第64話 製糖業と台湾 2017年9月30日放送
砂糖は高価な品でした。小麦粉が手に入り、高い玉子と、砂糖で、西洋風につくったのがカステラや瓦煎餅。製粉の増田さんは西神戸に進出する前は横浜で砂糖屋さんでした。そこの番頭の湯浅さんが独立し、兵庫運河沿い(東尻池)に1908年に開いたのが「神戸製糖」です。これを三井資本の「台湾製糖」が1911年に買収します。台湾は1895年に日本領土となり、両地域で砂糖の生産・販売が活発になります。1945年の日本の敗戦で台湾の地を失います。わだかんの子どものころ、まだ「台糖」の名前は有名で、砂糖は「台糖」でした。今「三井製糖」の看板が残ります。「台糖」の名前がどこかに欲しいです。
64話 三井製糖(台湾製糖ゆかりの場所)