町のなかで顔を 覚えておいて もらうこと。

兵庫県立兵庫高校同窓会での出会いか始まった、第2の青春~ボランティア活動~
「1.17KOBEに灯りをinながた」実行委員会委員長和田幹司さん
FMわぃわぃミキサーボランティアスタッフ門田成延さん

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◆トーク1
長田を中心にボランティア活動をされているお二人。二人は兵庫高校の出身。FMわぃわぃの番組を担当している。「サタデーエクスプレス」などの他、兵庫高校の人たちの番組にも参加している。
(二人とも)水害のあった佐用町のボランティアにも行っている。
門田さんは、リネンのタオルを軽トラックに載せて運んだほか、建具やドア、土間の修理など。門田さんのと「FMわぃわぃ」との関わりは2007年から。それまでは会社に務めていた。和田さんに誘われて参加したが、そうした兵庫高校の同窓生は現在、15人くらいいる。

和田さんの佐用町での役割は写真撮影する記録係。神戸常磐ボランティアセンターから現地へマイクロバスが出ており、たまたま空席ができて参加した。元々、カメラ関係の会社に務めていたこともあり、記録係となった。ボランティアの活動(どんな道具が揃っているか、水は用意されているとか、弁当を持って行く必要がある、ボランティアの作業がどんなだったか、など)、佐用や平岡の町がどんなであるか、そういった写真を撮影し、ホームページに載せていった。

和田さんの自宅は震災時、全壊(家が傾いた)だったが、家具は使えるものもあった。しかし今回のような水害では、家具が残って入るが使えなくなる場合が多い。ありとあらゆる隙間にドロが詰まっているので、大量の雑巾が必要。今後、寒くなって来るともっと大変。
現地では続けてボランティアをやっている人もいる。遠方からも、例えば名古屋から来て10日間くらいボランティア活動をする人もいた。

門田さんは元々会社人間。ボランティアだと、人間関係も変わる。利害関係もないのでいい。和田さんも現在の生活を気楽に感じている。

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◆トーク2
間もなく、1.17(震災イベント)。和田さんはその実行委員長。始まったのは1999年。間もなく12回目。準備は大変だが、40代くらい前後の人たちがよくやってくれていて、上手く仕事の分担が出来ている。なかには、若い高校生くらいの人や中学校の校長先生など、さまざまな人がいる。
和田さん自身のボランティア活動のきっかけは阪神大震災。当時は自宅が全壊。
2か月くらいは自分のことで精一杯だったが、新聞をみるとたくさんボランティアが全国から集まっている。自分も何かしなければいけないと思って95年3月13日「長田を考える会」に参加し、様々な活動をするようになって(写真を撮ったり)、広がっていった。
門田さんのボランティア活動は1.17からで、それまではボランティア活動の経験はなかった。和田さんからの誘いがきっかけ。
ラジオ(FMわぃわぃ)での仕事の役割としては和田さんは「喋り」。門田さんはミキサーなどの「機械」。

間もなく震災から15年。災害時など、思い出すこともあるが普段は忘れてしまう。和田さんが保育園や学校などで話す時に常に訴えているのは「町の中で顔を覚えておいてもらいなさい」ということ。「良い関係を地域内で持つ」ためには顔を知る、挨拶する、といったこと。子どもたちには「誰が住んでいるか、どんな年寄りがいるのか、知っておいてください」と言っている。また、「お年寄りを助けてあげてくださいね」とも伝える。とにかく、普段の付き合いが重要だと思う。門田さんも同様に、近所付き合い、関係が大事だと考える。
高齢者に言いたいのは、特に男性に言いたいのは「外に出て欲しい」。男性の場合、会社人間だと、会社を辞めた後、近所付き合いができない場合が多い。人と話しをする時に照れたりする。
門田さんはリタイア後、町の掃除に参加したりして、コミュニケーションを取るようになった。奥さんには「元気になった」と言われた。

佐用町など、田舎に行くと特に地域の団結を感じる。阪神大震災時も、淡路島では地域のつながりが非常に強かったので「おばあちゃんがどこで寝ているか」もわかったらしい。そういうことが大事なのだろう。