毎夕火曜日12時からの「まちはイキイキきらめきタイム」の13時からのコーナー関西学院大学総合制作学部山中速人研究室の送る「耳をすませてリスニングトゲザー」では、2011年4月5日より5月9日までの全六回にわたって、在日朝鮮人史歴史家故金慶海氏が語る「4.24 阪神教育闘争~神戸~」をお送りいたします。
この番組で放送される金慶海さんの音声は、1981年4月から6月にわたって毎月1回(財)神戸学生青年センターで開催された「第十六期・神戸朝鮮史セミナー」で記録された講演録を編集したものです。(財)神戸学生青年センターの館長飛田雄一さんのご好意で音源をいただくことができました。
金慶海さんは、残念なことに2009年12月にお亡くなりになりましたが、金慶海さんの在日朝鮮人の歴史研究は大きな功績であり、韓国でも数々の先生の研究は高く評価され、ソウルの図書館に所蔵されるまでになりました。
今回は「民族教育の精神」が、母国ではない国で生まれ育つ子ども達にとって、水や空気が「人間として生きてゆくため」必要不可欠なものであることをセミナーで六回にわたってお話されます。
司会進行はFMわぃわぃ金千秋、ご案内は山中速人教授、ゲストコメンテーターは飛田雄一館長です。
金慶海さんについて~神戸学j生青年センター館長 飛田雄一[:下:]
兵庫朝鮮関係研究会の金慶海さんが、昨年12 月6 日に亡くなられた。金さんは私のひとまわり上の寅年で71 歳だった。タバコ好きの金さんが昨年(2009年)10 月入院した時に医者から強い禁煙通告をされたらようやく禁煙できるのではなどと期待していたが、肺気腫は進行していた。
1938 年神戸生まれの金さんは、阪神教育闘争のときは長田の民族学校に通っていて、当時のデモのことなども少し記憶されていた。その後、東京へ移られ大学まで民族教育を受け、1963 年に朝鮮大学を卒業されたあとは、1981 年まで兵庫県下の民族学校で教員生活を送った。
1983 年11 月の兵庫朝鮮関係研究会の創立にかかわり1985 年11 月まで同会代表を務められた。金さんは、丹念に新聞記事を調査して兵庫県下の在日朝鮮人の歴史を研究された。神戸電鉄、神戸港関連の調査でも主導的な役割をはたされた。
金さん多くの著作を残されたが、単行本に以下のものがある。『在日朝鮮人民族教育の原点―4・24阪神教育闘争の記録』(1979.田畑書店、006、韓国で韓国語版)、『在日朝鮮人の民族教育』(梁永厚、洪祥進と共著、1982、神戸学生青年センター出版部)、『鉱山と朝鮮人強制連行』(徐根植、宋成一、鄭鴻永、洪祥進と共著、1987、明石書店)、『在日朝鮮人民族教育擁護闘争資料集』(1988、明石書店)、『在日朝鮮人・生活擁護の闘』(堀内稔と共編、1991、神戸学生青年センター)
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むくげの会と金慶海さんとの関係は古い。1971 年の会創立以降は、共同テーマで研究会をもっていたが、同年10 月に「民族教育」をテーマに各メンバーが発表しており、その記録が『むくげ通信』10 号(1971.12.20)掲載されている。その後、1978 年にも「阪神教育闘争」を共同研究のテーマに設定し、通信50 号(1978.9.24)に堀内稔がレポート書いている。同年4 月に『歴史と神戸』2 巻2号(1963.4)に関連論文を発表された落合重信さんをお招きして講演会を開催したことがあるが、その講演会に金慶海さんが参加されていたのである。
その後、金慶海さんと度々お会いする機会があった。そして1983 年の兵庫朝鮮関係研究会の創立以降は、金慶海さんをはじめ同会のメンバーとむくげの会は切っても切れない関係だ。
金さんは、前述の著作のように阪神教育闘争以外にも兵庫県の在日朝鮮人の歴史研究を精力的に進められた。1990 年代に強制連行全国交流集会を毎年各地で開催したがいつも参加されていた。朝鮮籍の在日朝鮮人の韓国訪問には、制限もあったがおそらく金さんは「朝鮮籍在日朝鮮人韓国訪問記録保持者」だと思う。韓国籍に変更することなくおそらく7.8 回訪問されている。そういえば朝鮮籍在日朝鮮人の一般海外旅行が困難な
時にハワイ大学の梶山季之文庫を訪問した最初の在日朝鮮人も金さんだろう。いつも「コックローチ(ごくろうさんのダジャレ)」と登場する金さんのやり残した仕事を、少しは成し遂げたいと願っている。