生きている間は、 いろんなことができる。 大切にして欲しい。

ゲストはNPO法人阪神淡路大震災1.17希望の灯り(HANDS)理事長白木利周さん。

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◆トーク1
■1.17希望の灯り(HANDS)の活動
東遊園地に希望の灯りを作っていただいた。希望の灯りをお分けする活動(分灯)。各地にある慰霊碑をめぐるモニュメントウォーク。復興のシンボル「はるかのひまわり」を全国の皆さんへ送る活動。一番大きなものは、1.17のつどいを行うこと、震災を次の世代へ伝える語り部の活動。ウォークは99年から始まり、この4月で60回目を迎える。

 

■息子さんの死、いまの活動
息子は神戸大学3年生、21歳で亡くなった。家は、東灘区御影だった。家の倒壊が多い地域だった。私がそこにいて、助けることができなかったという悔しさ。「なんで息子じゃないとだめだったの?」「かわってやりたい」という気持ちが強かった。「会いたい、でも会えない」というのが、悔しいし、残念で仕方がない。
心の踏ん切りには、4年かかった。偶然、神戸大の慰霊祭に出かけた。(ある番組の中で)ウォークをやるという形で神戸大にこられていた方と出会った。その方との出会いもあって、トンネルから抜け出せた。その出会いが、このような活動に入るきっかけを作ってくれた。(慰霊碑の)マップをつくっていた。私の子どもに関する碑は、4箇所あった。その他にもたくさんあったことに驚いた。自分の足で回りたいと思った。

 

■ウォークに参加して
遺族の方との出会いが、気持ちを分かる人たちに会える。「自分たちだけが不幸」ではなく、「同じ立場の人がたくさんいる」と、お互いの気持ちがわかる。心の負担が少しずつなくなっていった。当時元気だった妻も、ウォークでみなさんと会うことを楽しみにしていた。しかし、途中から体調を崩していった。やっぱり「亡くなった子どものこと」を思っていた。それが結果的にはストレスをためる原因であったのかもしれない。

 

■東遊園地のモニュメント
東遊園地のモニュメントは2000年にできた。そこに行くと、妻は「私の名前も息子の名前と一緒に入れて欲しい」とずっと言っていた。2003年12月から、神戸市以外の方も、震災が原因でなくなられた方の名前も載せれるようになった。
ご遺族の方から問い合わせがあった時に、どうやって、お気持ちをそこに表現していくかということを考えている。

■希望の灯りと分灯
震災のとき、暗くて厳しい状況の中で、生きる力を与えてくれたのが灯り。完成した2001年には、神戸からの感謝ということで、全国に持っていった。
1.17のつどいをやりたい、この灯りで何かをつくりたいというご意見であれば、分灯している。団体、特に学校が多い。今の中学生はもう震災を知らない世代になっている。分灯も語り継ぐための道具になっているのではないかと思う。

 

◆トーク2
■ルミナリエに新しくできた語り部コーナー
毎日、現場に詰めていた。私は、子どものことについて、震災当時の話、その後の活動(中越地震の現場に行った話など)をした。若い人からの「震災のことを伝えていかなければいけない。語り部をやりませんか。」という依頼で始まった。神戸芸術工科大の学生を中心に、神戸市立看護大、大阪音楽大、神戸海星大の学生たち。大阪音楽大の学生の演奏の合間に語り部をした。語り部の人を集めるには苦労したが、今後も続いていくように努力したい。10人の語り部がいれば、10通りの震災に対する思いや考え方があると思う。

 

■白木さんの震災に対する思い
「生き残った」とは思っていない。あくまでも「生かされている」。何かをしないと。いずれ、私も息子のところに行く。その時、「おやじ、何やってきたんや?」と言われるのが一番辛い。自分のできることで、少しでもお手伝いできればと思う。活動の中で、「命の大切さ」、「生きている喜び」を感じる。生きていないと、自分のしたいことはできない。震災のときに、自分の思いの半ばでとまってしまっている人がたくさんいる。生きている人たちが、その人たちの思いや目標をつないでいって欲しい。生きている間は、いろんなことができる。大切にして欲しい。
世の中で自殺、殺人、いろんなことが起こっている。でも、本来あってはいけないこと。震災、災害について語っていただける時間をたくさん作っていってもらいたい。必要とする人がいれば、必要とされる人がいる。1人じゃない。

 

■1.17のつどい
HANDS の他には、神戸市民交流会や和歌山から来るグループも参加している。外国の方も炊き出しなどを提供している。後片付けもふくめて、たくさんの人が参加している。作業をすることで、交流をはかっていく。最近は、若い人がたくさん入ってきてくれている。もっと入ってきて欲しい。
竹筒も、兵庫県下の社会福祉協議会に協力を得て、竹を頂いている。つどいのあとは、竹墨に変えている。竹墨も販売して、運営の資金にまわしている。

 

■白木さんにとって、この16年
「長かった」とは言うものの、実際にはとても短かった。1月17日には、フラッシュバックのように、瞬間的に当時の状況に戻っていく。活動をすることは、両肩にかかっている私の宿命。みなさんと活動をすることで、ゼロにならなくても、軽くなっていく。これからも頑張っていきたい。