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第14回 ラジオママネット〜サタデーカフェテラス

今回のゲストは、ナチュラル育児会神戸 代表の林寛子様と副代表の富田幸子さんです。

ナチュラル育児会神戸は、神戸市中央区の諏訪山を中心に、親子参加型の森の幼稚園や、親子スクールでは自然に沿った育児のヒントになる講座やイベントを実施されています。「子どもの生きる力を伸ばしたい」「強い体を作ってあげたい」との思いから立ち上げられたとのこと。

ピラティス教室や、木育・離乳食の講座などを開催されていますので、いろんな情報を共有でき、育児がきっと楽しくなりますよ!

ナチュラル育児会神戸、 後期会員募集説明会は、9/6 と 9/19 、10:30〜12:00 です。午後には体験会も開催されますので、是非 ナチュラル育児会神戸のアメブロ、フェイスブックをご覧ください。

また次回も素敵なゲストをお迎えする予定です。
お楽しみに〜

8月のママトーーク、テーマは「女性が輝く社会とは(3)」です。

8月のママトーーク!!
テーマは女性が輝く社会とは(3)、「地域との関わり」でした。

メンバーがこどもだった頃と比べて、ご近所づき合い、学校や園での親同士のつながりが、とても希薄になってしまっている印象があります。PTAや地域活動の役員のなすりつけあい、担い手不足は共通の課題になっているようです。

でも、災害時はもちろん、日頃のこどもの急病など、どうしても助けが欲しい状況、地域密着の情報が欲しいときに、つながる「会」のような集まりがないと、切実に困っている現状があります。

わが子の成長を地域のみなさんに一緒に見守って欲しい、という願いは共通でした。色んな年代との関わりの場に、積極的に出かけること、もしそういう機会がないのなら、私たちの手で作って行くことも必要なんだと感じました。

「長田今昔ものがたり」第59話

第59話 機械工業も多いです。 2017年8月26日放送

川崎重工の車両ビルの横にある2台の「こだま」は、地域のほこりです。インドの首相が工場に訪れたりもします。潜水艦を造る「三菱重工」には、かつて和田岬から高取山まで山岳トレーニングをしていた、加藤文太郎さん(「孤高の人」新田次郎著)も働いていました。運河沿いにある「富士通テン」はカーナビで有名ですが、今は自動車の自動運転の開発にトライしてくれています。かつて、戦時中は戦闘機まで造っていた地域です。技術基盤は十分で、国産航空機生産への貢献も期待したいです。新幹線・潜水艦・高速艇・航空機・自動車など、機械工業がある町にわれわれは住んでいます。


59話 2台のこだま

「長田今昔ものがたり」第58話

第58話 隠れた偉人、浜田篤三郎(その3) 2017年8月19日放送

須磨にも住んだ濱田篤三郎、同じ須磨の住人の井上さんのお話は、「篤三郎と大蔵経」です。濵田氏は44歳で事業家を引退、まずは仏教に関心を持ちます。仏教聖典を集大成したものは「大蔵経」と言い、インド発祥のものが漢訳されていました。東京の芝増上寺に保管されていた国宝経典を読む機会を得て、あやまりを修正し、「大蔵経」の出版もします(平成の再出版は全巻で100万円もしました)。濵田氏はキリスト教にも関心を持たれたそうです。宗教の関係で残るものは、須磨寺の「経塚」で、明治39年に寄贈されたものが見られます。濵田氏の、事業の儲けを社会に還元してゆく姿は、そこかしこにあります。


58話 須磨寺の経塚

第5回 街ブラ〜人と街とくらしを探る

今回は、長田区出身の輝く人を紹介します。
長田区の名倉みふね幼稚園で、ストリートダンススクールを開講されている、金子 優さんです。

金子さんに会ったのは、7/17(月) 長田神社とその周辺地域で行われた「夏越ゆかた祭」のイベントです。可愛い幼稚園児のダンスに始まり、小・中・高校生や一般の生徒さんたちが、カッコイイダンスを披露してくれました。

その生徒さんたちを見守る優さんの優しいまなざし!
ラストは金子 優さんのワンマンライブが繰り広げられ、まるで大輪の花が咲いたようでした!!

そんな優さんが、ダンスを始めたきっかけや、長田でダンススクールを開講する思い、これからやってみたいことなど、丁寧にインタビューに答えて下さいました。

自分のやりたい事が見つからない方々の為に、アドバイスもして下さいましたので、お聴き逃しなく!
たくさんの方々に元気を届けるダンサー、金子 優さんの魅力をお伝えできたと思います。

これからも、街ブラは輝くひと・街を応援します。
次回もどうぞお楽しみに~!

「長田今昔ものがたり」第57話

第57話 マッチ工業のおかげです 2017年8月12日放送

マッチは工程も多く、地道に、こつこつの産業です。低コストですから、当初は女性や年少者の労働で、神戸では1877年、監獄でも行われました。1880年に滝川弁三さんが、いまの兵庫区で始められ「日本のマッチ王」と呼ばれるくらい活躍されます。コスト競争のせいで、1920年、西神戸のマッチは衰退します。でも波及効果は多く、ラベルの印刷技術やマッチでの広告技法が定着し、インドや中国、台湾、南米、北米向けに、輸出業も確立できたと考えます。中村マッチは、まだ浜添通6丁目で健在です。北野町の北野工房2階で、昔なつかしいラベルの「防災マッチ」が販売されています。


57話 防災マッチ(ラベルは東洋マッチ)