「お知らせ」カテゴリーアーカイブ

2011年1月1日元旦~パレスチナからの中継放送~

パレスチナコミュニティセンター

(写真は訪問先のコミュニティセンター)
「2011年パレスチナ・ヨルダン渓谷からの報告」
2011年1月1日土曜日14時半から15時までは、 「パレスチナ・ヨルダン川西岸地区に滞在中のFMわぃわぃレポーター2名と国際電話で、現地からのレポートを届けます。

パレスチナ青空小学校

(写真はベドウィンのこどもたちの青空学校の写真)

2011年新年のご挨拶

2011年1月1日コミュニティラジオFMわぃわぃ代表神田裕からの新年のご挨拶!

FMYY代表神田裕

神田裕あいさつパート1
みなさん、新年あけましておめでとうございます。FMYYの神田裕です。FMYYは神戸市長田区海運町から放送をお届けしています。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災、その時全国から救援に駆けつけてくださった仲間たちと共に、この放送局はスタートしました。そして、もうすぐ震災から16年を迎えます。

放送局のあるこの場所は、震災後すぐに救援基地ができ、活動が始まりました。たかとり救援基地です。ここは、被災したまちの人々と応援に駆けつけた人々との、つなぎの役割を担ってきました。公園での炊き出しは、体だけではなく心までもあたためてくれました。臨時診療所でお医者さんや看護師さんに診てもらうだけで、心身ともども元気になりました。壊れかけた建物にきれいな絵を描けば、まちに笑顔が戻りました。文通ボランティアは新たな友を作ってくれました。多言語での情報提供は、人々を孤独と不安から解放してくれました。
神田裕あいさつパート2
たかとり救援基地は、時を越えて、たかとりコミュニティセンターとして引き継がれ、今も「まちづくりひとづくり」の活動は続けられています。新しい仲間たちも増えてきました。もう地震を直接に知らない人たちも多くなってきましたが、このまちに足を踏み入れ、このまちの人々に出会ってしまえば、もう震災の仲間です。
たかとりの仲間は今年も元気です。現在9つの団体で構成されています。アジア女性自立プロジェクト、NGOベトナムin KOBE、多言語センターFACIL、ひょうごんテック、リーフグリーン、ワールド・キッズ・コミュニティ、世界コミュニティラジオ放送連盟日本協議会AMARCJapan、野田北ふるさとネット、そしてFMわぃわぃです。
神田裕あいさつパート3
多文化、多言語のまち、長田は、料理で例えれば、パエリア、ピビンバ、チャンプルー、そして炊き混ぜご飯にジャンバラヤ。実に不思議で、味わい深い、豊かな楽しいまちです。FMYYはそんな長田に住むすべての人たちの放送室です。
震災の時、私たちはお互いを励まし合うため声をかけ合いました。声をかけ合うことによってお互いを知ることができました。お互いを知ることによって、まちづくりが始まりました。FMYYはこれからもそのことを忘れません。一人一人が大切にされ、誰一人忘れ去られることのない「まちづくり、ひとづくり」を目指して、FMYYは今年もあなたの元へ飛んでゆきます。

アルゼンチン、ラプラタで開催されているAMARC(世界コミュニティラジオ放送連盟)世界大会開場からの報告(2)

FMわぃわぃが加盟している世界コミュニティラジオ放送連盟の世界大会が、11月8日から、アルゼンチンラプラタで開催されています。
そこにAMARC日本協議会の理事たちが参加しています。AMARC日本協議会理事で、三条ラジオカフェで「難民ナウ!」という番組を主催されているの宗田勝也さんから続報が届きましたので、ご覧下さい。
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AMARC10も4日目のクロージング・カンファレンスを終え、本日行われる役員選出や、明日のブエノスアイレスのコミュニティラジオ局訪問などを残すのみとなりました。
クロージング・カンファレンスには、デモクラシー・ナウ!のエイミー・グッドマンが登壇しました。
http://www.youtube.com/user/katsuyasoda/
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アルゼンチン、ラプラタで開催されているAMARC(世界コミュニティラジオ放送連盟)世界大会開場からの報告(1)

FMわぃわぃが加盟している世界コミュニティラジオ放送連盟の世界大会が、11月8日から、アルゼンチンラプラタで開催されています。
そこにAMARC日本協議会の理事たちが参加しています。AMARC日本協議会理事で、三条ラジオカフェで「難民ナウ!」という番組を主催されているの宗田勝也さんから,映像が届きましたので、ご覧下さい。

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皆さま

宗田です。
アルゼンチンで開幕したAMARC10回の会場に来ています。

非常に短い映像ですが、雰囲気だけでも何とかお伝えしたいと思い、
4本をyoutube上にアップしましたので、
よかったらご覧ください。

アルゼンチンは、初日はTシャツ、2日目はダウンジャケットが必要、と極端な気候ですが、世界から集まった仲間たちの熱気であまり気にならないくらいです。

初日は、オープンスピーチのあと、基調セッションが2つあり、そのあと開催されたラウンドテーブルで、吉富さんとともに発表をさせていただきました。
http://www.youtube.com/user/katsuyasoda/

食べ物のボリュームがすごく多いのですが、特にチーズやハムが美味しいです。
それではまた報告します。
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”ピース・ミュージック・フェスタ”10月30日31日辺野古ビーチにて開催!続報

ソウル・フラワー・ユニオン・モノノケサミット

2010年10月30日土曜日ピース・ミュージック・フェスタ”辺野古からのリポート (写真と文は日比野純一からのレポート)
10月30日31日辺野古ビーチにて開催!ピースミュージックフェスタ初日(30日)のトリはモノノケサミットでした。日比野@辺野古

辺野古ビーチ

辺野古ビーチ 向こう側とこちら側 日比野@辺野古

カッチャン</div>
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元コンディショングリーンのヒゲのかっちゃん。30数年前の中野サンプラザのライブ以来!!   日比野@辺野古</p>
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本日はラジオワークショップ~奄美とカトリシズム~FMわぃわぃ「南の風」奄美篇担当大橋愛由等さん

参加者

2010年10月30日辺野古で“ピース・ミュージック・フェスタ2010”が開催されているころ、ここFMわぃわぃの事務所奥のコーナーではラジオワークショップが開催されていました。
今回はFMわぃわぃ「南の風」奄美篇担当大橋愛由等さんのよる~奄美とカトリシズム~です。

日本のカトリック信者率が0.1%であるにもかかわらず、奄美では30%というから驚きです。
これはなにを意味するのか??

かつ世界の少数民族、先住民族はカトリック信者がとても多い、、、ということとも深く繋がるようです。

大橋愛由等さん

大橋さんの告知から抜粋いたしました。
★先日集中豪雨による大きな被害が出た奄美についてです。テーマは、「奄美とカトリシズム」

★奄美という場所はさまざまな局面から語りが可能ですが、今回はカトリシズムという観点に絞って語ります。
(去年は、「薩摩侵攻400年と奄美」というテーマで語りました。
だいたい一年に一回この「FMわぃわぃ・ラジオワークショップ」で〈奄美語り〉をしていこうと思っています)

★奄美を語るのに、カトリックに絞ることの意味は、日本の国内でも、カトリック信者数が多い地域であり、この地域の宗教を語るのに、カトリック信仰抜きでは語りえないということ。
そして、わたし自身のことに引きつけて云えば、奄美を所管するのは、コンベンツァル・フランシスコ修道会(過去なんどか変転があった)であり、わたしが通った小学校もこの修道会が運営しています。

つまり、わたしの幼少期の宗教観を決定したカトリック教会と、奄美の教会がつながっていることの縁(えにし)を
かみしめながら、カトリシズムについて語り得るのではないかということです。

★今回の語りで通底しようと思っているテーマは、しゃべる対象は奄美ですが、どうして特定の地域に、かくもカトリック信仰が根付いているのかを、私なりに分析をすることであることです。
またこの語りは、FMわぃわぃが、カトリックたかとり教会内にあることを意識していることも確かです。
信者のみなさんの前で語ることで、ひとつの共振空間を作っていけたら、と思っています。

—-では語る予定を書いておきます。時間の都合上、すべて語り得ないかもしれませんが——

★「奄美とカトリシズムをめぐる三つのテーマ」
(冒頭)「カトリシズム」の説明と、奄美大島北部は日本有数のカトリック信者の蝟集地であること。
なぜ奄美にカトリシャンが多いのか。–わたしが奄美の地元日刊紙である「南海日日新聞」に紹介した二人(神父と俳人)を介して、紹介していく。

(1)戦前に起こった「奄美カトリック弾圧事件」の紹介—-意外と知られていないのですが、戦前(昭和8年)に奄美市名瀬にあったカナダ系カトリックミッションスクール「大島高等女学校」が、旧日本陸軍、行政、民衆の圧力によって廃校させられる事件が起きている(奄美撤退後、鹿児島市に移転して現在にいたっている)。
プロテスタント系は弾圧の対象とならなかったのだが、ではどうしてカトリックが軍部の標的になったのか。
その経緯について語る。

(2)1942年に京都学派と言われる人たちが中心に行った「近代の超克」座談会は、現在でも思想課題として取り上げられることが多い。
その座談会に、(カトリック)神学者を代表して、吉満義彦が参加している。徳之島・母間集落出身の吉満が、どのような言説を展開して、かつ戦前の日本の思想情況に立ち向かおうとしたのかを語る。

(3)奄美に20年間居住して、ミホ夫人の影響で、カトリックの信者となった小説家・島尾敏雄は、毎晩就寝前に、聖書を読むことを習慣にしていたという。彼の作品の中にキリスト教的要素があるのかないのか、探っていく。
また、島尾がカトリックに対してどのように対峙していったのかも探りたい。