「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第13話

第13話 知られざる平敦盛 2016年10月8日放送

この回から、井上勇さん(須磨住人)も加わり、話題は須磨の方にも広がります。敦盛(あつもり)といえば、源平合戦では16歳、一の谷で熊谷直実に首を討たれます。須磨寺の山門横の、二人が対峙する姿は、「青葉の笛」とともに、あまりにも有名です。今、須磨浦公園にある五輪の塔が「あつもり塚」と呼ばれています。意外なお話は放送でお聞きください。敦盛は一般的に深い愛情を持たれていたようです。胴塚という供養塔(五輪塔)もありますし、鳥取には「愛馬の墓」も残っています。

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13話 敦盛塚

「長田今昔ものがたり」第12話

第12話 清盛さんの計画 2016年10月1日放送

福原に都があったのは、たった6ヶ月でした。しかし、兵庫、長田、須磨方面、海があり、港がある地域で「和田京」をつくるプランを清盛はもっていました。妙法寺や宝満寺(東尻池に移転)を新しい都の守りの寺と考えたようです。1162年に、西神戸の地に進出し、経ケ島を埋め立て、兵庫・神戸港の基礎を清盛は作ったのです。和田岬でも千僧供養があり、清盛と同い年の「西行」も同席しています。源平の戦いに敗れても、西神戸は平家の息のかかった土地として続きます。本当に、めぐまれた土地柄なのです。

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12話 築島工事での清盛からの感謝状

「長田今昔ものがたり」第11話

第11話 菅原道真さんの道をたどる 2016年9月24日放送

901年に大宰府に左遷された、道真さん、梅の香りに誘われ、東尻池に寄っています。お話では、灘あたりで、船をつないでいます。苅藻川近辺で、船をおり、網代車でやってきたのでしょう。その後、板宿での臨時の「板の宿」、京都から飛んできた「飛松」の逸話もあります。須磨の前だけでお茶(菅の井)をいただき、綱敷天神では、漁師と綱に腰をかけ歓談しています。明石には友人が出迎えます。こまかく旅の跡が名所として残っている方はそうありませんよ。

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11話 匂の梅の祠(移転します)

「長田今昔ものがたり」第10話

第10話 神戸の橋、長田の橋(閑話休題) 2016年9月17日放送

新湊川大橋の北に「北所橋(きたんじょばし)」、南に「南所橋(なんじょばし)」があります。兵庫区まで足をのばすと「大輪田橋」、戦災も震災も記憶しています。兵庫運河には、くるりと回って船を通らせた「和田旋回橋」、船が来ると跳ねあがった「高松橋」を見ることができます。万葉集にでてくる「真野の継橋」は、今は尻池のお寺で保存されています。真野の入江でぬれぬように、つないだ継橋で、昔の和歌にもよまれています。室内にある「三六橋」を「さいろくばし」と読める人は少ないでしょう。条里制の名残の命名です。

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10話 大輪田橋

「長田今昔ものがたり」第9話

第9話 空海さんは2度やってきた 2016年9月10日放送

空海さんの最初の金剛峯寺は、いまの長田区と兵庫区の境の和田山近辺にあったと言っても、つくり話と思うでしょうね。宝満寺(現在は東尻池町2丁目)がそれなのです。空海さんは再度山にも唐に行く前と唐から戻ってきたときの2度のぼったとされています。大輪田の泊りは、中国へ出港する重要な港でしたが、物流拠点の役割も果たしたことでしょう。唐から持って帰った密教の経典や仏具など、高野山で金剛峯寺を開くまで、港に近い宝満山「金剛峯寺」で保管しておいたと推理しています。

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9話 今の宝満寺

「長田今昔ものがたり」第8話

第8話 万葉の碑 2016年9月3日放送

「玉藻刈る――」の万葉集・柿本人麻呂の和歌から、わが「苅藻川」は名づけられています。東尻池街園に高市黒人の万葉の碑があります。「真野」とか「白菅の榛原」という古い地名もでてきます。町名にも、苅藻・真野・菅原という地名が残っています。黒人さんの和歌は、「真野の湿原の榛の木を折って、染め物が好きな家内のおみやげにし、早く奈良に帰ろうよ」という心やさしい歌です。宮廷歌人が訪れたわが町、気持ちは万葉の時期から変わっていませんね。

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8話 万葉の碑(高市黒人)