「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第7話

第7話 Win-Win 大輪田の泊はどこだ 2016年8月27日放送

西神戸にとっては、西からの海路は重要、古代から「港」はたくさんありました。「大輪田の泊」も清盛の時代には和田岬を通り、今の「大輪田橋」あたり(D地点)で落ち着きます。(泊り)港の候補としては、神功皇后が船をつけた伝説がある「長良(ながら)の浜」(A地点)、古代に、玄蕃(通関)があったとあれる「駒ヶ林の浜」(B地点)や苅藻川の河口、船所という字名も残るC地点も古い書物に乗っています。ABCDの各地点とも、船での航行の時代ではバス停のように、どれも港機能(Win-Win)だったと思いましょう。

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7話 長田港(駒ヶ林)

「長田今昔ものがたり」第6話

第6話 土木の精鋭、行基集団のパワー 2016年8月20日放送

むかし、市民球場があったところですが、奈良時代のお坊さん・行基さんが造ったと言われる「池(はす池)」がありました。蓮池小学校も、池を埋めたてて出来ています。行基さんは集団で、「大輪田の泊」も改修しています。「布施屋」をつくるなど福祉にも力を入れられました。長田近辺の荒野や池を開拓したり、蓮池に防災時の食糧の「ひし」を栽培したりしています。土木・福祉・防災の視点は行基さんの時代から、長田のまわりに脈々と受け継がれているのです。

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6話 はす池跡

「長田今昔ものがたり」第5話

第5話 そっくりさん (閑話休題) 2016年8月13日放送

ちょっと息抜きの話題です。どの方も、よく似た人が、世界に3人いると言われています。「長田に住んで70年のわだかん」は、もうその3人に出会いました。小椋佳、浅田次郎、そして、台湾で会った、翁燃松さんの3名です。会社時代、フランス人と団体旅行をしたとき、インドネシアのホテルのひとから「お前はフランス人、ちゃうやろ、シンガポール人やろ」と言われ、うれしく思ったことがあります。日本列島に住む、われわれはそこらじゅうからやって着たミックス人種とつくづく思うのです。

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5話 翁燃松さんと

「長田今昔ものがたり」第4話

第4話 長田の大王(豪族の館と鉄人28号) 2016年8月6日放送

古墳と同じく4世紀から5世紀、古代ですが、鉄人28号の北側の松野町あたりに豪族の館(松野遺跡)がありました。長田近辺は大化の改新以前に「条里制」が引かれています。東尻池町から大橋町、野田町にかけて、碁盤の目のように整理された、たてよこの道路で感じることができます。中国の条里制の技術をこちらに持ち込んだようです。「ながたの大王」と読んでいいのでしょうか。外地からやってきて、田畑つくりに実地指導してくれたのでしょう。

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4話 若松公園の発掘

「長田今昔ものがたり」第3話

第3話 古墳はどこだ(念仏山地蔵) 2016年7月30日放送

苅藻川(新湊川)下流に、全長190mの念仏山古墳があった。4世紀後半から5世紀にかけての前方後円墳です。垂水の五色塚古墳とおなじ、鰭付き埴輪もでています。長田近辺は明治の後期から、産業化がはじまり、1916年に工場用地となり、いまはミヨシ油脂などが進出しています。地下鉄苅藻駅の南に「念仏山地蔵」があり、古墳のよすがとなっています。長田神社近くの「大塚町」も古墳由来の地名です。長田や須磨は畿内とよばれた地域の端っこですが、海の交通を守る役割も古代からあったのです。

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3話 念仏山地蔵

「長田今昔ものがたり」第2話

第2話 神さん、こんにちは(長田神社以前) 2016年7月23日放送

鳥居がある神社を拝む前に、長田の人びとは、山を拝み、川や石など自然の神秘を敬っていた。長田神社の奥に、高取山の遥拝所もあり、今もなお、山にむかって手を合わす人も多い。いま新湊川と呼ばれる川も上流は「苅藻川」神社の横は「宮川」、山の近くは「桧川(ひかわ)」と呼ばれる。長田は、最近はベトナムの方がたかとり教会に、でかけたり、苅藻駅のあたりには「和楽寺」というベトナム仏教の寺もあり、多文化で哲学・宗教面でもバラエティに富んでいる。

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2話 長田神社あたり