2011年4月11日月曜日「まちはイイキイキきらめきタイム」12時30分から7日から被災地に入っているスタッフとの今までの勝活動報告を電話中継でお送りしました。以下はその概要です。
7日
宮城県国際交流教会
仙台市国際センター
8日
カトリック仙台教区事務所
ジャパンプラットフォーム仙台事務所
総務省東北総合通信局
コミュニティ放送局 FMいずみ
9日
塩竈市 臨時災害FM局
カトリック塩竈教会
松島町役場
亘理町 臨時災害FM局
山元町 臨時災害FM局
名取町 臨時災害FM局
つなプロ(被災者とNPOとつないで支えるプロジェクト)
10日
オタワ修道会
カトリック石巻教会
石巻市立湊小学校
石巻市 臨時災害FM局
女川町立第一小学校
石巻NPO
「わぃわぃの支援活動」カテゴリーアーカイブ
東日本大地震の被災地レポート(山形〜仙台〜塩竈〜松島)
日比野@FMわぃわぃです。被災地支援活動を今後の本格的に展開していくために3月23日から26日まで被災地を訪れています。
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昨日(3/23)、大阪から空路で山形に入った。空港から直接、フィリピン人コミュニティの教会であるカトリック新庄教会に向かいました。ここには福島から被災したフィリピン人家族が一世帯避難している。新庄教会は元幼稚園を改装したばかりで、さらに30名くらいのフリンピン人の受け入れが可能である。近くにフィリピン人の方がいたら伝えてください。連絡はカトリック山形教会の本間神父さんまで。電話080-6016-8088
今日(3/24)は、今朝6時から開通した高速道路で山形から仙台に向かった。途中、高速道路の給油所でガソリンを給油。一台2000円まで。でも3時間待ちの列の街中の給油所に比べれば、並んだ時間は30分のみ。
仙台ではカリタス・ジャパンの救援センターに。本部を市内におき、ボランティア基地を被害の大きい塩竈市と石巻市に設けて、地元の社会福祉協議会と協力してボランティアが津波の被災地で支援活動を行っている。教会に寝泊まり可能なボランティアを募集中 090-1217-3233 sendaidsc@gmail.com
ソウルフラワーユニオンがハイチ支援のためのTシャツを販売
ソウルフラワーユニオンの特製Tシャツ「HAITI HEARTS CONNECTED WITH US!」(『私達の道は、ハイチの人々の心と繋がってる』)が販売されています。
(詳細はこちらから)
FMわぃわぃからのご報告
ハイチ支援の寄付金、ありがとうございました。ソウル・フラワー・ユニオンさんの分(89,878円)と合わせてFMわぃわぃ分(124,860円)もハイチに送ることにしました。
ハイチの被災コミュニティラジオ6局の再建工事を現地で担っている国際協力NGOのBHNテレコム支援協議会のスタッフ2名が 8月21日から三度目のハイチ入りをしますので私たちの寄付金(合計214,738円)を持って行ってくれることになりました。
そして、お金だけでなく、ハイチの人たちのことを決して忘れていない私たちの想いを現地のコミュニティラジオ局の仲間達に届けてくれます。
BHNのスタッフ2名は、4月に私と一緒にハイチを訪れてコミュニティラジオ局の被災調査をして、その後、再建工事を担っています。
2010.8.18 FMわぃわぃ代表 日比野純一
アフガン難民は支援の蚊帳の外に(パキスタン洪水レポート)
【イスラマバード9日=日比野純一】7月下旬からの洪水で最も被害の大きかった町が、北西辺境州の州都ペシャワールから東に15キロほどのナウシャラーである。このあたりは、パシュトン人の居住地域であり、同じパシュトン人のアフガニ難民もたくさん暮らしている。そして、タリバンが潜む危険な地域でもある。
訪れたキャンプは地方政府によって設置されており、運営は政府の役人と地元のNGOが共同で行っている。当初567世帯が避難していたが、2ヶ月が経過して水が引き、このうち184世帯は住宅再建用の義援金を政府から受け取り村に戻っている。ところが、残りの世帯には義援金はまだ配布されていない。
家が損壊したと認定された世帯には政府から義援金(約10万円)を受け取るための銀行カードが配布され、被災者はそれを使って銀行から現金を引き出すことができる。しかし、そのカードが配られていない地域があったり、配られても銀行で引き出せないなど、トラブルが耐えず、インタビューの最中にもキャンプの内で抗議デモが起こるほどだ。
さらに、アフガン難民の被災者(上の写真)は、パキスタン国籍を持たないため政府による支援の蚊帳の外におかれがちで、もちろんカードは発給されていない。
被災地での生活が始まっている!(パキスタン現地レポート)
【ムルタン3日=日比野純一】洪水から2ヶ月余りがたち、少しずつ水が引き始めています。ムルタンの近くの被災者キャンプでは、すでに50%の人々が自分のホームエリアにかえっていました。
キャンプに残っている人々も工芸品をつくって、それを市場で売りはじめていました。一家総出での作業です。ベッドの素地を4日かけてつくって、200円。月収が3~4千円ですので、家計を支える大きな収入源になっています。