本日はラジオワークショップ~奄美とカトリシズム~FMわぃわぃ「南の風」奄美篇担当大橋愛由等さん


参加者

2010年10月30日辺野古で“ピース・ミュージック・フェスタ2010”が開催されているころ、ここFMわぃわぃの事務所奥のコーナーではラジオワークショップが開催されていました。
今回はFMわぃわぃ「南の風」奄美篇担当大橋愛由等さんのよる~奄美とカトリシズム~です。

日本のカトリック信者率が0.1%であるにもかかわらず、奄美では30%というから驚きです。
これはなにを意味するのか??

かつ世界の少数民族、先住民族はカトリック信者がとても多い、、、ということとも深く繋がるようです。

大橋愛由等さん

大橋さんの告知から抜粋いたしました。
★先日集中豪雨による大きな被害が出た奄美についてです。テーマは、「奄美とカトリシズム」

★奄美という場所はさまざまな局面から語りが可能ですが、今回はカトリシズムという観点に絞って語ります。
(去年は、「薩摩侵攻400年と奄美」というテーマで語りました。
だいたい一年に一回この「FMわぃわぃ・ラジオワークショップ」で〈奄美語り〉をしていこうと思っています)

★奄美を語るのに、カトリックに絞ることの意味は、日本の国内でも、カトリック信者数が多い地域であり、この地域の宗教を語るのに、カトリック信仰抜きでは語りえないということ。
そして、わたし自身のことに引きつけて云えば、奄美を所管するのは、コンベンツァル・フランシスコ修道会(過去なんどか変転があった)であり、わたしが通った小学校もこの修道会が運営しています。

つまり、わたしの幼少期の宗教観を決定したカトリック教会と、奄美の教会がつながっていることの縁(えにし)を
かみしめながら、カトリシズムについて語り得るのではないかということです。

★今回の語りで通底しようと思っているテーマは、しゃべる対象は奄美ですが、どうして特定の地域に、かくもカトリック信仰が根付いているのかを、私なりに分析をすることであることです。
またこの語りは、FMわぃわぃが、カトリックたかとり教会内にあることを意識していることも確かです。
信者のみなさんの前で語ることで、ひとつの共振空間を作っていけたら、と思っています。

—-では語る予定を書いておきます。時間の都合上、すべて語り得ないかもしれませんが——

★「奄美とカトリシズムをめぐる三つのテーマ」
(冒頭)「カトリシズム」の説明と、奄美大島北部は日本有数のカトリック信者の蝟集地であること。
なぜ奄美にカトリシャンが多いのか。–わたしが奄美の地元日刊紙である「南海日日新聞」に紹介した二人(神父と俳人)を介して、紹介していく。

(1)戦前に起こった「奄美カトリック弾圧事件」の紹介—-意外と知られていないのですが、戦前(昭和8年)に奄美市名瀬にあったカナダ系カトリックミッションスクール「大島高等女学校」が、旧日本陸軍、行政、民衆の圧力によって廃校させられる事件が起きている(奄美撤退後、鹿児島市に移転して現在にいたっている)。
プロテスタント系は弾圧の対象とならなかったのだが、ではどうしてカトリックが軍部の標的になったのか。
その経緯について語る。

(2)1942年に京都学派と言われる人たちが中心に行った「近代の超克」座談会は、現在でも思想課題として取り上げられることが多い。
その座談会に、(カトリック)神学者を代表して、吉満義彦が参加している。徳之島・母間集落出身の吉満が、どのような言説を展開して、かつ戦前の日本の思想情況に立ち向かおうとしたのかを語る。

(3)奄美に20年間居住して、ミホ夫人の影響で、カトリックの信者となった小説家・島尾敏雄は、毎晩就寝前に、聖書を読むことを習慣にしていたという。彼の作品の中にキリスト教的要素があるのかないのか、探っていく。
また、島尾がカトリックに対してどのように対峙していったのかも探りたい。