毎週火曜日の「まちはイキイキきらめきタイム」13時からは「関西学院大学山中研究室発多声的文化批評」です。
辛口淡麗の軽妙な語り口の関西学院総合政策学部山中速人先生、一押しのコーナーは、シネカノン神戸との協力でお届けする月一回の映画評!映画文化発祥の地、神戸ならではの番組です。
今回は絶賛上映中の、≪クワイエットルームにようこそ≫
松尾スズキの長編第2作のこの映画は、仕事や恋愛に悩む女性が主人公の新境地です。
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「クワイエットルームにようこそ」07.10.30放送~一ヶ月のご無沙汰でした。
今日の「文化と街のソムリエ」は、ご好評の映画批評の時間です。
さて、今回、ご紹介するのは、現在注目の松尾スズキ原作、監督作品「クワイエットルームにようこそ」です。
原作は一昨年の芥川賞の候補にノミネートされたのを覚えてますか。でも、この映画は、そういう原作の映画化というパターンの作品にみられがちな舌っ足らずな趣はまったくありません。文学なんかまったく読まないような若者たちがみても、ぜったいに深くて面白い内容に仕上がっております。
クワイエットルームっていうのは、安静室。精神科の閉鎖病棟の中で、さらに自分を傷つけたり他人に危害を加えたりする可能性のあると医師が判断した患者が五点拘束されておかれる部屋です。五点拘束ってなんでしょうね。それも、この映画をみれば、非常によく分かります。普段、あまりお世話にならない精神科病棟の中についての、オタク的な知識もこの映画をみれば、ずいぶんとよく理解できるようになっています。もちろん、かなりコメディータッチで誇張されていますので、現実がこういうものであるというわけではけっしてありませんが、よく物事の本質はとらえているといわねばなりますまい。はい。
**そうそう、五点拘束というのは、ベッドに仰向けになって寝かされまして、両手、両足、そして腹部という5つのポイントで固定されて、身体の動きを拘束されるという、まあメディカルボンデージの様式であります。SMじゃありませんが、まあ、こういう映画をみるとそういうコスプレ的妄想を夢見る人も出てくるかもしれませんね。**
映画は、内田ゆき扮する主人公、もと風俗嬢出身のフリーライターがその五点拘束状態で目覚めるというところからはじまります。主人公は、自分がどうしてこういう状態になったかよく思い出せない。で、映画の観客も彼女の記憶と認識の回復につきあいながらこの物語にはまりこんでいくことになります。映画の作り方としては、きわめてオーソドックスですよね。記憶喪失ものの典型的なパターンですが、それはそれで面白いですよ。
さて、主人公はなぜここにやってきたのか、もちろんそれはどうぞ映画館であなた自身がその理由をみつけていただきたいわけですが、まあ、簡単に言うと、飲酒と睡眠薬の大量服用で、死にかけたからです。これが自殺とみなされてしまった。自殺のおそれのある人物は、家族の了解があれば強制入院させることもできます。
彼女には、夫がおります。これが放送作家で、若者向けのくだらなーいバラエティー番組を書いている。ほらクイズにまけたらとんでもない罰ゲームをさせられるというやつ。それにレギューラー出演している。その夫とのトラブルで主人公は睡眠薬とアルコールを大量摂取することになったわけだけれど、そういうことが分かってくるのはあとの方です。彼女には、別れた夫がいて、その男の自殺と父親の病死があいついだことも、ストレスになっていた。というこういうことも後でだんだん分かってくる。
謎解きめいていて興味深いけれど、実は、主人公が精神の変調をきたしていく過程の謎解きとその結果、つまりなぜこんなことをしてしまったかは、きわめてありふれていて、物語の中心ではありません。現代は、複雑でストレスだらけの社会です。なにがきっかけで精神が変調するか、その原因は山のようにある。個人のそれぞれにはまっとうな理由があるけれど、それをたどっていくことは、治療者ではない映画の観客としてはあまり意味がない。
わたしがこの映画の面白い見方としてお奨めしたいのは、登場人物たちのそれぞれが抱えているこころの問題のパターンにきっと「あるある、こういうの私にもある!」って気づいてみることじゃないだろうかということです。
それは患者さんだけではなくて、そこで働いている看護婦や医師、それからときどき患者とふだん関係している夫とか仕事仲間などにもいえます。
観客は、心に変調をきたしているのは、患者だけじゃなくて、医師も看護婦も、娑婆の仲間も、みーんなどこかおかしいって気づいていくわけです。
たとえば、世界のどこかにいる貧しい人々の食料を奪いたくないと言う理由で拒食症になったミキという女の子。葵優が演じています。彼女なんか、典型的な「自分いじめ」タイプですよ。自分をいじめて追い込んでいく。セルフミューチュレーションといいます。自己破壊的。どんどん自分を追い込んでいく。こういう子っていますよね。
りょうが演じているステンレスの心臓を持った主任看護師。典型的なプロフェッショナル型の規範指向タイプです。使命感の固まりで、患者のためと思えば命もかける。医者やソーシャルワーカー、教師などの人間にかかわる専門家に多いタイプですよね。でも、患者のためだといいながら、それが本当に患者個人のためになっているのか考えません。自分の中にある正しい患者像にだけ忠実なのです。だから、やたらと規則に厳格だし、ただしいといったん信じた治療方針を死守する。つい最近まで私のそばにもそういうカウンセラーの女性がおりました。これは余談。
主人公は、まあ典型的なバーンアウト型。もえつき症候群です。
こういう人たちをぜひみてもらって、自分はあのパターンだなあとか、あの人は、これに似ているよね、なんて映画の後、話し合ってみると面白いでしょうね。
興味深い点はもうひとつあります。患者や看護師たちがつくりだす人間関係です。患者は病院の中では患者として振る舞うことが期待されている。つまり、しゃばでは、あなたは普通の人間であることを期待されるわけだけれど、病院の中では、患者としてふるまうよう期待される。人間は、みんなまわりの目に、自分がどう映るかをさぐりながら演技しているわけです。ゴフマンという社会学者は、精神病院での観察にもとづいてこれを演技とはよばず、印象操作とよんでいます。みんな他人にうつる自分の印象をじぶんに都合の良いように操作しているというわけです。そして、同時に、他人の印象を操作しようとも企てる。こうして人間は、あたえられた環境の中で、自分の絵作りにふけっていく。精神病院のような閉じられた環境の中では、登場人物が固定されますから、印象操作の駆け引きはより濃密になっていくわけです。
それは患者さんだけじゃない。たとえば、看護師のような管理する方も、管理者としての自分の印象を操作していく。わたしは看護師なのよ、あなたがたのお世話をするのが仕事!なんていって、自己イメージをかたちづくっていく。その自己イメージにこたえてくれる患者はいい患者、その印象をかく乱してくるような患者はよくない患者です。一方、患者も同じように自己イメージの印象操作をしています。悪い子を生きてきた患者は、あばれたりすることで自己のイメージを強化する。でも、それはけっして問題なのではありません。暴れる患者をいとおしく保護する看護師という自己イメージにはまっている看護士さんもいますからね。そういう看護士さんにとっては、あばれる患者さんは好ましい自己イメージを確認させてくれるうれしい患者さんなのです。
そして、そういう患者と看護師の関係のなかで、患者は、自分がどう振る舞えば「なおった患者」としてみてもらえるかを学習していきます。そして、その学習が終わった、つまり、精神に変調をきたした人としての印象を、操作して、あらたに直った患者として自分のイメージをつくりあげたとき、この患者さんは治療が終わったということになるのです。この状態を維持し続けることができれば、完治したと言うことになります。つまり、印象管理ができる人間になったわけです。
でも、現実の社会は、そのような安定した自己イメージを保障してくれませんよね。だから、また人々は変調をきたしはじめます。そして、ふたたびクワイエットルームにもどっていくのです。
現実のクワイエットルームの住人になるのは、もちろん、みんなではありません。でも、お世話になる人とならない人の間にあるのは、精神状態の異常の程度ではありません。むしろ、医療機関へのアクセスがよいところにいるかどうかといった社会的な条件によるものが大きいといわれています。私たちの多くが、条件さえそろえばクワイエットルームにようこそという事態になるのです。それは、ある意味で、選ばれた人であるともいえますよね。クワイエットルームは、その意味で、選ばれた人の特別な場所でもあるんです。