「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第108話

第108話 日本最初のサナトリウム(結核療養専門の須磨浦療病院)2018年8月4日放送

須磨は空気がきれいで保養地としても有名でした。明治・大正・昭和初期には結核療養病院が3ヶ所もありました。一つは1889年にできた「(現)須磨浦病院」。鶴崎兵三郎先生の創設で、初代院長でもあり、村人は無料でした。もう一つは、転地して保養する機能と旅館が兼営されている「須磨浦保養院」で、正岡子規や高浜虚子も来ています。三つ目は、「敷島紡績結核保養所」で、一の谷にありました。井上さんは、桃などの果樹園が併設され、療養の人が手伝っていたことを、子どものころの思い出としてお持ちです。海岸線には、別荘や結核療養の場所がありましたが、どうも、下町の大人も子どもにも無縁でした。


108話 須磨浦病院、鶴崎邸


須磨浦療病院内の散歩遊園(須磨神戸市編入50周年発行「須磨」より)


須磨保養院(「須磨の近代史:明治・大正・昭和史話」より)

※ 須磨区役所まちづくり推進課と神戸新聞総合出版センターの了解を得て掲載

「長田今昔ものがたり」第107話

107話 池田村の歴史を読む 2018年7月28日放送

わだかんの住む東尻池、となりの西尻池、神社のある長田村、そしてその西の池田村は四カ村(しかそん)と言って共有地(入会地)を持ち、江戸時代から仲良しでした。この中の池田村では、中西政太郎さんの編集で「池田村誌」が1988年に発行されています。弥生時代の昔より兵庫の開港と都会化の話まで、資料も地図も豊富です。1868年1月、「神戸事件」と言って、三宮神社前でおこった備前藩士とフランス兵など異国勢との紛争は、あわや「神戸占領」とまで発展しかねない一大事でした。備前藩は、西国街道を西へ、池田村の「妙楽寺」まで逃げ、本陣としたそうです。この「池田村誌」は図書館や文書館に置いてあります。


107話 妙楽寺(池田)

「長田今昔ものがたり」第106話

第106話 海の日、山の日、高取山で手紙を出す 2018年7月21日放送

西神戸の長田は海と山にめぐまれています。長田港(駒ヶ林)もいいです。海の方から山の方をみますと、「高取山」が美しく見えます。独立の山ですから、船で航行する人にはいい目印だったことでしょう。高取山頂上には高取神社があります。昨年11月に、ここに「心のポスト」が設置されました。保護司仲間の小西清次さんの発案です。誰にもみられない手紙、このポストにそっと入れて、「思い」を届けます。ときに、神主さんの立ち合いのもと、「お焚きあげ」で燃やすそうです。高取山ではたくさんの「信仰の印」も発見できます。山で、「体を鍛える」のと同時に、パワースポットのように「こころをいやす」場所でもあります。


106話 高取山からの展望

「長田今昔ものがたり」第105話

第105話 北向八幡宮と那須神社、那須与一墓所(閑話休題) 2018年7月14日放送

板宿は商店街界隈がにぎやかです。妙法寺川に沿って、三木街道とよばれた細い道路を北上しますと、八幡神社や那須神社があります。弓の名人、那須与一(なすのよいち)をお祀りし、墓所も残っています。よいちさんは、信心すれば老いても「しもの世話にはならない」との言い伝えがあって、命日の7日にお参りする方が多いです。八幡神社の本殿前にある小さな祠の中には、南北朝の笠塔婆が祀られ、再調査して神戸市文化財に指定されました。北へゆけば妙法寺、与一さんの墓所がここにもあり、須磨と与一さんの関係は研究テーマのひとつです。


105話 須磨・妙法寺の那須与一の墓所

「長田今昔ものがたり」第104話

第104話 七夕や地蔵盆でにぎわう夏 2018年7月7日放送

関西というか、神戸の方の年中行事では、「月遅れ」という数え方があります。お盆などは8月15日ですね、おひなさんなら4月3日までに飾りを片付けるといった、融通を利かせる工夫があります。ワダカンの子ども時代、「七夕さん」は月遅れの8月7日でした。今は7月いっぱいが神戸の「七夕まつり」になっています。真野地区の、三ツ星ベルトが力をいれている七夕まつりは楽しいですね。地蔵盆は8月23日、長田近辺の子どもたちにとっては1カ月分のお菓子を1晩で集められる行事です。室町時代から始まったようで、最初はお酒を飲む大人の行事だったのが、子ども向けに進化したようです。


104話 真野地区の七夕まつり

「長田今昔ものがたり」第103話

103話 梅と桜、あやめと菊 2018年6月30日放送

長田区は、花は「サルビア」、木は「ハナミズキ」ですが、須磨区の花は「コスモス」で、木は「松」です。須磨にちなんだ花は多く、綱敷天神さんにちなんだ「梅」は、平安時代からの人気です。大池の北側には桜の古木があります。明治の「廃仏毀釈」で荒廃した須磨寺でしたが、その当時入山したお坊さんが山内に桜を植え続け、須磨寺を桜の一大名所としました。桜の剪定も今や様変わり、大きな枝を切り,進化した薬剤を塗り付けます。「桜切るバカ、梅切らぬバカ」は死語になりそうです。「須磨の前田のカキツバタ」で代表される「あやめ」も、須磨の大池の「菊」も「花自慢のタネ」です。


103話 須磨寺・大池の桜より三重塔を望む


須磨の風物詩、前田のあやめ
大正時代、前田氏の屋敷跡へ須磨警察署が建てられた際に埋め立てられたが、現在は、菅の井広場として再興され、あやめが植えられている。