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「長田今昔ものがたり」第17話

第17話 尊氏さんの本陣 2016年11月5日放送

神戸の人は、足利尊氏と言ってもピンときません。湊川神社にまつられている楠公(なんこう)さんの方が、瓦せんべいと共に有名です。1月9日に柳原のえべっさんに行くとき、大黒さんをまつる福海寺があります。ここは足利尊氏が九死に一生を得たところ、大切にしたそうです。新田義貞・楠木正成軍との戦いでは、東尻池の宝満寺が尊氏の本陣になっています。長田神社をふくめ、こちらの人は駒ヶ林の浜から上陸した尊氏を応援しました。太平記では、苅藻川、尻池、蓮池など知った地名が登場します。歴史をみつめなおすことも、大切と思います。

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17話 苅藻川(新湊川)

「長田今昔ものがたり」第16話

第16話 一遍上人の来訪 2016年10月29日放送

時宗を起こした一遍上人は、布教行脚の途中、1289年8月に兵庫の観音堂で亡くなります。1266年あたりのころと思われます。臨済宗の法燈国師が、東尻池にある宝満寺に滞在し、一遍さんが教えを乞い、和歌を見てもらった逸話が有名です。「となふれば 仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして」。徹底してないぞ(未徹在)と不採用でした。もう一度詠みます。「となふれば 仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。真髄は放送でお聞きください。

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16話 和田岬にある壁画、一遍上人

「長田今昔ものがたり」第15話

第15話 須磨の松(閑話休題) 2016年10月22日放送

摂津では「梅は岡本、桜は生田、松の良いのは湊川」と言われてきました。須磨にも、源平合戦ゆかりの松があります。熊谷の「扇の松」、義経の「勢揃いの松」、弁慶の「鐘懸けの松」などです。松はなくなっても、「碑がのこっている」ところがあります。六甲山もはげ山だった時期が長く、大きな松だけが点々とあったらしいです。須磨に松が多いのは、海岸からの風が強いので、防風林の役目もありました。今は、離宮道(旧御幸道)の両側の松が「須磨の松」の面影をとどめています。お世話をつづけ、須磨一帯で「松」を育てる努力をやりたいものです。


15話 離宮道の松

「長田今昔ものがたり」第14話

第14話 源平勇士の碑 2016年10月15日放送

源平合戦は、1184年、生田の森から、須磨海岸まで、「赤勝て、白勝て」でわれわれの地で繰り広げられます。「一の谷はどこか」の論争もありますが、兵士が、たくさん亡くなっており、長田の地にも監物太郎の碑など、多くの慰霊塔があります。シンボル的なものは、村野工業高校の西にある「源平勇士の碑」です。父・知盛を、身をもって助けた知章や相手方の源氏の武士もいっしょに祀られています。「ノーサイド」の意味もあります。平家に大勢が味方した当地でした。破れて、土地の保有は源氏のものとなるはずでした。昔、平家の池禅尼が頼朝・義経の命を救った恩義で、土地は幸運にも「平頼盛」の所有で残ったのです。

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14話 源平勇士の碑

「長田今昔ものがたり」第13話

第13話 知られざる平敦盛 2016年10月8日放送

この回から、井上勇さん(須磨住人)も加わり、話題は須磨の方にも広がります。敦盛(あつもり)といえば、源平合戦では16歳、一の谷で熊谷直実に首を討たれます。須磨寺の山門横の、二人が対峙する姿は、「青葉の笛」とともに、あまりにも有名です。今、須磨浦公園にある五輪の塔が「あつもり塚」と呼ばれています。意外なお話は放送でお聞きください。敦盛は一般的に深い愛情を持たれていたようです。胴塚という供養塔(五輪塔)もありますし、鳥取には「愛馬の墓」も残っています。

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13話 敦盛塚

「長田今昔ものがたり」第12話

第12話 清盛さんの計画 2016年10月1日放送

福原に都があったのは、たった6ヶ月でした。しかし、兵庫、長田、須磨方面、海があり、港がある地域で「和田京」をつくるプランを清盛はもっていました。妙法寺や宝満寺(東尻池に移転)を新しい都の守りの寺と考えたようです。1162年に、西神戸の地に進出し、経ケ島を埋め立て、兵庫・神戸港の基礎を清盛は作ったのです。和田岬でも千僧供養があり、清盛と同い年の「西行」も同席しています。源平の戦いに敗れても、西神戸は平家の息のかかった土地として続きます。本当に、めぐまれた土地柄なのです。

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12話 築島工事での清盛からの感謝状