2022念10月22日ワンコイン番組「和田幹司さんへの尽きない偲ぶその思い第7回」



平清盛は、兵庫の神戸、特に兵庫区長田区の沿岸沿いに大変深い繋がりがあります。
その理由について、和田さんのお話とともに辿ってみルト、神戸・長田というのは平安の時代から
大陸との往来が非常に深く、多様性の飛んだ地域であり、また風光明媚な地域で、ゆったりと人々が
暮らしていたことが見えてきます。
それらについて、歴史と現代は繋がっていると言う観点から話していきます。

1132年清盛の父 忠盛内昇殿を 許される。
1149年七月九日 清盛 高野山大塔造影に忠盛の代理として」登山する。1151年
1151年二月二日 清盛28歳 安芸国(現在の広島県)守りになる。
1153年忠盛の死去。享年五十八歳
1158年八月十日 清盛 太宰大弐になる。
1159年二月 清盛 蓮華王院三十三間堂、白川千体阿弥陀堂を造営する(三十三間堂)
十二月 清盛 熊野詣。同月十七日、清盛、六波羅に帰還する。
兵士の5000にも及ぶ館をたて、六波羅で政治を行う。
1160年八月五日、清盛、厳島に詣でる
1164年九月 清盛、厳島神社に納経する。
1164年十一月、清盛、厳島神社造営の申請をする。
1168年(平安3年) 清盛は福原に雪見別荘である雪見御所を構えて、日宋貿易拡大の拠点とした山槐記』治承4年11月21日条に安徳天皇の「本皇居」を「禅門(清盛)の家、雪御所の北なり」と記している。天王谷の湊川上(みなとかわかみ)(温泉天王温泉)は、神戸の名物の一つで、皮膚病・神経痛などに効用があるとされています。平安時代の古記に雪見御所から北の「湯屋」に清盛が行ったとあるのは、この湯だとする説があります。
自邸から100mほど離れた、この温泉まで牛車(ぎっしゃ)で入湯に来たそうです。