まちイキ 2016,3,3(木)号
担当:金千秋 心美人のミョンジャこと朴明子
ゲスト:金シニョンさん、元昭子さん、見学:古井みさえさん(関西学院)
<かけた曲>今日も朝鮮民主主義人民共和国の曲。
「ピョンブンニョンビョンガ ピョンブンニョン川辺の歌」
「ポックッセ 郭公」
「ヒンヌニネリヌンデ 雪が降るのに」
「ウリチンソンヨンウォンナリ われらの親善永遠なれ」(ロシアとの親善を歌っている)
<ウリエホジュモニ うちらのポケット>
「在日コリアン二世 3人が語る」
両親については故国での暮らしが苦しくて渡日したという点が共通している。多くの人は文字が読めなかったが、ソジャさんのオモニは七歳で日本に来て、小学校2年まで通っただけなのに漢字も読めて、晩年まで新聞を読んでいたというから驚く。私の母は、本を読んでいると、本を読んでおなかがふくれるのかと本を取り上げたり、電気を消されたりしたと言うと二人は、みんなそうだったよと声を上げて笑ったがー。
私は朝鮮学校2年生の時、学校閉鎖になり日本の小学校に強制的に転校させられた。以来、日本名を名乗り日本人みたいな顔をして20代半ばまで生きることになる。ソジャさんは私より年下なので事情が違う。尼崎の日本の小学校に通っていたが「ニンニク臭い」などとひどいいじめに遭った。先生が何かにつけて「チョウセンの子」と差別をするので生徒たちは、尚更いじめたのだろう。先生に暴力を振るわれたこともあったりして、登校拒否になった。そのため2年生の時、朝鮮の学校に転校した。そこにいじめはなく、みんながソジャさんに関心を持っていろんなことを聞きたがるので学校に行くのが楽しくなった。一生忘れられない出来事だという。シニョンさんの兄さんも朝鮮人だというだけで殴られたという。50年ほど前は、朝鮮人に対して絵に描いたような差別がまかり通っていたのだ。いや、昔の事ではない。民主主義と言われる今も、またヘイトスピーチなどに見られるような差別やいじめが露骨に表れてきている。一般の人はそれらの行為に対して関心が薄い憂うべき社会である。
見学の古井さん、コリアンの事をもっと知りたくなったと言う。何でも聞いて欲しい。
朴明子記