「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第19話

第19話 鎌倉の人 2016年11月19日放送

北条高塒は、1333年鎌倉の「腹切りやぐら」で283名全員自決したとの話があります。ある説では、次男時行は逃げることができ、その子、時孝が東尻池に隠れたのです。2つのお墓に、その言われが刻まれています。俳優の高倉健さんは福岡出身ですが、その4人兄弟の北条篤孝の流れと言っています。それらの先祖をもつ友人たちは、足が速かったり、ラグビーのバックスだったりしました。そんな話題ができ、鎌倉とわれわれの「つながり」が実感できるのもありがたい土地柄なのです。

nagatakonjaku_19_1
第19話 近所にあるお墓の記録

「長田今昔ものがたり」第18話

第18話 五輪の塔(鎌倉時代) 2016年11月12日放送

須磨にお住まいの井上勇さん、長い間、社寺の建築のお仕事をされていました。五輪の塔にも、くわしいのです。平安中期ころより日本各地に大型五輪塔が建立されはじめ、現存され現在に至っています。大がかりな石塔であり、庶民の及ぶところではなく、時の治権者か豪族が建立したのではないでしょうか。写真は中世・最大の塔で、鎌倉時代のもの。前に紹介した「敦盛塚」など、平家一門の塔も多い。高野山にゆけば、多くの五輪の塔をみることができる。神戸には4基残っています(全国では50基ほど)。

nagatakonjaku_18_1
18話 石清水八幡宮・神応寺

「長田今昔ものがたり」第17話

第17話 尊氏さんの本陣 2016年11月5日放送

神戸の人は、足利尊氏と言ってもピンときません。湊川神社にまつられている楠公(なんこう)さんの方が、瓦せんべいと共に有名です。1月9日に柳原のえべっさんに行くとき、大黒さんをまつる福海寺があります。ここは足利尊氏が九死に一生を得たところ、大切にしたそうです。新田義貞・楠木正成軍との戦いでは、東尻池の宝満寺が尊氏の本陣になっています。長田神社をふくめ、こちらの人は駒ヶ林の浜から上陸した尊氏を応援しました。太平記では、苅藻川、尻池、蓮池など知った地名が登場します。歴史をみつめなおすことも、大切と思います。

nagatakonjaku_17_1
17話 苅藻川(新湊川)

「長田今昔ものがたり」第16話

第16話 一遍上人の来訪 2016年10月29日放送

時宗を起こした一遍上人は、布教行脚の途中、1289年8月に兵庫の観音堂で亡くなります。1266年あたりのころと思われます。臨済宗の法燈国師が、東尻池にある宝満寺に滞在し、一遍さんが教えを乞い、和歌を見てもらった逸話が有名です。「となふれば 仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏の声ばかりして」。徹底してないぞ(未徹在)と不採用でした。もう一度詠みます。「となふれば 仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。真髄は放送でお聞きください。

nagatakonjaku_16_1
16話 和田岬にある壁画、一遍上人

「長田今昔ものがたり」第15話

第15話 須磨の松(閑話休題) 2016年10月22日放送

摂津では「梅は岡本、桜は生田、松の良いのは湊川」と言われてきました。須磨にも、源平合戦ゆかりの松があります。熊谷の「扇の松」、義経の「勢揃いの松」、弁慶の「鐘懸けの松」などです。松はなくなっても、「碑がのこっている」ところがあります。六甲山もはげ山だった時期が長く、大きな松だけが点々とあったらしいです。須磨に松が多いのは、海岸からの風が強いので、防風林の役目もありました。今は、離宮道(旧御幸道)の両側の松が「須磨の松」の面影をとどめています。お世話をつづけ、須磨一帯で「松」を育てる努力をやりたいものです。


15話 離宮道の松

「長田今昔ものがたり」第14話

第14話 源平勇士の碑 2016年10月15日放送

源平合戦は、1184年、生田の森から、須磨海岸まで、「赤勝て、白勝て」でわれわれの地で繰り広げられます。「一の谷はどこか」の論争もありますが、兵士が、たくさん亡くなっており、長田の地にも監物太郎の碑など、多くの慰霊塔があります。シンボル的なものは、村野工業高校の西にある「源平勇士の碑」です。父・知盛を、身をもって助けた知章や相手方の源氏の武士もいっしょに祀られています。「ノーサイド」の意味もあります。平家に大勢が味方した当地でした。破れて、土地の保有は源氏のものとなるはずでした。昔、平家の池禅尼が頼朝・義経の命を救った恩義で、土地は幸運にも「平頼盛」の所有で残ったのです。

nagatakonjaku_14_1
14話 源平勇士の碑