「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

長田今昔物語~千夜一夜物語 その最初から130夜までの番組を振り返って。133夜

【133夜 振り返りのその3】
長田では、特に阪神淡路大震災以降、色々な国からの人々の活動が生まれています。その長田にあって、住んでいる多様な人々との「共生」を思い起こし、育まさせてくれる番組の一つとしてこの「長田今昔物語」があります。
温故知新、長田の街の古きを訪ねて新しきを知る、その為のきっかけとしてこのシリーズを使っていたけたら幸いです。

長田今昔物語~千夜一夜物語 その最初から130夜までの番組を振り返って。132夜

長田今昔物語千夜一夜全130話を振り返り、番組提供者で長田に在住の宮川清と信子が、その思いを語りました。

【132夜 振り返りのその2】
その中で忘れてはならない事件の一つに「阪神教育闘争」があります。日本が戦争に破れ解放された在日朝鮮人たちが、いざ祖国に帰ろうと思っても、日本で生まれ育った人たちが祖国の言葉を理解できないことに気づき、朝鮮語の教育熱が高まりました。ところが、民主化路線から方向転換を始めたGHQは、朝鮮人学校を閉鎖し日本の学校への編入を指示しました。1948年4月に、これを強行しようとする体制側と在日朝鮮人との間で、特に大阪と兵庫で激しい争いが起こり、警官の発砲で一人犠牲者が出るまでの事件になりました。

長田今昔物語~千夜一夜物語 その最初から130夜までの番組を振り返って。131夜

2016年7月から始まった「長田今昔物語千夜一夜」130夜をもって終了しました。この番組の提供者プロジェクトMのお二人に、FMわぃわぃとの出会い、繋がり、そしてこの番組制作提案をなぜ受け入れられたのか?をお聞きしました。

【131夜 振り返りのその1】
FMわぃわぃの放送を聴き出したのは、阪神・淡路大震災後間もなくです。私たちがFMわぃわぃを応援し始めました大きな理由として、信子はマイノリティも含めた誰でも発信できる場ということに、清の方は多文化共生のスローガンに共鳴したわけです。

ですが、震災から時間が経つごとに、この共生の考え方が薄まっていっているようにも感じています。

今は多くの人が外国から日本に来ようとしている時代、そして同時に日本が若い人たちに来てもらわないと社会が成り立たない時代を迎えようとしているのが明らかです。
しかしそれとは真逆に、特に体制側に人権というものをを無視した「排除」の体質があるのではないでしょうか?
外国籍の人たちを区別・排斥して、日本人だけで小さくまとまって行こうとする考えは、非常に残念です。

自分の街を知ることが世界を知ることにつながり、大切な事なのは確かですが、その今を正しく理解するには歴史を正しく知らなければなりません。

時代を日本の敗戦直後に遡ってみます。
敗戦後、最初に行われる総選挙に備え、その直前に選挙法を1945年12月に改正し、「国体護持」の目的で日本国籍を持たない者の参政権をまず取上げました。そして1948年のサンフランシスコ平和条約の発効直前に国籍法を改正し、日本に住む日本戸籍を持たない人たちの日本国籍を通達一本で選択権もなく一方的に剥奪しました。
その結果、日本国憲法では保障される筈の義務教育を受ける権利など、いろんな場面での制約や混乱を引き起こしました。
1991年に入国管理法が改正されて「日本に居住する定住外国人」ができるまで、日本政府から無視された人たちは無国籍のままだったのです。

「長田今昔ものがたり」第130話

第130話 長田今昔振り返り(閑話休題) 2019年1月5日放送

長田今昔物語は、130話でもって、ひとまずの終了です。須磨の井上勇さんは「即ち、この世は色即是空、空即是色であり『空』である」と締めくくられます。ワダカンこと和田幹司と共に二人で、130回もよう話せました。もう、自己満足の世界です。二人とも、神戸の郷土の歴史研究の会合に顔を出し、大勢の発表を聞きながら、個人の勉強を修正したり、課題を深めたりしています。でも、どちらかと言えば、「我が道をゆく」という性格で、FMわぃわぃのリスナーの方には、聞きづらい場面もあったことでしょう。番組スポンサーの方からは、「須磨・長田・兵庫といった西神戸では、話題がいっぱいあるのですね」と拍手をいただきました。またお話できる機会を願っています。長い間お聞きいただき、ありがとうございました。


130話 井上さんと和田の録音風景の写真

「長田今昔ものがたり」第129話

第129話 須磨の正月風景と四大節 2018年12月29日放送

井上さんが子供の頃、須磨の正月は全く静かだったそうです。除夜の鐘が始まったのも昭和30年以降のことで、当時、須磨土着の人たちは皆「長田神社」に初詣でに行ったと回顧されています。戦前の祝祭日も覚えておられ、四大節を解説されます。今も祝日として残っていますが、まずは四方節(元旦)、2月11日の紀元節(今の「建国記念日」)、続いて4月29日の天長節(昭和天皇誕生日)と、今は11月3日の「文化の日」として残っている明治節がありました。学校では規律の重んじられる式典があって、半ズボンで鼻をすすって参加した記憶があるそうです。春分の日は「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」と言って、女子校だけが休みの「地久節(皇后陛下誕生日)」もあったそうです。


129話 昭和60年代の大本山須磨寺の正月風景(須磨寺「歴史と文学」より)

「長田今昔ものがたり」第128話

第128話 須磨の天然の恵み、山菜 2018年12月22日放送

井上さんは、きのこや野生のたべものは須磨の天然の恵みと言われます。もっとも、昭和17年(1942年)頃の話です。春には「わらび」、秋には「しばはり」と名付けられたアミタケという保存食材も採れたのです。木いちご(へびイチゴ)、山もも、アケビなど、季節ごとの果物がとれたり、多井畑あたりから売りに来てもいました。須磨寺の裏は、山が連なっています。離宮の裏山や高倉山は水も豊富で、「水脈の山」だったのです。自然と言えば、須磨は「海の幸」も豊富でした。波うちぎわの小魚ですが、「テンコチ」が良く釣れ、祖父がお酒のアテにしていたのを思いだします。


128話 神戸市立須磨離宮公園正門
園内には、旧武庫離宮造営当時、須磨の裏山より移植された「山もも」の木が、巨木となり樹勢している