東チモールの現状報告~中村隼人さん~スペイン政府から派遣された経験から。


中村隼人さん、YY事務所で

2010年12月11日土曜日の「KOBEながたスクランブル」13時からはじっくりとお話を聞くゲストコーナーです。
本日はスペイン政府から国際協力開発庁コンサルタントとして、東チモールオンブズマン事務所に派遣された中村さんから、今の東チモールの姿をお話いただきます。
アジア・パシフィックの国々の現状は、世界の中の先進国といわれる国々の、その覇権争いにさらされた傷跡が今もなお深く残っています。

東チモールのイメージした民族的建物
東チモールの景色
東チモールの景色

東ティモールの言語 テトゥン語(しかし造語能力がない言語→時代に即したシステム・機械を表現するのが困難)+ポルトガル語(しかし話せる、読める人々は一般的には存在しない。大統領がポルトガルに亡命していたということのみの設定)+インドネシア語(テレビはインドネシアの番組がそのまま流れてくる。音楽は全てインドネシア語であり、情報はインドネシアの情報)

東チモールの景色

歳入のほとんどが、海外からの支援・援助金!生活用品のほとんどすべてと言ってもいいほどのものが、インドネシアからの輸入。インドネシアの依存。入国のすべである飛行場の設備が非常に貧困。そして経費が高い!素晴らしい自然があっても観光産業が成り立たない!という「ないないない」づくしの世界的貧国。

東チモールの景色

以上のようなことの起因は、世界の覇権争うに巻き込まれたことによる。
16世紀ポルトガルのチモールの植民地化。
17世紀~19世紀オランダがインドネシア植民地化、同様にチモールにも進出したが、西チモールはオランダ支配、東チモールは、そのままポルトガル支配。
第二次世界大戦にも巻き込まれ、日本、オランダ、オーストラリアが進出し、インドネシアは独立を勝ち取ったが、東チモールは以前ポルトガル支配を受けた。
1975年ポルトガルからの独立宣言するもこんどはスハルト政権によるインドネシア支配
1998年スハルト政権の崩壊で1999年独立を問う住民投票が行われ、なんと21世紀に入っての2002年やっと独立することとなった!!