2015年1月9日、まちはイキイキきらめきタイム、ハロー長田のコーナは長田消防署のご担当。本日のゲストは消防防災課消防係で地域防災を担当されている菅井晶さんです。
冒頭、阪神大震災発生時の菅井さんの体験談を伺いました。
1月17日当日は大谷町の自宅で風邪で疲れた状態で休んでいたので、地震に気づくことなく、ぐっすり寝ていたところ、母親に起こされたそうです。隣のおばちゃんも地震に気がついていなかったそうです。自宅は全壊で更地にする程の被害だったそうですが、こういうこともあるのだと、このお話をお聞きしてびっくりしました。
地震発生後は、当時父親が脳梗塞で倒れていたので、すぐさま避難所へという事はせず、余震を考え、外は寒いのでとりあえず、玄関を少し開けた状態で、すぐ脱出はできるようにして、靴を履いてもらい、暖房器具を用意し待機させたまま、自分は消防署員として出動されたそうです。
幸い翌日三田のご親戚が救援に駆けつけてくれ、両親を避難させることができたそうです。
当時の勤務先は垂水消防署だったそうですが、とりあえず近くの長田消防署に出勤し消火活動などの手伝い。
垂水に戻ったところ、長田の支援をするように言われ、再び長田で活動。長田では火災の応援が主で、水不足は非常に深刻でホース1本を延々と引っ張りプールの水を放水するなどの苦労の上での消火活動でした。
菅井さんは、個人的に、震災が起こる前危惧していたことがあったそうです。それはもし神戸で大地震が発生した場合、新幹線の脱線と南部海岸沿いの石油コンビナートの火災です。
しかし幸いなことに、二つとも震災直後に大きな問題はない事がわかり、ほっとしたと話されました。もし石油コンビナートに火災が発生した場合、消防署としては、最優先でコンビ―ナート消火に当たる必要があり、他の火災に手が回らなくなる、その場合一般家屋の火事には手が回らず、より市民の被害は多くなるところでした。新幹線の走行の時間ではなく、またコンビナートもきちんとした設計の上での設置だったことは大変重要なことであるとお聞きして思いました。
菅井さんは、現在のように核家族化が進み、一人暮らしのお年寄りが多くなると災害時支援が行き届かない場合が多発すると心配されています。そのためにも、日頃から家族・親戚が助け合う体制を作っておいてほしいと願っておられるそうです。
そのためには、日頃から人の繋がり、世代間の継承が途切れないようにすることが重要です。その意味もあり、学校は最重要の位置付けであるとお考えで、よく学校に出向きお話をすることに務めてられます。
経験のない子どもたち、新しく神戸に来られた方々にお話しするうえでの問題は、阪神大震災の映像資料が、個人情報保護や著作権の関係で使用が難しくなっていることだそうです。
**間もなく阪神淡路大震災20年を迎えます。
菅井さんより当時の消防の対応状況などを伺い、改めて大災害発生時はコミュニティや家族の助け合いが非常に重要であることから、日頃から家族、近隣と災害対応の話し合いをしておくことの重要性を再認識しました。