「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第127話

第127話 竹伐りと無動寺 2018年12月15日放送

1月17日の新長田駅前の追悼行事では、竹筒で「募金箱」150個を作成し、配布し、翌年に持ってきてもらい、再来年の資金としています。ここ数年は北区山田町の無動寺で竹を取らせていただいています。作業のあとで、国指定の重要文化財を拝見させていただきます。井上さんは、山間部のお寺の改築に力を貸されていますが、自然と人の力があいまって、ふくよかな気分にひたれます。山田の場所自体、昔は西国街道の裏街道として、にぎやかさがありました。聖徳太子ゆかりの神社や、平清盛が足しげく通った場所でもあります。竹伐りボランティアがたくさん来てくれるのも、この「自然」があるからでしょう。


127話 竹伐り風景(無動寺横)

「長田今昔ものがたり」第126話

第126話 ろうそく作りと1.17 2018年12月8日放送

神戸長田に住む人間としては、この時期になると、「阪神淡路大震災」の犠牲者への追悼の思いが高まってきます。今昔物語風にいえば、平安末期にも大地震はありましたが、「方丈記」の鴨長明は、「人は、こんな大悲劇も、時と共に忘れさってしまう」と言っています。震災から4年経った西神戸、特に被害のひどかった長田で、「1.17KOBEに灯りをInながた」の追悼行事が始まり、そのときから今まで「忘れずに」行われています。準備は7月から始めます。7つの学校・幼稚園に、当日使う「ろうそく」を1万個作ってもらいます。1月17日の新長田駅前広場には、若い人が自分の行事として参加してくれるのです。


126話 蓮池小学校でのろうそく作り

「長田今昔ものがたり」第125話

第125話 須磨を示す記載の文書(閑話休題) 2018年12月1日放送

須磨の古文書で頼りになるのは「当山歴代」。1170年~1750年にかけての581年間、各住職が須磨寺のことを記録しています。井上さんは1冊目はボロボロになるまで読み込み、2冊目も付箋でいっぱいです。さらに、「兵庫県・神戸市方面委員会須磨区分会」の周年史が1927年から7巻も発行され、いわゆる下町の記録となっています。須磨の桜のシーズンには交通整理がいるほどであったり、迷子がでたとの微笑ましい記述も残っています。昭和3年頃、須磨寺の大池が埋め立てられるということで神戸市会で話題になり、有力者も立ち上がった「須磨寺大池問題・埋立阻止」の市会での記録も興味深いです。


125話 須磨の記録記載のある書籍の一部

「長田今昔ものがたり」第124話

第124話 大学生とのおつきあい 2018年11月24日放送

ワダカンの時代はかっきりと60才定年でした。10年ひと昔、大学もかなり変貌しています。2度目の勤めは「大阪TLO(技術移転機関)」で、大阪の大学が所有する特許を企業に使ってもらう橋渡しをしていました。いまは大学が地力でやれています。関学大で「国際ビジネス」を教えた時期もありました。リーマンショックがあり、講師は引退しました。震災のおかげで、神戸大、立命大、日本福祉大、常盤大、兵庫県立大などの先生や学生とも親しくなりました。長田で、郷土史を語り震災などの町歩きをすることで、大学生の若々しい平穏志向の姿に教えられたものです。社会や町の中に大学生が出てきてもらう時代になっています。


124話 「商大祭」での似顔絵風景

「長田今昔ものがたり」第123話

第123話 須磨の古墳と遺跡 2018年11月17日放送

井上さんは、考古学の視点で、下町から須磨を見る試みをされています。全国的には仁徳天皇陵が有名ですが、古墳の数では、兵庫県が日本で一番多いのです。須磨にも古墳があります。でも、残念ながら、宅地開発で現在は跡形もない状態です。伝承でかろうじで残り、村上帝社、潮見台、名倉塚、得能山など、小型ですが古墳は存在していました。平成になり、8年から13年にかけて、都市計画などの一環で発掘調査も行われ、行幸町遺蹟、天神町遺蹟が確認されています。人骨や土器や柱の跡も出て、石器時代から須磨に人が住んでいたと言えるのです。


123話 須磨村上帝社、前方後円墳跡


山陽電鉄に分断されて山側にある琵琶塚

「長田今昔ものがたり」第122話

第122話 朝鮮通信使、のろしのリレー 2018年11月10日放送

昭和4年の須磨尋常小学校の教科書には、江戸時代に朝鮮国から使節がやってきて、徳川幕府が懇切な待遇をしたことが記録されています。通信使一行が塩屋沖から西須磨の海岸にさしかかると、合図の「狼煙(のろし)」をあげました。続いて駒ヶ林(阿弥陀堂)もあげ、次が長田(鳥居前)、和田崎もあげ、兵庫津に船舶の到来を知らせました。兵庫津からは陸路を歩みます。船からあがり、ごちそうをいただき、疲れをいやす。当時すでに2万人の人がいた「兵庫」、担当の尼崎藩の役人、接待役の兵庫商人。にぎやかさが想像できます。各村ものろしのお手伝いをし、地域のリレーで客人を迎えたのですね。


122話 のろしの場所(長田神社鳥居前)