1981年13mの小さなボートで祖国ベトナムを脱出した73人、半分あきらめたところでタンカーに奇跡の救出!

ファム親子と村岡船長

4月20日土曜日12時からの番組「KOBEながたスクランブル」の13時からのコーナーは、じっくりとお話をゲストの方にお伺いする時間です。
今回は1981年日本がやっと難民受け入れの条約を批准した年に、小さな13mの小船に73人が乗り合わせ、祖国ベトナムを脱出した、その中の2人、ファム親子にご出演いただきました。お父さんは、ファム・バン・クーさん、そして息子はファム・フィン・リンさん、小船は3日目にエンジンが停止。
その後は東シナ海で、台風に遭遇。木の葉のように波にもまれ、流され、漂流し、半分沈没状態になったところで、次々とやってくる大きな船に救援を求めました。

ファム親子

やっとこのボートに救援の行動を起こしてくれたのは、なんと7隻目のタンカーアルリアド号。たまたま望遠鏡で周辺の監視をしていたアリリアド号の船長村岡千秋さんが、救出の指令をだしてくれたからでした。
このときのタンカーの乗組員は23人、そこに73人の人間を乗船させる!ということは、地上で生活する人間には考えられないほど、水や食料の事を考えると難しいことだそうです。またこの時代、船で航行する人々の間では、「難民船の漂流」というのは、大きな問題になっていたということは、村岡船長はおっしゃっていました。
つまり救出しても引き受けてくれる港、上陸許可をくれる港がなかなかなかったそうです。このときも日本政府には、まだ批准はしたものの、体制はとれておらず、日本にそのままつれてくることは許されず、フィリピンのマニラに降ろすようにようにという指令が、村岡船長に届き、そこから船長とこの親子は出会うこともなく、名前もよく分からず、30年という時間が経過していたのでした。。。。まるで映画のようなお話!しかし実際にファム親子は「たかとり」での仲間です。
国の中に発言をする自由がない辛さ、そして自分の国から脱出するという決断をすること、死を覚悟して子どもも連れて行動すること、そしてその後の外国人であるために様々な差別や困難と出会い、また神戸では95年の震災も体験しました。
今はこの地域の大きな力となっている1000人近いベトナムをルーツとする人々を阻害するような国であってはならない、社会であってはならない、地域であってはならないと強く思いました。
そしてまた村岡船長の決断!いろんな困難があると分かっていても、人が人を思う判断で、救出したからこそ、今ファム親子も、ここ長田でしっかりと地域住民として、私たちの仲間として活躍しています。その恩をベトナムの人々は、それぞれの家庭の中で語り継ぎ、当時4歳のリン君もまだ見たこともないこの船長と会いたい、、ということで探し出したそうです。(この番組は4月13日土曜日大きな地震があった日に収録したものです。

4月17日のクールから岩手県臨時災害FM「おおつちさいがエフエム」の番組を放送開始します。

おおつちさいがいエフエム

4月17日のクールから毎週木曜日岩手県の「おおつちさいがいエフエム」の番組をFMわぃわぃでも放送します。

おおつちさいがいエフエム

「おおつちさいがいエフエム」は2012年3月31日日曜日12時から放送を開始した、一番最後に生まれた臨時災害FMです。
毎月第2金曜日には電話中継をしていますが、これからは毎週木曜日21時30分~30分番組「しゃべって×2」を放送します。
この番組は大槌の今を生きる生の声です。ぜひお聞きくださいませ。
第一回目
小国ふみ子さんのお話
津波当時私(金崎伊保子)と一緒に自宅の裏山へ逃げ、一晩山で震えながら過ごしたことを思い出した話など。
その後元気で暮らしているのか心配になりおおつちさいがエフエムのスタッフが訪問、お話を伺いました。

春の特番4月16日から5月14日まで毎週火曜日13時から「メッセージソングの現代史」

メッセージソングの現代史1

今週から5週連続でお送りする関西学院大学総合政策学部山中速人研究室春の特番
「メッセージソングの現代史」
東京経済大学山田晴通教授をお迎えして、聞き手山中速人、進行金千秋ですお送りします。
1)定義が難しいメッセージ・ソング
荒井由実「やさしさに包まれたなら」(1974年)、映画『魔女の宅急便』(1989年)エンディングテーマソング
「カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の やさしさに包まれたなら きっと目に写る全てのことは メッセージ」
◆本日の1曲目
小西康陽 作詞・作曲
「メッセージ・ソング」歌:曽我部恵一
『戦争に反対する唯一の手段は。ピチカート・ファイヴのうたとことば』2002年
オリジナル:ピチカート・ファイヴ:1996年のシングル。1996年12月に、NHK「みんなのうた」で放送。
1)豊田勇造(1949 – )京都出身のシンガー=ソングライター
2)心を打つ感動的な歌詞の曲
Yahoo! 知恵袋「心にしみるメッセージソングを紹介してください」
「国内ミュージシャンの歌で、思わずその歌詞に聞き入ってしまうような、ことば「大切なことを伝えようとする歌」を探しています。涙がじわっと出てくる歌、うなずきながら聞いてしまう歌、聞きながら思わずにっこり微笑んでしまう歌など、皆さん是非教えてください!」
西野カナ「Always」(2012年)の宣伝文句⇔「深い感謝の気持ちを込めた心温まるメッセージソング」
3)イベント(博覧会、競技会など)の普及、宣伝に用いられる曲
1997年 長野冬季五輪 さだまさし「Dream」公式メッセージソング
2004年 愛知万博 渡辺貞雄「シェア・ザ・ワールド」→東北支援イベント
4)社会問題などについて、特定の立場からの見解を伝えようとする曲
むしろネガティブに「メッセージソングになっちゃいけない…」という言及もある。
ルーツは? 反戦歌なども、、、でも、メッセージ・ソングと言えるためには条件もある
言葉が伝わる…同じ言語、同じ社会的文脈を共有していないと伝わらない部分があるわけだが、歌になることによって、それを越えて伝わる力もある。それが「メッセージ・「ソング」」の醍醐味か!?
◆本日の2曲目
喜納昌吉&チャンプルーズ 「屋嘉節」
『赤犬子(アカインコ)』(1998年)
伝えによれば、歌と三線は「いんこねあがり」という者がおもろや自作の即興詩を三線に合わせて伴奏していたのが始まりとされる。村々を放浪していたため、そのスタイルは広く取り入れられた。俗にいう赤犬子(アカインコ)は当て字。

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神戸文学館と大雄丸

4月15日第3月曜日のまちイキは、真樹ちゃんと志津代さんの担当です。
今日も情報満載でお届けしました。

まずは<Makiのビューティレッスン>。今日は紫外線対策のお話!
実は春先は真夏よりもきついという紫外線。太陽の光はきつすぎるとお肌には良くない影響がありますが、心身の健康のためには上手に付き合う必要がありますね。

次の<ぶら~りMaki>では、真樹ちゃんが灘区王子町にある
神戸文学館をぶら~り訪問。館長さんにお話をお聞きしてきました。

 

明治以降神戸にゆかりのある文学者を、テーマに沿って紹介している、知る人ぞ知る神戸の散策スポット。元、関西学院大学のチャペルであったというレンガ造りの建物も雰囲気抜群。
都会の喧騒をのがれ静かに過ごすにはお勧めの場所で学校帰りの学生の利用も多いそうです。是非、イベントやコンサート、ギャラリーを楽しみにお越しくださいとのことでした。

そして<スペシャルゲストトーク>には、今、巷で話題の海賊船
“DAIYUMARU”
の船員、ジャックさんが登場!!

このコーナーから水曜まちイキの高見かおりさんも合流しました。

須磨の港に突如出現した海賊船。構想2年で今年1月にお目見えした船は元々は漁船。子どもの笑顔が見たいがために海賊船を造ったという
ジャックさん。
海の宝探しやクルージング、そして底引き網体験もでき、獲れたお魚を船上で食べられるコースもあり、貸し切りもできるそうです。
出港はゴールデンウィークの5月3日。実物を見たい、乗りたい方は須磨の港にGO!!!! イケメンのジャックさんが待ってます。

 

塩屋の旧ジョネス邸の保存を願う意味!100年存在した建物は、地域の風景・地域の人々の記憶。。。

旧ジョネス邸

2013年4月13日土曜日13時からの「KOBEスクランブル交差点」では、旧グッゲンハイム邸の管理者森本アリさんにおいでいただき、旧ジョネス邸が解体され、高層マンション建設建築が行われるのをなんとか中止し、この大正の面影を残す名建築を残し、次世代にために残そうという取り組みについて語っていただきました。
地域に100年間存在した建物、それは地域の風景・景観であり、100年前、ジョネスさんという英国人がこの塩屋の地に住んだという歴史、そしていまだにその子孫の方が日本に住まわれていること、ジョネス邸を引き継いだ山田さんが、この家を地域の人々の交流の場にしていた歴史、それらを語るため実存する建物が存在することは、「地域の物語・歴史」を次代の子どもたちに残すこと。それは今を生きる大人たちの責務であると強く感じます。
詳しいお話は「旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会」をご覧ください。
神戸市垂水区塩屋町の国道2号線沿いに建つ歴史ある洋館、旧ジョネス邸を取り壊し、マンションに建て替える計画が進行しています。
旧ジョネス邸(現山田邸)は、1919年にイギリス人ジョネス氏の私邸として建てられ、後の所有者山田作之助氏により現在の地に移築・保存された、塩屋の海岸沿いに残る唯一の洋館です。
かつての人々や街と建物との関わりをしめす、貴重な文化と歴史の証人であり、塩屋だけでなく、ハイカラの街神戸の大切な財産でもあります。
私達は、旧ジョネス邸の解体に断固反対すると共に、適切な方法で保存・活用されるよう強く求め、ここにご賛同くださる方のご署名を募ります。このかけがえのない文化遺産を次代に引き継ぐために、みなさんの力をお貸しください。

WEB署名を集めています。詳しくはこちらのページをご覧ください。

旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会(KJHK)
サイト http://jones-shioya.tumblr.com/
内観  http://jones-shioya.tumblr.com/photo
署名  http://jones-shioya.tumblr.com/signature/

毎月第2金曜日13時からは消防署の方が登場です。今回は車体番号「30」の救助隊!の隊員さん!

長田消防井関さん

(長田消防署 救助隊 井関将司さん)
4月12日、第二金曜日のハロー長田のコーナーは、長田消防署消防防災課から、井関将司さんにお越し頂きました。仕事柄、日頃の厳しい訓練で鍛えられた大変素晴らしい体格の持ち主でした。

長田消防井関さん

消防防災課には消防隊、救急隊及び井関さんが所属する救助隊があり、部署ごとに服装の色がそれぞれ青、グレー、オレンジとなっています。救助隊はひときわ目立つオレンジ!
人の命を助けるのが使命で、山、海、火事現場などあらゆるところに出動するため、現場に行く消防車には消火に必要な機材はなく、エンジンカッター、梯子、潜水器具など、人を助ける機材が満載されています。そして海難事故や登山中の事故、火災現場などに対応出来る高度な技術が必要なため、毎日訓練に明け暮れています。
出動する神戸市の救助隊消防車には「長田30」といった番号が車体に書かれています。救助隊の仕事は、体力的に厳しいことは勿論ですが、家族が見守る現場で、早く救助してほしいというプレッシャーを感じながらの救出作業は、精神的に大変であるとのことでした。
近年の車は頑丈で運転席などは壊れにくくなっているが、最近増えているハイブリッド車は、エコであるが高圧電流が流れているため、救助隊が危険にさらされることがあるので、新たな知識を身につけることが重要になっています。
救助先がマンションの住人の場合は、オートロックを事前に開放してもらうことが、速やかに救助を開始する上で大事であり、一人暮らしが増えている中で、窓ガラスを割って入室せざるを得ない場合があるので、玄関、部屋のドアの速やかな開放が、重要な課題になっているとのことです。
本日は、長田消防署消防防災課の井関将司さんに、ハイブリッド車の危険性や、マンションなどのオートロック解放の重要性など、救助隊活動の重要なポイントを教えていただきました。

神戸市長田区から世界の言語で放送しています。