「FMわぃわぃ番組情報」カテゴリーアーカイブ

12月21日から関西学院大学総合政策学部山中速人研究室の3年生の作品は「震災後、それぞれの軌跡」です。

関西学院大学3年槇野さん

2010年12月21日火曜日12時からの「まちはイキイキきらめきタイム」13時からの関西学院大学総合政策学部山中速人研究室の3年生のメディアの実践は『震災後、それぞれの軌跡』と題して、年齢、国籍、当時の状況が全く違う人々を、学生がこの半年間じっくりとお話を聞き番組として完成させました。
第1回目の本日は槇野晴佳さん。お話を聞かせていただいたのは、神戸市職員觜本郁さん(はしもとかおる)さんです。

神戸市職員觜本郁さん

觜本郁さんは、当時もそして今も神戸市の職員で、震災当時から今まで被災者の方への多くのボランティア活動を行ってきた方です。震災直後は遺体の処理のお手伝いをなさっていたそうです。そしてこれまでの15年ではホームレスの方の支援をしてこられたという、震災直後の活動とその後のボランティア活動についてのお話をしていただきました。
FMわぃわぃは周波数77.8メガヘルツ、インターネットはサイマルラジオで同時放送、またこのコーナーは
「関西学院大学」のサイトでポッドキャスチングとしていつでもお聞きになることができます。

元町映画館~スプリング・フィーバー中国南京の現代を生きる若者の物語

大木正俊さん

2010年12月18日土曜日の「KOBEながたスクランブル」13時からのじっくりとゲストとお話しするコーナー「KOBEスクランブル交差点」にご出演は、姫路獨協大学の先生で、かつ元町映画館立ち上げのメンバー大木正俊さんにおいでいただきました。

関西学院大学総合政策学部4年卒業制作第11回は、『私の就職活動体験談』

関西学院大学4年久保直大君

2010年12月14日火曜日「まちはいいキイキきらめきタイム」13時からのコーナーは、関西学院大学総合政策学部山中速人研究室の学生達の番組を放送しています。本日が4年生卒業制作の最後の第11回目担当は久保直大さん。タイトルは、『私の就職活動体験談』です。
就職氷河期の現代の就職戦線を、当事者である大学生の目から見た番組です。
FMわぃわぃの放送は周波数77.8メガヘルツ、インターネットはサイマルラジオで放送しています。
又この番組は、関西学院大学のサイトで、ポッドキャスティングとしていつでもお聞きになることができます。

まちはイキイキきらめきタイム 2010年12月13日月曜日

NPO法人えにし副理事長 坂尾和子さん

(写真は、NPO法人えにし副理事長 坂尾和子さん)
2010年12月13日月曜日「まちはイキイキきらめきタイム」。
ゲストは、NPO法人えにし副理事長 坂尾和子さんです。

介護認定を受けていない方のためのデイサービスや、西区岩岡町で実施計画を進めておられる
ホームホスピスについて、お話をお伺いしました。

ホームホスピスとは、神戸ではまだ、なじみがありませんが、自宅、グループホーム、病院、介護施設とは異なる選択肢として一軒家ならではの寛げ、励まされる環境で、人生の最期を、精一杯に生ききるための「家」であり、「下宿」のようなイメージの設備です。

入居上限は5名ほどの方々で、各自の介護保険でヘルパーの方に来て頂いたり、医師の往診を受けて過ごすそうです。

いまの年齢や境遇に関係なく、自分自身や家族が、どう最期を迎えるのが理想か考えることは、
日々の生き方にも繋がってくることだと再確認しました。

■ボランティア応募、物品寄付などの問い合わせ先:
 NPO法人えにし(仮事務所)
 FAX: 078-643-4324
≪安西佐有理≫

ガラパゴス楽団の宮北裕美さん、18日と19日に新長田でダンスパフォーマンス公演

12月10日(金)の昼の番組「まちはイキイキきらめきタイム」は、ガラパゴス楽団主宰の宮北裕美さんをゲストにお迎えしました。宮北さんが構成・振付をされたダンスパフォーマンス「i・iの死」12月18日と19日に新長田のArt Theater dB KOBE(アスタくにづか4番館4階)で催されます。お問い合わせは、NPO DANCE BOX TEL: 078-646-7044 まで。

東チモールの現状報告~中村隼人さん~スペイン政府から派遣された経験から。

中村隼人さん、YY事務所で

2010年12月11日土曜日の「KOBEながたスクランブル」13時からはじっくりとお話を聞くゲストコーナーです。
本日はスペイン政府から国際協力開発庁コンサルタントとして、東チモールオンブズマン事務所に派遣された中村さんから、今の東チモールの姿をお話いただきます。
アジア・パシフィックの国々の現状は、世界の中の先進国といわれる国々の、その覇権争いにさらされた傷跡が今もなお深く残っています。

東チモールのイメージした民族的建物
東チモールの景色
東チモールの景色

東ティモールの言語 テトゥン語(しかし造語能力がない言語→時代に即したシステム・機械を表現するのが困難)+ポルトガル語(しかし話せる、読める人々は一般的には存在しない。大統領がポルトガルに亡命していたということのみの設定)+インドネシア語(テレビはインドネシアの番組がそのまま流れてくる。音楽は全てインドネシア語であり、情報はインドネシアの情報)

東チモールの景色

歳入のほとんどが、海外からの支援・援助金!生活用品のほとんどすべてと言ってもいいほどのものが、インドネシアからの輸入。インドネシアの依存。入国のすべである飛行場の設備が非常に貧困。そして経費が高い!素晴らしい自然があっても観光産業が成り立たない!という「ないないない」づくしの世界的貧国。

東チモールの景色

以上のようなことの起因は、世界の覇権争うに巻き込まれたことによる。
16世紀ポルトガルのチモールの植民地化。
17世紀~19世紀オランダがインドネシア植民地化、同様にチモールにも進出したが、西チモールはオランダ支配、東チモールは、そのままポルトガル支配。
第二次世界大戦にも巻き込まれ、日本、オランダ、オーストラリアが進出し、インドネシアは独立を勝ち取ったが、東チモールは以前ポルトガル支配を受けた。
1975年ポルトガルからの独立宣言するもこんどはスハルト政権によるインドネシア支配
1998年スハルト政権の崩壊で1999年独立を問う住民投票が行われ、なんと21世紀に入っての2002年やっと独立することとなった!!