「今までの番組」カテゴリーアーカイブ

タイの謎!ここが不思議。。。ケットさんとシュウ先生のタイ・バンコクと日本を結ぶ番組

タイの東大=チュラロオンコーン大学

2011年6月3日再放送17日金曜日夜の8時から9時は、「マイペンライサバイサバイ」
タイのバンコクのケットさんと神戸長田のFMYYスタジオのシュウ先生をスカイプで結んでお送りします。
出だしは、ケット先生の、喋りで始まります。先週の分を取り戻すべく、テンポよくおしゃべりが続きます。最初は、チュラロンコーン大学(タイの東大)の説明です。
タイでは東大クラスの格式の大学、文字通りすごい大学です。(写真参照)

タイの東大=チュラロオンコン大学

場所もサイアム、日本でいうと銀座みたいなところです。ケットさんは商学部で教えています。商学部は、女子学生が多いそうです。しかも女装の性的には男性の女子学生(?)もちゃんと学生として勉学に励んでいます。タイでは本当に、この女装の男性が、ショッピングセンターの売り子さんや一般的なタイ社会の中で活動していて、差別的な視線は受ける、、ということは日本に比べ格段に少ないと見受けます。タイのおおらかな文化を感じます。

タイの歌手(パラポル)

しかし、ケットさんは、2ヶ月ほど日本語をしゃべってないはずなのに、非常に流暢な日本語です。(久々の日本語だそうです。)
シュウ先生は思わず「タイ語が上手になりましたね。本当のタイ人みたいです。」とケットさんに賛辞の言葉を送りますが、しかしそれはあまりに上手な日本語話者のケットさんへの錯覚からきた言葉です。
一曲目は、「サクシー」という映画の主題曲「トムユーネチャイ」アコースティックバージョンでした。
今月のテーマは、「ここが変だよタイ国」です。
写真は大阪南港でのタイフェスティバルでシュウ先生憧れのパラポル(歌手)とのツーショット。サインももらえたそうです。

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東日本大震災で全壊した宮城県東北朝鮮初中級学校の尹鐘哲校長をお招きして。

東北朝鮮学校尹鐘哲校長とインヂョルジェ金桂花さん

2011年5月28日土曜日「KOBEながたスクランブル」後半のゲストコーナー「KOBEスクランブル交差点」では3月11日の東日本大震災で全壊した宮城県仙台市太白区にある東北朝鮮初中級学校の校長尹鐘哲(ユン・ヂョンチョル)さんをお招きしてお話をうかがいました。同席していただいたのは、尹校長の朝鮮大学での同窓生金桂花さんです。金さんは、宮城からおいでになった尹校長の被災地神戸の案内人であり、神戸市長田区神楽町にある靴の会社InCHOLSEの方です。この会社はくしくも「阪神教育闘争の地」旧神楽小学校のすぐ西隣にあります。FMYYは周波数77.8メガヘルツ、インターネット放送はサイマルラジオで同時配信しています。またこのコーナーは映像でも配信しています。神戸のときと同じく地域の施設として炊き出しなどを行ない、いろんな壁を超え互いに助け合いながらも、パート3の復旧、復興ということになると外国人には大きな壁が立ちはだかることを語っておられます。この壁を越えるために生まれたFMわぃわぃとしては見過ごすことのできないお話です。たくさんのみなさまにお聞きいただき、ご意見をいただきたいと考えております。
■仙台の朝鮮学校~震災がつなぐ縁

■仙台の朝鮮学校2~震災の中、壁を越えて

■仙台の朝鮮学校3~復興の中、補助金凍結

スタヂオカタリスト松原永基さんがご出演~神戸での経験を踏まえ、被災地のまちづくりについて~

スタヂオカタリスト松原栄基さん

2011年5月28日土曜日12時からの「KOBEながたスクランブル」は、12時台と13時台両方にゲストをお迎えしてのゲストトークがあるため、少し時間を変更しての放送です。
12時台のゲストは長田区駒ヶ林にある「スタヂオカタリストstudio CATALYST 」の松原永基さんをお迎えして地域のまちづくりのお話です。

KOBEながたスクランブル番組風景

神戸の知見を生かした東日本の被災地のまちづくりに対する話も出ました。

まちイキ2011,5,26(木)号

韓国・慶州 朴氏の始祖「新羅王」の稜

(写真は韓国・慶州 朴氏の始祖「新羅王」等の稜の前での朴明子さん)
担当:ユミタンこと平野由美子、心美人ことパク・ミョンジャ(朴明子)
<今日の1曲目>シリーズ・朝鮮半島の童謡「コッパッ 花畑」。
~ピンクの花 黄色い花 咲いたよ トンボもチョウチョウも来るよ。栗の実とろうとして シマリスが落っこちたよ~
<大阪ぐるぐる>は、あっちゃんが休みなので
<ウリエホジュモニうちらのポケット>、ミョンジャの「行ってきましたコーナーその①」に。

講演中のフォトジャーナリスト 伊藤孝司さん

・日本軍「慰安婦」問題について政府に誠実な対応を求める宝塚市議会意見書可決3周年「5・7 映画とおはなしのつどい」ドキュメンタリー映画「アリラン峠を越えて」上映。伊藤孝司監督のお話。
伊藤監督は、フォトジャーナリストとして日本が過去に行った植民地・戦争によって被害を受けたアジアの人々の「過去」と、日本が行なっている国内やアジア諸国での大規模な環境破壊の「現在」を、アジアの民衆の視点からとらえたいとの思いで取材している。
この映画は日本軍に性奴隷され、現在、朝鮮民主主義人民共和国に住むハルモニを主人公にしたもの。伊藤監督は幾つもの峠を越えて入院中の病院を訪ねる。テレビでは放映されることのない素朴な朝鮮の人々の暮らしや、ハルモニの家族が日本人の伊藤さんを温かく迎えてくれる姿など、心が洗われる映像だった。
<今日の2曲目>「慕情」フォー・エイセス
<情報・お知らせ>
①強制連行ネットワーク・全国研究発表会 
②日本人はなぜ知らないのか! 教えられない中国侵略。6月10日18:30~
エル大阪 701号 
③朝鮮人被爆者を考えるシンポ。6月18日 13:00~ クレオ大阪 
④もっと知りたい! 原発とエネルギーと私たちの関係
<3曲目>「ムドム 墓」チャン・サイ
<ウリエホジュモニ>「行ってきましたコーナー その②」

朴家「宗親会」にて

・パク・ミョンジャは韓国・慶尚南道へ父方のいとこたちの集まりに初めて参加した。
朴家「宗親会」は35回目という。日本からは私たちきょうだい、そしていとこの息子の5人。
金浦空港には、以前日本に来たことのある3人が迎えに来ていた。懐かしく再会を喜び合う。
2台の車が真っ先に向かったのは人里離れた先祖の墓。
父の親たちの墓は、貧乏だったからこんな不便な土地だという話を聞いて、便利なところに移せないのかと思ったのだが。
土を盛った饅頭型のお墓の前で、「始めまして、ハラボジ おじい様、ハルモニ おばあ様」。どんな人だったのか想像もつかない先祖に、跪いてクンジョル(大礼)をする。草が顔にこそばゆい。
ホテルへという望みは軽く一蹴され、従弟の家、違う従兄の息子の家などに泊まることになる。
そこはホテルよりも立派な家ではあったがー。どこに行っても歓待を受けた。
私たちは冷や汗をかきながらたどたどしい母国語で応じた。
「宗親会」は場所を借りて、前半はたセレモニーがあった。

「宗親会」の旗

立派な旗や大きな垂れ幕が掛かっている。
家族の紹介、会に貢献のあった人への表彰式、記念撮影があった。
その後、それぞれが準備してきた山のようなご馳走を前に、歌や踊りが披露される。
覚悟はしていたが私も歌わされた。日本の歌でもと言われたがもちろん韓国の歌を歌った。
「朝露」これは広く親しまれているフォークソング。みんな口ずさんでいた。
会場では懐かしい慶尚南道の方言が飛び交い、父や母を想い起させる。
翌日は慶州に行く計画が練られていた。近くで観光をという私たちを、大学の教授をしている従兄の息子は「韓国でもっとも多忙な人間が5人いるが、その1人の私が休暇をとって連れて行くというのに、何で断るのです?」と説き伏せた。
彼にこの宗親会についてインタビューした。要約してみる。
「歴史的にみると新羅建国の朴赫居世王から63代目で、トルリムチャ行列字の「熙」の付く代の人(私たちの代)を中心にした家族の集まり。蜜陽朴氏の一つの分派。こんな機会があると、子どもたちも、日本にも親戚がいるのだと知ることができる。
良い家族が社会の小さな構成単位であれば良い社会をつくり、国の発展を促す。
そんな気持ちでこのような集まりが続いてきたのだと思う」。
翌日、慶州までのかなりの距離を超スピードで車を走らせ、世界文化遺産の「石屈庵」、「仏国寺」などを、彼はプロ並みのガイドで私たちを楽しませてくれた。そしてここは絶対はずせないと行ったのは、朴家の始祖、古代国家新羅の「朴赫居世」王などの稜。
私たちが63代目! なのだ。なーんだか妙な気分。
その後、母方の従兄に会うため釜山に向かった。ここでようやく望みがかなってホテルに泊まれた。従兄が宿泊費を支払ってくれたのだが。
母の妹の息子である従兄には以前にもお世話になっている。物静かなその従兄に、父方の従兄が韓国では父方が優先順位が上だからな、としきりに念を押しているのがおかしかった。
そして日本語が分かると言いながら私たちに「えー、あれはなんと言うのだっけ?」と聞いては怪しげな日本語で話すので食事中笑いが絶えなかった。
最後の日、13年前に訪れた時よりうんとおしゃれになった釜山の街に、お土産を買いに走って半日は過ぎた。私たちの民族は血の繋がりを何よりも大切にしていることを強く感じ、温かな心持になって機上の人となる。さまざまな事情で、この年になるまで韓国の親戚を親しく訪ねることはなかった。離散家族が1000万人もいる朝鮮民族の悲劇がここにも存在する。

形見の指輪

「3つの指輪」 大きいのは、この度、母の妹の息子にもらったもの。 真ん中は今は亡き母の妹にもらったもの。端のは母が故郷に帰った時のみやげ。形見となった。
<今日の4曲目>「アチム イスル 朝露」ヤン・ヒウン楊姫銀。1970年、キン・ミンギ 金敏基 作詞作曲。反体制運動を象徴する歌。
                                                                        朴明子記 

ソウル大学日本研究所「大震災と社会変動研究会」プロジェクトの教授来神!

ソウル大学日本研究所の事前調査隊の教授たち

2011年5月21日土曜日の12時10分から、ソウル大学日本研究所の5人の教授たちがおいでになりました。左から韓栄惠(ハン・ヨンエ)ソウル大学日本研究所所長、趙寛子(チョ・クアンヂャ)同研究所、HK教授、陳泌秀(チン・ピルス)同研究所、HK研究教授、林采成(イム・チェソン)同研究所、HK教授、徐東周(ソ・ドンヂュ)同研究所、HK研究教授、の5人の方がおいでになりました。
ソウル大学日本研究所では、2011年3月11日の東日本大震災の発災をうけ、12名の教授や研究教授が、<大震災と社会変動研究会>というプロジェックトを立ち上げ、研究所をあげて研究調査をされるそうです。

ソウル大学日本研究所「大震災と社会変動研究会」の教授たち

このプロジェクトは、少なくとも5年以上続く予定の長期プロジェックトだということでまずは神戸の震災体験から現地での予備調査が始まりました。
<阪神・淡路大震災10年(柳田邦男編)>や<兵庫県知事の阪神・淡路大震災ー15年の記ー(貝原俊民)>などを読みながら阪神大震災に関する基本知識を勉強され、また、今回の東日本大震災に関する情報も収集しながら、様々な角度からの分析を試みておられます。
今回は21世紀研究機構、人と防災未来センター、神戸市役所、たかとりコミュニティセンターなどをめぐって、公的機関、中間支援組織、市民団体など、いろんな方々にお会いになりました。
今後ともこの連携は続きます。
隣国から見た「震災からどのようなまちづくり、社会づくりが行われるのか」それを放送で順次お伝えいただく予定であります。

神戸婦人大学研究家のみなさんによる創作紙芝居「須磨むかし物語」

創作紙芝居「須磨むかし物語」

2011年5月21日土曜日13時からは、創作紙芝居「須磨むかし物語」を制作された、婦人大学の研究科の4人のご婦人とその紙芝居つくりの講師高田さんのおいでいただきました。写真はその紙芝居の最初の部分です。

婦人大学研究科のみなさま

題材は在原行平、摂津国須磨(現在の神戸市須磨)は、平安時代は流謫の地で、在原業平の兄、行平が流されて住んでいた場所です。
その故実に基づいて創作されたのが、源氏物語の「須磨の巻」、つまり行平は業平と同じく超美男子ということになります。お粥を炊くユキヒラ鍋も須磨での行平からの連想でそういう名前になったという話はあちこちで書かれております。須磨は塩焼きの名所で、平たい土鍋は元来塩焼きの道具なので、須磨=行平で、ユキヒラ鍋になったとか。。

紙芝居の指導をされた東灘区青木南まちづくり協議会高田としさんと共に

池田節子さん、白波瀬多恵子さん、空早苗さん、青木秀子さん、高田としさん
創作活動の楽しさを体いっぱいに表現してくださいました。