「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

室内小学校3年「子どもいちば 大成功~~~」

神戸市長田区では「阪神・淡路大震災」でたくさんの「まちの多様性について学ぶ取り組み」が生まれました。
その一つが「子どもいちば」です。これは子どもたちが、市場で販売の経験をする!ということが目的で始まったのではありません。「まちはこんなにたくさんの人々で成り立っている」「だれもがまちの人として、キラキラしている」ということを、子どもたちの目線でしっかり伝えるために考えられたものです。


★『出会いのプログラム・作業所って何?』について
  ・障がい者って何?その人たちが働く作業所って何?
★『1日ボランティア体験』について
 ・自分たちだけで、作業所に行ってみよう~~
 ・メンバーさんに何を教えてもらったの? どう感じた?
★『子どもいちば』について
 ・いちばの店員さんになった感想は?
 ・たのしかった事は? しんどかった事は?
そして「FMYY」での報告! 
★『子どもいちば』のいろんな授業をしたよね。
 ・どんな事が一番こころに残った?
この子どもたちの声を、是非お聞きください!
 

「長田今昔ものがたり」第125話

125話 須磨を示す記載の文書(閑話休題) 2018年12月1日放送

須磨の古文書で頼りになるのは「当山歴代」。1170年~1750年にかけての581年間、各住職が須磨寺のことを記録しています。井上さんは1冊目はボロボロになるまで読み込み、2冊目も付箋でいっぱいです。さらに、「兵庫県・神戸市方面委員会須磨区分会」の周年史が1927年から7巻も発行され、いわゆる下町の記録となっています。須磨の桜のシーズンには交通整理がいるほどであったり、迷子がでたとの微笑ましい記述も残っています。昭和3年頃、須磨寺の大池が埋め立てられるということで神戸市会で話題になり、有力者も立ち上がった「須磨寺大池問題・埋立阻止」の市会での記録も興味深いです。


125話 須磨の記録記載のある書籍の一部

「長田今昔ものがたり」第124話

第124話 大学生とのおつきあい 2018年11月24日放送

ワダカンの時代はかっきりと60才定年でした。10年ひと昔、大学もかなり変貌しています。2度目の勤めは「大阪TLO(技術移転機関)」で、大阪の大学が所有する特許を企業に使ってもらう橋渡しをしていました。いまは大学が地力でやれています。関学大で「国際ビジネス」を教えた時期もありました。リーマンショックがあり、講師は引退しました。震災のおかげで、神戸大、立命大、日本福祉大、常盤大、兵庫県立大などの先生や学生とも親しくなりました。長田で、郷土史を語り震災などの町歩きをすることで、大学生の若々しい平穏志向の姿に教えられたものです。社会や町の中に大学生が出てきてもらう時代になっています。


124話 「商大祭」での似顔絵風景

「長田今昔ものがたり」第123話

第123話 須磨の古墳と遺跡 2018年11月17日放送

井上さんは、考古学の視点で、下町から須磨を見る試みをされています。全国的には仁徳天皇陵が有名ですが、古墳の数では、兵庫県が日本で一番多いのです。須磨にも古墳があります。でも、残念ながら、宅地開発で現在は跡形もない状態です。伝承でかろうじで残り、村上帝社、潮見台、名倉塚、得能山など、小型ですが古墳は存在していました。平成になり、8年から13年にかけて、都市計画などの一環で発掘調査も行われ、行幸町遺蹟、天神町遺蹟が確認されています。人骨や土器や柱の跡も出て、石器時代から須磨に人が住んでいたと言えるのです。


123話 須磨村上帝社、前方後円墳跡


山陽電鉄に分断されて山側にある琵琶塚

「長田今昔ものがたり」第122話

第122話 朝鮮通信使、のろしのリレー 2018年11月10日放送

昭和4年の須磨尋常小学校の教科書には、江戸時代に朝鮮国から使節がやってきて、徳川幕府が懇切な待遇をしたことが記録されています。通信使一行が塩屋沖から西須磨の海岸にさしかかると、合図の「狼煙(のろし)」をあげました。続いて駒ヶ林(阿弥陀堂)もあげ、次が長田(鳥居前)、和田崎もあげ、兵庫津に船舶の到来を知らせました。兵庫津からは陸路を歩みます。船からあがり、ごちそうをいただき、疲れをいやす。当時すでに2万人の人がいた「兵庫」、担当の尼崎藩の役人、接待役の兵庫商人。にぎやかさが想像できます。各村ものろしのお手伝いをし、地域のリレーで客人を迎えたのですね。


122話 のろしの場所(長田神社鳥居前)

「長田今昔ものがたり」第121話

第121話 土木の日の湊川隧道(ずいどう) 2018年11月3日放送

土木という漢字を分解すれば、十一と十八になるので、毎年11月18日近辺の日曜日には、「湊川隧道(ずいどう)」が一般公開され、菊水山をぶち抜いたトンネルの新湊川側には、臨時のつなぎの橋が用意されます。長田神社前商店街の長田橋まで、川底を散歩することができます。土木工事は、蓮池をつくった行基集団の時代から受け継がれ、明治の3大土木工事のひとつ、湊川隧道のすごさが味わえます。湊川の付け替えで、「兵庫」と「神戸」の往来が進みました。「烏原(からすはら)水源地」からの水の恩恵、「兵庫運河」による水運の発展も、その後の西神戸の産業化に貢献しています。土と木との組み合わせに、今もわれわれは感謝するばかりです。


121話 湊川隧道