ハイチ地震の被災地レポート(1)【ポルトープランスより日比野純一】


ハイチ地震で被災した仲間のコミュニティラジオを支援するために、FMわぃわぃ代表の日比野純一が6日から国際協力NGOのBHNテレコム支援協議会の2名のスタッフとともににハイチに滞在しています。現地からのレポートをお読みください。

【4月6日】
ポルトープランスは阪神淡路大震災から1〜2ヶ月後の神戸のようです。まちの至るところにテント村があります。同時にたくさんの露天商の屋台があり、人々の生活は切羽つまった近況状態からはやや脱した様子です。
しかし、全壊の建物だらけの町なのに、瓦礫撤去もほとんど手付かずの状態で、倒壊した家やビルはそのままの状態で放置されています。復興がどれだけの時間がかかるのか、それだけで察しがつきます。
午後からはAMARC(世界コミュニティラジオ放送連盟)の仲間である中間支援NGO「SAKS」のメンバーと、こちらでの活動についてのミーティングを持ちました。7日からから首都ポルトープランスを離れて、コミュニティラジオのある農村部に行きます。


【4月7日】7日から首都ポルトープランスを離れ、農村部の被災地に向かいました。車窓からは、あまりに無残な状態のまま放置されている建物や瓦礫が車道沿いに並びその合間に無数のテント村がありました。行き交う車は、国連や援助団体の旗やマークをつけてものが多く世界中の人々が支援に訪れていることがわかります。

神戸のNGO「海外災害援助市民センター」(CODE)が活動拠点をおいている激震地の一つ、レオガンを通過して、いくつものを山を越えてポルトープランスとは島の反対側にあるBianetという村に向かいました。

途中、一回の昼食休憩を除いて、7時間の悪路走行でした。道中の8割は舗装されておらず、その半分は岩がごつごつしている川底のような道で地震の前からインフラが整備されていないことがよくわかります。山道は、地震によって土砂崩れを越している場所が多々あり国連の重機が土砂を除いて、交通を確保してくれているのですがその最中にも土砂崩れが起き、恐る恐るの山道走行が続きました。

頭にバケツやポリタンクを乗せた女性達が道祖沿いを歩いている様子は車中から見える当たり前の風景です。ハイチの人々の暮らしは非常に貧しく、水道設備は主要な町を除いてはありません。水道と同様に電気供給設備も十分に整っておらず人々は、発電機や蓄電機を使って電気を確保しています。机ひとつに蓄電機にコンセントをつないだ携帯電話充電屋が町には必ずあります。

ハイチでは固定電話の設備が国中を網羅しておらず携帯電話が唯一のコミュニケーション手段です。道路、水道、電気、固定電話。日本では当たり前のインフラがここにはなくそれはハイチ政府が社会基盤を整備できていなかったことの証です。

また、国土が山がちで、カリブ海に面した地域以外は畑に恵まれず、その沿岸部もサトウキビとバナナの畑ばかりで、穀物の畑を見ることはありませんでした。山間部では、非常に急な勾配の山を活用して、猫の額にも満たない畑を耕している農夫を車から何回かみかけましたが、とても日本の段々畑といえるものではありません。

地震はそんなハイチを襲ったのです。
(つづく)