春の特番4月16日から5月14日まで毎週火曜日13時から「メッセージソングの現代史」


メッセージソングの現代史1

今週から5週連続でお送りする関西学院大学総合政策学部山中速人研究室春の特番
「メッセージソングの現代史」
東京経済大学山田晴通教授をお迎えして、聞き手山中速人、進行金千秋ですお送りします。
1)定義が難しいメッセージ・ソング
荒井由実「やさしさに包まれたなら」(1974年)、映画『魔女の宅急便』(1989年)エンディングテーマソング
「カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の やさしさに包まれたなら きっと目に写る全てのことは メッセージ」
◆本日の1曲目
小西康陽 作詞・作曲
「メッセージ・ソング」歌:曽我部恵一
『戦争に反対する唯一の手段は。ピチカート・ファイヴのうたとことば』2002年
オリジナル:ピチカート・ファイヴ:1996年のシングル。1996年12月に、NHK「みんなのうた」で放送。
1)豊田勇造(1949 – )京都出身のシンガー=ソングライター
2)心を打つ感動的な歌詞の曲
Yahoo! 知恵袋「心にしみるメッセージソングを紹介してください」
「国内ミュージシャンの歌で、思わずその歌詞に聞き入ってしまうような、ことば「大切なことを伝えようとする歌」を探しています。涙がじわっと出てくる歌、うなずきながら聞いてしまう歌、聞きながら思わずにっこり微笑んでしまう歌など、皆さん是非教えてください!」
西野カナ「Always」(2012年)の宣伝文句⇔「深い感謝の気持ちを込めた心温まるメッセージソング」
3)イベント(博覧会、競技会など)の普及、宣伝に用いられる曲
1997年 長野冬季五輪 さだまさし「Dream」公式メッセージソング
2004年 愛知万博 渡辺貞雄「シェア・ザ・ワールド」→東北支援イベント
4)社会問題などについて、特定の立場からの見解を伝えようとする曲
むしろネガティブに「メッセージソングになっちゃいけない…」という言及もある。
ルーツは? 反戦歌なども、、、でも、メッセージ・ソングと言えるためには条件もある
言葉が伝わる…同じ言語、同じ社会的文脈を共有していないと伝わらない部分があるわけだが、歌になることによって、それを越えて伝わる力もある。それが「メッセージ・「ソング」」の醍醐味か!?
◆本日の2曲目
喜納昌吉&チャンプルーズ 「屋嘉節」
『赤犬子(アカインコ)』(1998年)
伝えによれば、歌と三線は「いんこねあがり」という者がおもろや自作の即興詩を三線に合わせて伴奏していたのが始まりとされる。村々を放浪していたため、そのスタイルは広く取り入れられた。俗にいう赤犬子(アカインコ)は当て字。


屋嘉節とは?
「屋嘉節」(やかぶし)は、琉球民謡の曲のひとつ。1945年の沖縄戦後に、金武村(現在の金武町)屋嘉に設けられた旧日本軍将兵の捕虜収容所で創作された。作曲は山内盛彬、作詞は金城守賢とされることが多いが、渡名喜庸仁なども自分が作詞者だと称している。また、複数の異なる歌詞が「屋嘉節」として伝えられている[5]。金武町に建立されている「日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑」の裏面に刻まれた「屋嘉節」の歌碑[6]にある歌詞には、作詞者は明記されていない[7]。さらに、同趣の曲として「PW無情」、「敗戦数え歌」があり、特に前者については歌詞が「屋嘉節」と繋げられて、ひとつの曲として扱われることもある。
<成立の背景 >
1945年の沖縄戦後、焼き払われた金武村屋嘉集落の跡、後の金武町立嘉芸小学校の校地周辺を、米軍がブルドーザーで整地し、投降した日本軍将兵およそ7千人を収容する「屋嘉収容所」が設けられた。沖縄出身者の捕虜たちは、空き缶やあり合わせの木材を使い、パラシュートの紐を弦としてカンカラ三線を作り、演奏するようになり、やがて「屋嘉節」が生まれて広まったという。
このため、「屋嘉節」はカンカラ三線のレパートリーとして演奏されることもある[8]。
鎮魂歌として [編集]
「屋嘉節」の歌詞には、戦争のむなしさが歌われており、再び戦争が起きないことを願うという内容が含まれているため、平和教育において取り上げられたり、「沖縄慰霊の日」などの行事に演奏されることがある。
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愛しい沖縄よ、戦場に成り果て いけとしいけるもの皆、涙を流す
切ない屋嘉村の深い暗闇のからす 俺もまた親を失くして涙に暮れているのだ
お前は石川村の茅葺き屋に草枕 俺は屋嘉村の捕虜収容所の砂枕
なぜに鬱悶するのだ 屋嘉村の若者よ やがて花咲く日が訪れるのに

屋嘉節やかぶし
yaka bushi
一、なちかさや沖縄 戦場になやい 世間御万人の袖ゆ濡らち
なちかしや ’うちなー ’いくさば になやい しきん ’うまんちゅぬ すでぃゆぬらち
nachikashi ya ‘uchinaa ‘ikusaba ni nayai shikiN ‘umaNcu nu sudi yu nurachi
○悲しい(の)は沖縄 戦場になり 世間御万人の袖を(涙で)濡らし

二、涙飲で我んや恩納山登て 御万人と共に戦凌ぎ
なみだぬでぃ わんや ’うんなだき ぬぶてぃ ’うまんちゅとぅとぅむに’いくさしぬでぃ
namida nudi waNya ‘uNnadaki nubuti ‘umaNcu tu tumuni ‘ikusa shinuji
○涙(を)飲んで 私は恩納山(に)登り 多くの人と共に戦(を)凌ぎ

三、あわり屋嘉村の闇の夜の鴉 親うらん我身ぬ 泣かんうちゅみ
‘あわりやかむらぬ やみぬゆーぬがらすぃ ’うや うぅらん わみぬ なかん うぅちゅみ
‘awari yakamura nu yani nu yuu nu garasi ‘uya wuraN waminu nakaN wucumi
○哀れ 屋嘉村の闇の夜のカラス(よ) 親(が)いない私が泣かないでいられるか

三、無蔵や石川村 茅葺きの長屋 我んや屋嘉村の砂地枕
んぞや ’いしちゃむら かやぶちぬながや わんややかむらぬ すぃなじまくら
Nzo ya ‘ishicamura kayabuchi nu nagayaa waN ya yakamura nu sinaji makura
○貴女は石川村茅葺きの長屋 私は屋嘉村の砂地(が)枕

四、心勇みゆる四本入り煙草 さみしさや月に流ちいちゅさ
くくる’いさみゆる しほん’いりたばく さみしさや つぃち に ながち’いちゅさ
kukuru ‘isamiyuru shihoN’iri tabaku samishisaya tsichi ni nagchi’ichusa
○心励ます四本入り煙草 淋しさは月に流していくよ

「♪懐ちかしや沖縄(ウチナー) 戦場(イクサバ)になやい 世間御万人(シキンウマンチュ)ぬ ながす涙」=懐かしい故郷・沖縄が戦場になってしまった どんなに世間のたくさんの人々が みんな涙を流していることだろうか。
「♪涙(ナダ)ぬでわんや 恩納山(ウンナヤマ)のぶて 御万人とともに いくさしぬじ」=涙でぬれたわが身 恩納山に登って 多くの人とともに 戦争をしのいだ。
「♪無蔵(ンゾ)や石川村(イシチャムラ) 茅葺(カヤブ)ちぬ長屋 わんや屋嘉村ぬ 砂地(シナジ)まくら」=離れ離れになった彼女は 石川村の茅葺きの長屋にいる 私は屋嘉村の 浜辺の砂地をまくらに寝る日々だよ。
「♪ぬんち焦(ク)がりとが 屋嘉村の枯れ木 やがて花咲(サ)ちゅる 節(シチ)んあゆさ」=戦争で焼け焦がれてしまった 屋嘉村の枯れ木も やがて美しい花を咲かせる 季節がまたやってくるだろう。
♪戦世の跡の 焼け野原見りば 又ん無ん如(ネングゥトニ)に お願(ニゲ)しゃびら」=戦争の跡の焼け野原を見れば、こんな悲惨な戦争は再び起きることのないようにお願いしたい。
 最後の歌詞は、登川誠仁が歌う屋嘉節に入っている。この歌詞があってこそ歌が生きると思う。
登川誠仁(1932-2013)3月19日に死去