
ソウルフラワーユニオンの特製Tシャツ「HAITI HEARTS CONNECTED WITH US!」(『私達の道は、ハイチの人々の心と繋がってる』)が販売されています。
(詳細はこちらから)
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ハイチ支援の寄付金、ありがとうございました。ソウル・フラワー・ユニオンさんの分(89,878円)と合わせてFMわぃわぃ分(124,860円)もハイチに送ることにしました。
ハイチの被災コミュニティラジオ6局の再建工事を現地で担っている国際協力NGOのBHNテレコム支援協議会のスタッフ2名が 8月21日から三度目のハイチ入りをしますので私たちの寄付金(合計214,738円)を持って行ってくれることになりました。
そして、お金だけでなく、ハイチの人たちのことを決して忘れていない私たちの想いを現地のコミュニティラジオ局の仲間達に届けてくれます。
BHNのスタッフ2名は、4月に私と一緒にハイチを訪れてコミュニティラジオ局の被災調査をして、その後、再建工事を担っています。
2010.8.18 FMわぃわぃ代表 日比野純一
【イスラマバード9日=日比野純一】7月下旬からの洪水で最も被害の大きかった町が、北西辺境州の州都ペシャワールから東に15キロほどのナウシャラーである。このあたりは、パシュトン人の居住地域であり、同じパシュトン人のアフガニ難民もたくさん暮らしている。そして、タリバンが潜む危険な地域でもある。
訪れたキャンプは地方政府によって設置されており、運営は政府の役人と地元のNGOが共同で行っている。当初567世帯が避難していたが、2ヶ月が経過して水が引き、このうち184世帯は住宅再建用の義援金を政府から受け取り村に戻っている。ところが、残りの世帯には義援金はまだ配布されていない。
家が損壊したと認定された世帯には政府から義援金(約10万円)を受け取るための銀行カードが配布され、被災者はそれを使って銀行から現金を引き出すことができる。しかし、そのカードが配られていない地域があったり、配られても銀行で引き出せないなど、トラブルが耐えず、インタビューの最中にもキャンプの内で抗議デモが起こるほどだ。
さらに、アフガン難民の被災者(上の写真)は、パキスタン国籍を持たないため政府による支援の蚊帳の外におかれがちで、もちろんカードは発給されていない。
【ムルタン3日=日比野純一】洪水から2ヶ月余りがたち、少しずつ水が引き始めています。ムルタンの近くの被災者キャンプでは、すでに50%の人々が自分のホームエリアにかえっていました。
キャンプに残っている人々も工芸品をつくって、それを市場で売りはじめていました。一家総出での作業です。ベッドの素地を4日かけてつくって、200円。月収が3~4千円ですので、家計を支える大きな収入源になっています。
2010年10月3日(土)18時56分(日本時間)
【カラチ2日=日比野純一】AMARC(世界コミュニティラジオ放送連盟)とPPF(パキスタン・プレス財団)によるパキスタン洪水の被災地支援活動で、 FMわぃわぃの日比野純一が9/30からパキスタンを訪れています。
タタという町の近くの避難キャンプでコミュニケーションニーズの調査中です。
洪水の前、テレビは村に1~2台、ラジオもすべての家にあるわけでもなく、新聞も読んでいない。
被災者の殆んどは、田舎の貧しい農民や漁民です。
水が引き始め、キャンプから村に帰っていくことになりますが、
生活再建のためには、情報は必要不可欠です。
2010年7月15日の豪雨による浸水支援活動は、7月17日、そして次の日の18日の2日間で終了しました。たくさんのご参加、そしていろんなお問い合わせありがとうございました。この写真は2日目のボランティア受付テントです。1日目の手袋などがたくさん干されています。
この地域が長田区南部でも浸水した地域で、小さな路地が、まるで川のようになりました。
洪水の後のカンカン照りのボランティア活動は、暑くて大変ではありますが、床下浸水した畳も床下の木材もあっという間に乾くので大変助かります。しかし畳という家の構造は、床下浸水の対応には、フローリングの床と違ってとても便利です。フローリングの床の場合ははがして干すということはできません。
なんと水の力はすごいもので、この地域の路地が川になり、色んなものが流れてきて、家々の小さなお庭の柵に絡み付いています。これをとるのも中々の一苦労でした。