「KOBEながたスクランブル」カテゴリーアーカイブ

5月18日区民フェスティバルの「KOBEながたスクランブル」情報満載!いろんなゲストが入れ替わり立ち代り

工藤まきさん

18日は区民フェスティバルが11時から18時まで若宮公園で開催。第3月曜日の担当パーソナリティ真樹さんがさっそく集材に行ってきましたと事務所に顔を出してくれたので、土曜日の番組でもリポートをしていただきました。詳しくは20日月曜日12時からの「まちはイキイキきらめきタイム」でじっくりお聞きくださいませ。

ヘリテージマネージャー大会inKOBE

12時30分からの「おしゃべ市場」は電話中継。KIITO(旧神戸生絲検査所)で6月1日に開催される「ヘリテージマネージャー大会inKOBE」の紹介を当日の分科会「淡路島の庄屋などの調査 淡路島地域の取り組み」を担当される奥井正蔵正蔵造さんにお聞きしました。
建物は歴史的建造物である前に、そこに生活していた、生きていた人々の記憶があること、それが重要という素敵な言葉を教えていただきました。

真陽フェスティバル余嶋実行委員長

13時からのじっくりとお話を聞くベストコーナーには、第25回目を迎えた、「第25回真陽フェスティバル」の実行委員長大橋2丁目のバス停すぐのよじま (ふぐ料理 海鮮料理 和食 かに料理)の店主余嶋さんをお招きして、真陽というまちの人々の熱い取り組み、その集大成として見える形「真陽フェスティバル」について語っていただきました。
開催:5月25日日曜日 10時から15時
場所:真陽南さくらグラウンド(アグロから高松線を東へ数分)
もしも雨でも大丈夫!!六間道商店街で開催です。
**信州飯田町から大人も乗れる蒸気機関車!with五平餅などの信州物産
**ふれあい動物園(うさぎやひよこ、、、そしてポニー)
ステージも盛りだくさん[:音符:]地域にはこんなにタレントが満載なのかと驚くことでしょう!!

13時からはドイツファアベルクVORWERKの神戸ショウルームのGM最所久美子さんの出演。

最所久美子さん

2012年12月神戸三宮のフラワーロードにオープンしたドイツのカーペットの掃除のための、家庭用電気掃除機屋さんとして83年前に生まれたVORWERK日本のショウルーム!
3代使うのは当たり前というドイツらしい電気製品です。(ドイツでは4軒1軒、イタリアではなぜか3軒に1軒お使いだそうです。)
ドイツとつながりの深い神戸に初お目見えのショウルームで、ぜひ一度実体験してください。
**ドイツ生まれのフォアベルク社は1883年(明治16年)にカーペットメーカーとして創業。その後カーペットの手入れや家庭の住環境をより快適にするため、1930年(昭和5年)に家庭用電気掃除機を開発しました。以来、ホームケアシステムの開発に取り組んできました。(会社概要より)**
このショウルームには、フォアベルクホールというかなり広いホールがあります。
そこでいろんな講習会を行っています。
5月18日(土)は~シェーナウの想い“Das Schönauer Gefühl”~自然エネルギー社会を子どもたちに

シェーナウの想い“Das Schönauer Gefühl”~自然エネルギー社会を子どもたちに~
ドイツ南西部、黒い森の中にある小さなまちシェーナウ市の住民グループが、チェルノブイリ原発事故をきっかけに「自然エネルギー社会を子どもたちに」という想いから、ドイツ史上初の「市民の市民による市民のための」電力供給会社を誕生させるまでの軌跡を綴るドキュメンタリーです。

最所久美子さんとたまちゃん

5月18日土曜日「ドイツの脱原発事情を知ろう!」
第1回11:00~
第2回15:00~
<それぞれの2部構成になっています>
第一部 上映会「シェーナウの想い“Das Schönauer Gefühl”(上映時間60分)
第二部 講演「脱原発へのドイツの挑戦」 ゲスト:小林直生

13時からのゲストは神戸で生まれて90年「エキストラ珈琲」の小室こゆみ取締社長

放送風景「KOBEながたスクランブル」

「KOBEながたスクランブル」今日4月27日のゲストは、神戸で大正12年創業(1923年)、90年の歴史を誇る老舗のコーヒー会社、エキストラ珈琲株式会社取締役社長、小室こゆみさんをお迎えしました。
最初は、コーヒーの歴史と共に歩んで来たご家族の歴史、四国から神戸という「ハイカラ」に憧れて食品会社に入社、そこからなんと1923年のまだまだ珈琲が一般的でもない時代に、神戸で初めての珈琲豆焙煎問屋として独立されたという初代のおじい様。

エキストラ珈琲

現在は兵庫区西柳原に小売と焙煎工場があるそうです。
地域で神戸の文化ともなっている珈琲の会社の社長となり、いろんな商業活動をされる中で、地元兵庫県立高校のご出身ということで、同窓会武陽会との出会い、そしてFMわぃわぃでの「ゆうかり放送委員会」との出会い、そして須磨の開業医の子息。神戸二中(現兵庫高校)から三高(現京大)、東京帝大に進み、行政マンとなった島田叡さんとの不思議な縁のなかで、沖縄へ遺骨収集に参加された話などいろんな地民活動の中から生まれた「つながり」について話していただきました。
職業人として神戸で生きる人の、その背後には、様々な歴史、つながり、こだわりがあると知りました。
だからこそ人となりを知った方の販売するこのこだわりの豆のブレンド珈琲を、ゆった楽しむと時を持ちたいと思います。
**島田叡は、神戸人である。
沖縄県知事への任命に際し、「自分が行かなければ、誰かが行って死ななければならない」と、大阪に妻子と「断」の文字を残し沖縄に発った。旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)、第三高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法科へ進んだ後、政治家となり昭和20年沖縄最後の知事として赴任。戦後70年近くたった今も、沖縄の人々にその誠実な政治姿勢から慕われる人である。・・・兵庫の人がそれを知らないのは残念至極です。政治家の正しい姿勢は、やはりこの誠実さが一番なのであろう!

1981年13mの小さなボートで祖国ベトナムを脱出した73人、半分あきらめたところでタンカーに奇跡の救出!

ファム親子と村岡船長

4月20日土曜日12時からの番組「KOBEながたスクランブル」の13時からのコーナーは、じっくりとお話をゲストの方にお伺いする時間です。
今回は1981年日本がやっと難民受け入れの条約を批准した年に、小さな13mの小船に73人が乗り合わせ、祖国ベトナムを脱出した、その中の2人、ファム親子にご出演いただきました。お父さんは、ファム・バン・クーさん、そして息子はファム・フィン・リンさん、小船は3日目にエンジンが停止。
その後は東シナ海で、台風に遭遇。木の葉のように波にもまれ、流され、漂流し、半分沈没状態になったところで、次々とやってくる大きな船に救援を求めました。

ファム親子

やっとこのボートに救援の行動を起こしてくれたのは、なんと7隻目のタンカーアルリアド号。たまたま望遠鏡で周辺の監視をしていたアリリアド号の船長村岡千秋さんが、救出の指令をだしてくれたからでした。
このときのタンカーの乗組員は23人、そこに73人の人間を乗船させる!ということは、地上で生活する人間には考えられないほど、水や食料の事を考えると難しいことだそうです。またこの時代、船で航行する人々の間では、「難民船の漂流」というのは、大きな問題になっていたということは、村岡船長はおっしゃっていました。
つまり救出しても引き受けてくれる港、上陸許可をくれる港がなかなかなかったそうです。このときも日本政府には、まだ批准はしたものの、体制はとれておらず、日本にそのままつれてくることは許されず、フィリピンのマニラに降ろすようにようにという指令が、村岡船長に届き、そこから船長とこの親子は出会うこともなく、名前もよく分からず、30年という時間が経過していたのでした。。。。まるで映画のようなお話!しかし実際にファム親子は「たかとり」での仲間です。
国の中に発言をする自由がない辛さ、そして自分の国から脱出するという決断をすること、死を覚悟して子どもも連れて行動すること、そしてその後の外国人であるために様々な差別や困難と出会い、また神戸では95年の震災も体験しました。
今はこの地域の大きな力となっている1000人近いベトナムをルーツとする人々を阻害するような国であってはならない、社会であってはならない、地域であってはならないと強く思いました。
そしてまた村岡船長の決断!いろんな困難があると分かっていても、人が人を思う判断で、救出したからこそ、今ファム親子も、ここ長田でしっかりと地域住民として、私たちの仲間として活躍しています。その恩をベトナムの人々は、それぞれの家庭の中で語り継ぎ、当時4歳のリン君もまだ見たこともないこの船長と会いたい、、ということで探し出したそうです。(この番組は4月13日土曜日大きな地震があった日に収録したものです。

塩屋の旧ジョネス邸の保存を願う意味!100年存在した建物は、地域の風景・地域の人々の記憶。。。

旧ジョネス邸

2013年4月13日土曜日13時からの「KOBEスクランブル交差点」では、旧グッゲンハイム邸の管理者森本アリさんにおいでいただき、旧ジョネス邸が解体され、高層マンション建設建築が行われるのをなんとか中止し、この大正の面影を残す名建築を残し、次世代にために残そうという取り組みについて語っていただきました。
地域に100年間存在した建物、それは地域の風景・景観であり、100年前、ジョネスさんという英国人がこの塩屋の地に住んだという歴史、そしていまだにその子孫の方が日本に住まわれていること、ジョネス邸を引き継いだ山田さんが、この家を地域の人々の交流の場にしていた歴史、それらを語るため実存する建物が存在することは、「地域の物語・歴史」を次代の子どもたちに残すこと。それは今を生きる大人たちの責務であると強く感じます。
詳しいお話は「旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会」をご覧ください。
神戸市垂水区塩屋町の国道2号線沿いに建つ歴史ある洋館、旧ジョネス邸を取り壊し、マンションに建て替える計画が進行しています。
旧ジョネス邸(現山田邸)は、1919年にイギリス人ジョネス氏の私邸として建てられ、後の所有者山田作之助氏により現在の地に移築・保存された、塩屋の海岸沿いに残る唯一の洋館です。
かつての人々や街と建物との関わりをしめす、貴重な文化と歴史の証人であり、塩屋だけでなく、ハイカラの街神戸の大切な財産でもあります。
私達は、旧ジョネス邸の解体に断固反対すると共に、適切な方法で保存・活用されるよう強く求め、ここにご賛同くださる方のご署名を募ります。このかけがえのない文化遺産を次代に引き継ぐために、みなさんの力をお貸しください。

WEB署名を集めています。詳しくはこちらのページをご覧ください。

旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会(KJHK)
サイト http://jones-shioya.tumblr.com/
内観  http://jones-shioya.tumblr.com/photo
署名  http://jones-shioya.tumblr.com/signature/