「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第79話

第79話 被災者・オーナー・住民 2018年1月13日放送

ワダカンの個人的な復興体験から、2017年で一つの段階が終わったと感じています。関係者から依頼され、大きな借金をし、16戸(5階建)の「借上げ復興住宅」を建設して、神戸市に20年間運営してもらいました。昨年、従前の居住者は円満に退去、当方の経営となりました。この時点で、1998年に近隣の被災者として入居された方はどなたも残っていませんでした。16戸を改装し募集したところ、幸いにも全戸うまり、若い人が多い住宅となりました。むかしながらのコミュニティーが残る町ですが、あたらしい住民にも、長田を知ってもらう努力が必要です。第2段階に入った復興もしっかりやりたいです。震災シリーズのお話はこれでひとまず終わります。


79話 近隣のコミュニティースペースに咲く「ろう梅」

「長田今昔ものがたり」第78話

第78話 須磨の山津波・水害・災害 2018年1月6日放送

須磨寺の古文書「当山歴代」でも、中世から江戸時代にかけて洪水・水害の記述があります。近代に入っても、神戸は昭和13年、36年、42年と「神戸の三大水害」に見舞われています。「水はもとの川の流れに戻る。」 井上さんは、生田川の水害で、「フラワーロード」に濁流が流れたのを見られています。昭和13年の水害はひどく、616人が亡くなり,9万戸に被害がでました。離宮道は川になったのです。大地震は文禄5年(1596年)に記録されていますが、須磨寺は全山倒壊し、死者も多数でました。その339年後、阪神大震災が起こります。地震対策は進んでいましたが、須磨寺では塔頭(たっちゅう)2ケ寺が倒壊しました。


78話 昭和13年7月5日、一の谷川の氾濫で埋まった一の谷派出所


幾度も氾濫が起きた一の谷川は、現在では護岸も整備され、境川方面に河川バイパスも出来たので、少々の雨でも水量が上がらなくなっている

「長田今昔ものがたり」第77話

第77話 裁判と法律知識 2017年12月30日放送

震災の実体験をお話しします。自分が望まなくても「争いになる」ことがあります。祖父母の時代からお貸ししていた土地、借主が建てていた家屋は、だれが見ても全壊でした。借主は、家屋の中に商品がつまっており、修理して商売を始めるから、「猶予を」の一点ばりでした。付近住民の陳情で行政も来て、弁護士と相談の上、地裁に裁判を起こさねばなりませんでした。当然勝訴するのですが、弁護士費用も、取り壊し費用もこちらが負担せざるを得ませんでした。放送では、土地の所有者から訴えられ地裁で勝つのですが、高裁では示談を勧められたケースを話しています。「裁判」に巻きこまれることもあるのです。


77話 米国裁判体験も話しています。

「長田今昔ものがたり」第76話

第76話 働き過ぎ 2017年12月23日放送

震災後、あと片付けや会社の仕事、休日の震災復興のミニコミ誌つくり、住宅建設の相談、「いっこも疲れへん」と思いました。近所の電気屋さん、工事注文がひっきりなしに来ます。やさしく、まんべんなく、親切に対応されました。結局は健康を害されました。近所のうどん屋さんはプレハブを借り、本建築の賃貸ビルができるまで、休日なく働かれました。復興工事の方が多く、おおにぎわいでした。ビル移転後、やはりからだをこわされました。「自分がスーパーマン」になったように仕事がこなせます。俗にいう、「気持ちがはっている」のです。がんばりの中にも「しばしばの休憩」をお勧めします。


76話 スイスのレスキュー隊もしばし休憩(1995年1月20日自宅近所)

「長田今昔ものがたり」第75話

第75話 神戸の乗り物と交通事情(閑話休題) 2017年12月16日放送

震災のとき、神戸の乗り物は、JRが4月1日の全面開通、山陽が6月に須磨まで、高速鉄道の大開駅は復旧に長くかかった。あのときは乗り物のありがたさを感じた。歴史的には、乗り物は、かご~人力車~汽車~電車~自動車があり、昨今は新幹線まである。神戸は市電が主役で、横並びの「ロマンスカ―」も登場した。車両をもたず、路線だけがある、神戸高速鉄道といった相互乗り入れのお手本もある。ブラタモリに登場したカーレーター(須磨ロープウェイ山上駅と回転展望閣を結ぶ)も「世界一(?)乗り心地が悪い……」と折り紙がついた。最近は、三宮の再開発プランで、路面電車の検討という話題もある。タイヤがついた市電でもいいから、残して欲しいものである。


75話 跨線橋(天神橋)を往くJR神戸線の電車

「長田今昔ものがたり」第74話

第74話 銀行とお金 2017年12月9日放送

被災者のワダカンは、震災前51歳まで無借金でした。築70年のわが家が全壊、自宅や近隣の復興住宅の建設で、多額の借金を抱える人生となった。2011年の東日本大震災のときも、「いま被災地に必要なのは何ですか」のテレビ取材に「お金です。」と正直に答えた。保険がおりると思い、室内の全壊の写真もとったが、火災保険では担保されなかった。神戸市の復興住宅(16戸)は建設後20年がたち、自主経営となり、今年からあと15年、銀行ローンの返済が残る。1995~7年当時は銀行の貸し渋りにも直面した。お金の話は避けたいが、震災復興の重要な部分でもある。


74話 わが家の台所(1995年1月17日)