モガン民族の村から車で30分走ると、バンナムキム村のコミュニティセンターがある。銀行という看板がかけられ、建物の中に入ると、コミュニティラジオのスタジオやインターネットが無料で使えるパソコンコーナー、それに村人が作った工芸品の販売スペースもある。
バンナムキム村コミュニティセンターは、津波の後にタイの財団やNGO、それに外国の政府の支援で設立され、村人を対象にした低金利の無担保融資(マイクロクレジット)、住宅供給、そしてコミュニティラジオなどによるコミュニケーション促進といった復興のまちづくり活動を行っている。ここでは現在18人のスタッフが働いていて、みな忙しそうにしている。コーディネーターのミトリさんは「津波の前まではただの村人だったけど、今は村人達の役に立てるこのセンターで働くことができてとても誇りに思う」と仕事が楽しげだ。
このセンターのマイクロクレジットは、タイの財団による600万バースの寄付を基金にして利子5%で住宅再建などの生活復興に限った資金を村人に融資しているDonationという仕組みと、村人1000人がメンバーになって毎月100バースを積み立てていくCommunity Saving Fondという仕組みの二つがある。Community Saving Fondの利子は10%とやや高いが、1000人のメンバーは皆で貯めた200万バーツの基金から比較的目的を自由に融資が受けられる。このマイクロクレジット事業は、津波から2年間はタイの財団の支援を受けていたが、現在は自立運営し、利子収入はコミュニティセンター全体の収入の10%に達している。
住宅供給プロジェクトは、タイのNGOとデンマーク政府の支援により、津波で破壊された村人の住宅再建に取り組んでいる。
コミュニティラジオは、コミュニティセンターの一つの活動として津波の後に始め、当時はデマや噂が絶えなくて、それを解消していくのにラジオを活用していくことが最も効果的であったという。そして午前中に訪問したパンガ町のコミュニティラジオ局と同様に、ここでもタイのNGOがビルマ語の放送をしている。
タイ南部のアンダマン海に沿った地域には多くのミャンマーからの移民が住んでいる。Tsunami Action
GroupというNGOの報告では、20万人以上のビルマ人がこの地域に暮らしていて、3万人以上が津波の被害に遭った。その3万人のうち、かなりの人数が密入国者で、彼らは捕まるのを怖れて救援サービスを受けることができなかった。その溝を埋めるために、国内および国際NGOが他の被災者と同様のサービスを彼らに提供していき、その一つが被災者キャンプに設置された緊急ラジオ局(写真)からビルマ語による放送であった。
津波から2年8ヶ月が経過したバンナムキム村は、リゾートコテージや住宅の建築があちらこちらで進んでいる。そして建築現場で働いている人の多くがビルマ人労働者だ。津波以前は漁業に従事している者が大半だったが、漁業産業が津波で大きな痛手を受けたために雇用の受け皿が減り、今は復興の建築現場で働いている人が多い。ビルマ人居住地域は非常に貧しく、モガン民族同様にタイ人からは差別されている。
津波の後に始まったコミュニティラジオは、FMわぃわぃと同じようにビルマ人のライフラインの一つになっていた。
(つづく)
(記事=日比野純一、写真=シリポル・サジャパン)