとに石碑を新しく建て替えている。 その建て替えることで、地震の記憶をつないでいる。 ■伝承を何百年も可能としている遺構の例4・5 千葉県白子町「妙法寺」では、元禄地震津波でなくなった村人の法要を毎年している。 同じく千葉県長生村「本興寺」では津波供養碑と犠牲者の位牌をまつり、50年ごとに供養塔を建てている。