まちイキ2011,5,26(木)号


韓国・慶州 朴氏の始祖「新羅王」の稜

(写真は韓国・慶州 朴氏の始祖「新羅王」等の稜の前での朴明子さん)
担当:ユミタンこと平野由美子、心美人ことパク・ミョンジャ(朴明子)
<今日の1曲目>シリーズ・朝鮮半島の童謡「コッパッ 花畑」。
~ピンクの花 黄色い花 咲いたよ トンボもチョウチョウも来るよ。栗の実とろうとして シマリスが落っこちたよ~
<大阪ぐるぐる>は、あっちゃんが休みなので
<ウリエホジュモニうちらのポケット>、ミョンジャの「行ってきましたコーナーその①」に。

講演中のフォトジャーナリスト 伊藤孝司さん

・日本軍「慰安婦」問題について政府に誠実な対応を求める宝塚市議会意見書可決3周年「5・7 映画とおはなしのつどい」ドキュメンタリー映画「アリラン峠を越えて」上映。伊藤孝司監督のお話。
伊藤監督は、フォトジャーナリストとして日本が過去に行った植民地・戦争によって被害を受けたアジアの人々の「過去」と、日本が行なっている国内やアジア諸国での大規模な環境破壊の「現在」を、アジアの民衆の視点からとらえたいとの思いで取材している。
この映画は日本軍に性奴隷され、現在、朝鮮民主主義人民共和国に住むハルモニを主人公にしたもの。伊藤監督は幾つもの峠を越えて入院中の病院を訪ねる。テレビでは放映されることのない素朴な朝鮮の人々の暮らしや、ハルモニの家族が日本人の伊藤さんを温かく迎えてくれる姿など、心が洗われる映像だった。
<今日の2曲目>「慕情」フォー・エイセス
<情報・お知らせ>
①強制連行ネットワーク・全国研究発表会 
②日本人はなぜ知らないのか! 教えられない中国侵略。6月10日18:30~
エル大阪 701号 
③朝鮮人被爆者を考えるシンポ。6月18日 13:00~ クレオ大阪 
④もっと知りたい! 原発とエネルギーと私たちの関係
<3曲目>「ムドム 墓」チャン・サイ
<ウリエホジュモニ>「行ってきましたコーナー その②」

朴家「宗親会」にて

・パク・ミョンジャは韓国・慶尚南道へ父方のいとこたちの集まりに初めて参加した。
朴家「宗親会」は35回目という。日本からは私たちきょうだい、そしていとこの息子の5人。
金浦空港には、以前日本に来たことのある3人が迎えに来ていた。懐かしく再会を喜び合う。
2台の車が真っ先に向かったのは人里離れた先祖の墓。
父の親たちの墓は、貧乏だったからこんな不便な土地だという話を聞いて、便利なところに移せないのかと思ったのだが。
土を盛った饅頭型のお墓の前で、「始めまして、ハラボジ おじい様、ハルモニ おばあ様」。どんな人だったのか想像もつかない先祖に、跪いてクンジョル(大礼)をする。草が顔にこそばゆい。
ホテルへという望みは軽く一蹴され、従弟の家、違う従兄の息子の家などに泊まることになる。
そこはホテルよりも立派な家ではあったがー。どこに行っても歓待を受けた。
私たちは冷や汗をかきながらたどたどしい母国語で応じた。
「宗親会」は場所を借りて、前半はたセレモニーがあった。

「宗親会」の旗

立派な旗や大きな垂れ幕が掛かっている。
家族の紹介、会に貢献のあった人への表彰式、記念撮影があった。
その後、それぞれが準備してきた山のようなご馳走を前に、歌や踊りが披露される。
覚悟はしていたが私も歌わされた。日本の歌でもと言われたがもちろん韓国の歌を歌った。
「朝露」これは広く親しまれているフォークソング。みんな口ずさんでいた。
会場では懐かしい慶尚南道の方言が飛び交い、父や母を想い起させる。
翌日は慶州に行く計画が練られていた。近くで観光をという私たちを、大学の教授をしている従兄の息子は「韓国でもっとも多忙な人間が5人いるが、その1人の私が休暇をとって連れて行くというのに、何で断るのです?」と説き伏せた。
彼にこの宗親会についてインタビューした。要約してみる。
「歴史的にみると新羅建国の朴赫居世王から63代目で、トルリムチャ行列字の「熙」の付く代の人(私たちの代)を中心にした家族の集まり。蜜陽朴氏の一つの分派。こんな機会があると、子どもたちも、日本にも親戚がいるのだと知ることができる。
良い家族が社会の小さな構成単位であれば良い社会をつくり、国の発展を促す。
そんな気持ちでこのような集まりが続いてきたのだと思う」。
翌日、慶州までのかなりの距離を超スピードで車を走らせ、世界文化遺産の「石屈庵」、「仏国寺」などを、彼はプロ並みのガイドで私たちを楽しませてくれた。そしてここは絶対はずせないと行ったのは、朴家の始祖、古代国家新羅の「朴赫居世」王などの稜。
私たちが63代目! なのだ。なーんだか妙な気分。
その後、母方の従兄に会うため釜山に向かった。ここでようやく望みがかなってホテルに泊まれた。従兄が宿泊費を支払ってくれたのだが。
母の妹の息子である従兄には以前にもお世話になっている。物静かなその従兄に、父方の従兄が韓国では父方が優先順位が上だからな、としきりに念を押しているのがおかしかった。
そして日本語が分かると言いながら私たちに「えー、あれはなんと言うのだっけ?」と聞いては怪しげな日本語で話すので食事中笑いが絶えなかった。
最後の日、13年前に訪れた時よりうんとおしゃれになった釜山の街に、お土産を買いに走って半日は過ぎた。私たちの民族は血の繋がりを何よりも大切にしていることを強く感じ、温かな心持になって機上の人となる。さまざまな事情で、この年になるまで韓国の親戚を親しく訪ねることはなかった。離散家族が1000万人もいる朝鮮民族の悲劇がここにも存在する。

形見の指輪

「3つの指輪」 大きいのは、この度、母の妹の息子にもらったもの。 真ん中は今は亡き母の妹にもらったもの。端のは母が故郷に帰った時のみやげ。形見となった。
<今日の4曲目>「アチム イスル 朝露」ヤン・ヒウン楊姫銀。1970年、キン・ミンギ 金敏基 作詞作曲。反体制運動を象徴する歌。
                                                                        朴明子記