★奄美専門チャンネル「南の風」2019年3月の放送


★奄美専門チャンネル「南の風」2019年3月の放送
もうすぐ「平成」という時代(元号)が終わります。
奄美専門チャンネル「南の風」では、「世(ゆ)替わり」にあわせて、平成時代の奄美はいったいどんな30年間だったのかを、数回にわたって特集したいと思います。

〈語り/01〉奄美に忍び寄る〈戦争〉

2枚の写真は「徳之島・伊仙町犬田布集落にある島では数少ない黒糖製造所。島で収穫されたキビを煮詰めて黒糖を作っているその様子」

平成時代は戦争がなかったという表現があります(その一方で、ひとびとにとって、昭和時代のように〈戦災〉には遭わなかったが、阪神・淡路大震災、東北大震災のように多くの〈天災〉がふりかかった時代だという分析もあります)。
しかし戦争がない時代を平和だというのなら、こと奄美に関しては、平成の最後の年になって、陸上自衛隊があらたに奄美大島にふたつも基地を開設するという事態を、どのように受け止めたらいいのでしょう。☆3月26日に陸上自衛隊は「奄美駐屯地」(奄美市名瀬)、「瀬戸内分屯地」(瀬戸内町)を使用開始すると発表がありました。これは近年緊張が増している東シナ海における中国の活発な動きに軍事上に対応したもので、地対空・地対艦ミサイル部隊、警備部隊の配置となります。(さすがに「地対地」となると中国本土に向けたミサイル配備となるので「自衛」隊の枠組みを超えることになるため、表現を抑えています。しかし現実に配備されているミサイルの性能について

正確にはわかりません)。

☆奄美ではこうした自衛隊のあらたな配置に反対する声も上がっていますが、その声は大きくなく、むしろ地域振興の観点から歓迎する声の方が支配的です。地域振興の観点からすると、自衛隊の基地があらたに配備されてもその地域経済にどれほど寄与するのか、疑問視する分析もあります。自衛隊とはつまり軍事基地ですから、次の戦争事態になったら、奄美は確実に攻撃の対象になることは必須です。それは先の太平洋戦争で旧海軍、旧陸軍の基地が多かった奄美が米軍・連合軍から攻撃を受けており、その被害の大きさは痛いほど経験しているはずです。

〈語り/02〉奄美観光は便利になったがその反面
平成時代における奄美の大きな様変わりといえば、交通手段の多様化です。格安航空会社(LCC)の奄美への就航により、いままでと異なるタイプの旅行者が大挙して奄美を訪れることになったのです。この遡及効果はいまのところLCCが就航している奄美大島に限っていますが、今後他の島へひろがるよう期待されるところです。しかし不安材料もあります。成田空港(東京圏)、関西空港(関西圏)からの観光客をうけとめる奄美側の観光インフラが整っていないのです。わたしが今年1月に奄美に訪れた時は、観光客の増加と、冬期に顕著なスポーツ合宿の入り込み客で、奄美市名瀬の主なビジネスホテルの予約がとれにくい状態になっています。また奄美へ就航しているLCCであるバニラ・エアは、同じLCCのピーチ・アビエーションと経営統合することが決まっていています。成田―奄美大島間は経営統合後もひきつづき就航すると約束されていますが、関空―奄美大島間については、5/7~10/26まで運休となり、10/27からは「就航予定」としてしか発表されていません。今後の動向が気になるところです。(このほか神戸空港を拠点にしているSKYMARKが、神戸空港―鹿児島空港につづいて、鹿児島空港―奄美大島へも就航したり、JACが奄美群島の島伝いの航路を始めたのも特筆すべきでしょう〈いままで島伝いの飛行機便はなかったので、船で移動するしかなかった〉)
〈語り/03〉奄美の課題は観光を起爆剤として新たな局面へ
奄美大島、徳之島の豊かな自然をもとに、ユネスコに対して「世界自然遺産」の登録を再度めざすことが政府の閣議によって決定されました(前回の推薦提出は2017年)。こうして奄美には「世界自然遺産」に登録するほど豊かな自然がある一方、自衛隊基地の新設にはいとも簡単に自然の一部を崩して土地を提供するという現実があります。また、〈語り/02〉で語ったように、観光客にきてもらっても、それを受け止める観光インフラがまだまだ整っていないのもおおいなる課題です。また、奄美の魅力は、〈ひとの魅力〉につきるということから、その魅力と観光客がどのように接したり、感じるキッカケや機会を、いかに創造していくことも大切なことでしょう。観光先進地の沖縄のように、観光客に見せる(=さらす)「ハレの身体(ペルソナ)」と、地元民が日常を生活をこなしていく「ケの身体(ペルソナ)」が同居するような柔軟さを奄美でも確立していくのでしょうね。
〈語り/04〉奄美にかかわること、それは〈共苦〉を抱けるかどうか
〈共苦〉とは、他者の苦しみや悲しみ、そして喜びを、その場所に生まれ住んでいない者が、存在の根っこの部分でシンパシーを抱くこと――と説明してみましょう。奄美はヤマト(本土)とは異なる歴史と人情を経てきました。南北に鹿児島(薩摩)、沖縄(琉球)という軍事・文化強国に挟まれ、その両者に翻弄されながらも、さまさまなものを独自の潜勢力で受容し、独自の文化やアイデンティティを確立してきました。ですから島々にとって、島に刻印された事態は、400年前であろうと、600年前であろうと、そうした時制は関係なく、記憶され、ひとびとの今を規定するアーカイブスとして共時的に受容されているのです。
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