いまどきメディアリテラシー
関西学院大学総合政策学部山中速人研究室ゼミ 番外編としてFMわぃわぃと協力して制作しています。
新聞からラジオ、そしてテレビ今やインターネットでのメディア発信が行われる現在、
その最初からメディアが社会の動きと大きな関係性を持ってきたのは確かなことです。
戦争の世紀といわれた20世紀のメディアが果たしたことを再度真摯に検証し
豊かな21世紀に向かうはずの現在の社会現象を共に見つめたいと考えています。
■9月9日放送分
日本のメディアの歴史を見つめるシリーズ
「アジア太平洋戦争の経験からメディアを考える~大本営発表」
①満州事変とメディア
新聞と世論が満州事変を支持し、熱狂を作り出していく過程をみつめる。当初、批判的だった朝日新聞は、大衆の圧力に負け、積極論に転向していった。
話し手:山中速人(関西学院大学教授)聞き手:金千秋(FMYYプロデューサー)
「大本営発表」とは、太平洋戦争(大東亜戦争)において、大本営が行った戦況の公式発表のことだが、戦争が終わって72年たった今も「ウソだらけの公式発表」の代名詞となっている。
ただし、これは過去のことではない、今でも、たとえば、福島原発事故に際して、NHKをはじめ、多数のマスメディアが一斉に、政府と東京電力の発表した、メルトダウンが起こっていないという公式発表のみを報道し続けたとき、この「大本営発表」の悪夢が過去のことではないことが示された。条件さえそろえば、いつでも、日本のメディアは、大本営発表を繰り返すのではないか。
■9月16日放送分
日本のメディアの歴史を見つめるシリーズ
「アジア太平洋戦争の経験からメディアを考える~大本営発表」
②大本営発表とメディア
大本営発表の登場。
大本営 1937年11月に設置、敗戦まで戦争を指導した。
大本営報道部は、1937年11月20日に発足した。
大本営発表は、作戦報道の最高権威と位置づけられた。
『大本営』(幻冬新書)辻田まさのり によれば
当初、陸軍と海軍でバラバラで、戦争を指導した。陸軍参謀本部が「大本営陸軍部」を名乗り、海軍軍令部が、「大本営海軍部」を名乗っていただけ。よって、大本営陸軍報道部と大本営海軍報道部が、別々に働いていた。1945年5月になって、はじめて大本営報道部に統合された。
当初は、新聞は過剰報道を抑制するような動きもあったが、新聞販売部数と過剰報道は正比例だったため新聞のセンセーショナリズムと軍の既成事実主義が、相乗し、ウソ報道の下地が形成されていった。(現代のFakeNewsにも通じている)
■9月23日放送分
日本のメディアの歴史を見つめるシリーズ
「アジア太平洋戦争の経験からメディアを考える~大本営発表」
③ガダルカナル戦とメディア
大本営発表の変化と転落の分岐点としての「ガダルカナルの戦いがそうだ。大本営発表報道の文言が巧みに言い換えられることで、真相が隠され、負け戦があたかも勝ち戦であるかのような粉飾がなされた。
言葉の言いかえの例:全滅→玉砕、撤退→転進
このようなことばの言い換えで真相をごまかすことは、今日でも続けられている。
敗戦→終戦、共謀罪法案→テロ等防止法、言葉には敏感であることが重要である。、
■9月30日放送分
いまどきのメディアリテラシー・通常版
Jアラートと北朝鮮ミサイル危機
全国瞬時警報システム(ぜんこくしゅんじけいほうシステム、通称:J-ALERT(Jアラート:ジェイアラート))
これは、通信衛星と市町村の同報系防災行政無線や有線放送電話を利用し、緊急情報を住民へ瞬時に伝達する日本のシステムである。2004年度から総務省消防庁が開発および整備を進めており、実証実験を経て2007年2月9日から一部の地方公共団体で運用が開始されている。
≪問題点≫
防災と戦争との同一視が生じることの危惧を知ってほしい!
防災情報を効果的に受け取ってもらうためには
「凍りつき症候群」からの解除が必要とされている。
イギリスの心理学者ジョン・リーチ博士の研究によると、運悪く不意の災害に見舞われた時、人の取る行動は次の三つのカテゴリーに分かれる。
1、落ち着いて行動できる人=10~15%
2、我を失って泣き叫ぶ人=15%以下
3、ショック状態に陥り呆然として何もできない状態になってしまう人=70~75%
大多数の人が発災時にショック状態に陥り、呆然として何もできない状態に陥る「凍りつき症候群」。
発災時における防災無線、非常放送などに期待されるのは「リスク予兆認知バイアス」の非常呪縛から解放し、緊急スイッチをONにすること。そして、リスクの早期「気づき」を促進するためには、実戦的防災知識、意識付け、訓練が重要。特にリーダー、行政、マスコミ、企業は、従来の緊急メッセージ内容などを検証し早急に改善することが、犠牲者を軽減する大きな役割を果たす。
これを軍事警報に応用するとどういうことになるかと考えることが必要。
→ 自然災害と戦争をともに、発生をとめられない現象としてとらえてしまわないか。原因を取り除く努力より、国防訓練に熱中してしまわないか。
→ 防災訓練の頻度は、自然災害にフィードバックされることはない。しかし、戦争は相手があることで、警戒訓練の頻度が相手国にこちらが戦争を予期しているのではないかという誤ったメッセージになる場合がある。
→ 消極的参加者に対する排除や攻撃の材料となることで、同調圧力を拡大し、国家の防衛体制に人々をいやおうなく組み込むことになる。
→ 防災関係は予算縮小の日本で唯一、拡大している部分だ。これに安全保障を組み込むことで、防災関係と安全保障(軍事)関係との一体化が進むおそれがある。
→ 防災研究がいつのまにか、国防研究にすりかわっていくことにならないか
→ テロ対策と防災の備えが、混同され、ふたたびマイノリティに対する攻撃や排除、虐殺につながらないか危惧する。
→ 原発から30キロ圏にすむ人々の避難については、計画すらたてられておらず、訓練すらしていない。テロ攻撃にもっとも弱い部分については、放置されている。ようするに、危険がリアルであるほど、対策が講じられない。リアリティがないからアラートをだしているということにならないだろうか。それは、アラートに対する恒常性バイアスを強化してしまうだろう。
ネットには、今回のJアラートが、平和ボケに対する警鐘になったというような粗雑な意見がみられた。排外主義と国家の危機だけ叫んでいれば、安全が保証されるというネトウヨの粗雑な意見と同様に、緻密さに欠ける主張に乗せられないよう、しっかりとメディアリテラシーをつけてほしい。