「ヘイトスピーチの背後にあるもの~歴史認識問題はなぜ生まれるのか?」その1再放送


コメンテーター能川元一さん

先週までの樋口さんのシリーズに引き続き、春にお送りした哲学的見地からヘイトスピーチについて解析された能川元一さんの放送を、2014年8月19日火曜日13時放送を5回にわたり再放送でお送りします。
樋口直人さんの在特会幹部への取材から見えてきたのも、解析と合わせて検証いただくことを期待しております。
今後FMわぃわぃのWEBに音声アップしていく予定です。
「ヘイトスピーチの背後にあるもの、歴史認識問題はなぜ生まれるのか」放送概要

第一回4月15日放送分の再放送

ヘイトスピーチとは何か
街頭でのデモで人種差別を声高に叫んだり、サッカー場で差別的な横断幕を広げたり、特定の人たちやマイノリティの人たちに差別的な表現を激しい言葉でぶつけるなどのことである。様々なところで行われるヘイトスピーチやデモを比べてみると、ある種の共通の歴史問題についての見方、歴史的な認識というものがあるといえる。

ネットでのヘイトスピーチ
ヘイトスピーチは最近、流行語のようになっているが、インターネットの世界では、かなり前からある言葉である。2002年の日韓ワールドカップが一つの転機だった。そのころを境に、ネット上で民族差別的な表現が表に目立つようになった。それ以前は人知れずするもの、表だってできないものだった。ヘイトスピーチをネット上で行っている人々、ブログやツイッターなどの書き込みを観察していくと、ただ単に差別的な発言だけではなく、彼らの他の問題、たとえば歴史認識問題とかについて一定の明らかな方向性が見えてくる。さらにインターネット上でのヘイトスピーチのもう一つ特徴としては、彼らは自分たちの行いが非常に道徳的に正しいと思っていることがわかる。

「認識」の問題と「道徳」の問題
ネット上でヘイトスピーチを行っている人々は、自分たちの主張をどのように道徳的に正当化しているのか、これは「道徳」の問題という。歴史認識問題をめぐる哲学研究は、歴史学の成果といった知識、その知識が社会の中でどういうふうに受け取られていくのか、受容されていくのか、あるいは受け取られずに拒否されていくのか、つまり「認識」(世界を知る/理解する働き)の問題というものを扱っている。「道徳」の問題も「認識」の問題も、伝統的に哲学が扱ってきたものだから、この二つの観点からヘイトスピーチや歴史認識問題というものを、哲学の過去の知見などを使って考えることが出来るのではないかと野川の主張である。

歴史修正主義とは
英語の「historical revisionism 」→ホロコースト否定論から来ている言葉である。
しかし「見直し」という言葉は本来別に悪い意味を持っているわけではない。事実、学問としての歴史学の中でもいろいろ見直されてきたことがたくさんあるわけである。しかし、実際には全く学問的でない、歴史学的でない手法で作られた歴史学は、偽史歴史学と言い、学者はそれを「歴史修正主義」と呼ぶ。したがって「歴史修正主義」は、一種の疑似歴史学であるといえる。