今月(6月)のテーマは、「悼む・追悼」です。
このテーマに入る前に〈うた〉はどうして生まれたかを語りかけます。
人類はどうして〈うた〉を歌ったり、朗唱するようになったのか。
これにはさまざまな説があります。男性が女性を、女性が男性を愛する・恋するがために生み出したのが〈うた〉であったり、自然現象を起こしたり制御したりする神・神々といった形而上学的存在を讃える呪詞として呪術者が発語したコトバに節が付けられたとも考えられ、あるいは古代社会では今よりもっと身近であった死に向き合った時に今まで生者であった身内の者に対する愛惜の感情が自然に〈うた〉という形となった……といったものがあります(他の説もある)。
こうした〈うた〉の発生はポリフォニックに同時発生して相互に影響しあったのではないかと唱える研究者もいて、われわれに大きな刺激を与えてくれます。
こうした〈うた〉の発生を考える時、今回のテーマでもある「悼む・追悼」は、大きな要因だと言い得るでしょう。
そこで取り上げたニュースに、小説家・島尾敏雄についての情報があります。
この作家は神戸と奄美に深くかかわったひとで、今年がちょうど生誕100年を迎えることもあって、各地で記念イベントが行われます。一番さかんに展開するのは、20年間を生活した奄美大島でしょう。
番組ではまずその奄美におけるイベントを紹介したのです。
1.島尾敏雄の夫人である島尾ミホ原作の映画「海辺の生と死」の上映〈7月7日。神戸でも元町映画館で近日上映される〉
2.7月8日に、島尾敏雄に関するシンポジウムを開催。沖縄から詩人・川満信一氏らを迎えるなど)。また、10月21日(土)には、神戸文学館において、私・大橋愛由等が企画する〈神戸と奄美を越境する作家・島尾敏雄のトークセッション〉を開催します。
そして「悼む・追悼」として取り上げたのは、来年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」で再び脚光を浴びる事になった西郷隆盛についてです。
西郷は二度奄美に遠島(島流し)されていて、奄美とも深く関係しています。そこで西郷と関係のある奄美の故地(奄美大島、徳之島、沖永良部島)で、顕彰する動きがすでに盛んになっています。西郷については、維新の偉人が奄美にかかわっていたことに感動したり、「敬天愛人」といった西郷の座右の銘は奄美時代に着想されたものだとか、奄美の人びとに対して横柄な態度をきわめる薩摩の役人を叱りとばしたとか、西郷礼賛の素材は多くあります。
しかし西郷は果たして奄美に対してなにをしたのか客観的に考えるべきと主張するひともいます。それは西郷のシマンチュに対する態度とか(遠島された初期に書き記された手紙には、薩摩の人が当時共有していたであろう奄美の人に対する差別意識が見られる)、明治維新となって、自由販売となったはずの奄美の特産品である砂糖に対して、藩政期とおなじ砂糖収奪のありかた(第二次砂糖総買い入れ制 )を続けようとしたりとか、こちらの素材(反西郷)も少なからずあります。これから奄美内外で、西郷評価が議論されたり、話題になることでしょう。
もうひとつ「悼む・追悼」のテーマで、FMわぃわぃのリスナーのみなさんに聴いていただきたい音源を紹介しました。それはつい先日(5月26日)に亡くなった詩人・富哲世氏(1954-2017)による詩の朗読です。13分37秒にわたる長編詩を一気かつ情熱的に吟じたものです。朗読した作品は、スペインの国民的作家といわれるフェデリコ・ガルシア・ロルカ(1989-1936)の「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスヘの追悼歌」。ロルカが敬愛していた名うての闘牛士が闘牛の最中にまさかの事故で死にいたることに対しての追悼作品です。この朗読の紹介は、奄美と直接関係がないのですが、「南の風」のコンテンツは奄美に関する情報と同時に神戸の情報を、奄美を含めたすべてのリスナーのみなさんに伝える番組だと考えていますので、FMわぃわぃのある神戸に「悼む・追悼」を込めた詩の朗読をたくみにする詩人がいたことを、リスナーのみなさんに知ってもらおうと放送したのです。やはり「悼む・追悼」の〈うた〉はひとの心のなかにぐっと迫るタマシイの力がありますね。(ちなみに、この富哲世氏の朗読は、2001年の第4回ロルカ詩祭で朗読されたもの。このロルカ詩祭とは、ロルカ生誕100年の時〈1998年〉から、神戸・三宮のスペイン料理カルメンで開催されている文学イベントです。今年〈2017年〉はちょうど20回目にあたり、カルメンで8月19日〈土〉午後5時から開催されます。第一部はロルカ詩の朗読、第二部はロルカ的世界に身を委ねた詩人たちの自作詩の朗読です。)
(写真は、〈「ロルカ詩祭」で朗読する詩人・富哲世氏〉)こうした「悼む・追悼」に関するテーマに番組の最後に、ひとつの違う角度からの情報を挿入します。それは、奄美群島の「松枯れ被害」についてです。奄美の松はリュウキュウマツ。その松が「松枯れ病」の被害にあって、立ち枯れの木がいたいたしく奄美の山々に点在するまです。島の俳人は〈そそけ立つ枯れ松の骨山眠る 恵ひろと〉と詠みます。しかしこうした松の立ち枯れ=死に対して、違う見解があります。立ち枯れが目立つ山の稜線にある松は、もともと松という樹木の特性として、本来植える場所ではなかったという説です。ではどうして山の稜線に植えるようになったかは、鳥たちが種を運んできて、その場所で生命力が強い松が育ったというのです。しかし松が育つことで、その下地に陽光が差し込まないことになり、本来そこにあるべき樹相が育たないといいます。しかし松が枯れることで、また豊かな奄美の亜熱帯の杜が広がってゆくから、松枯れというのは、新たな樹木の再生を促すという効果を生むのだとの解説を読んだのです。ここで私が言いたいのは、枯れてしまった松を亡くなった人にたとえることのではなく、松の後にあらたなイノチが生まれてくること。つまり枯れは枯れとして終わるのではなく、次の再生というステージが準備されていること。枯れは次の物語(記憶)を生み出すのだということ。つまり「悼む・追悼」とは、悼む行為をするひとたちにとっては自分たちの生の確認儀式なのかもしれない、そしてつぎなる再生へのオマージュかもしれないのでは、とリスナーに語りかけて番組を終了したのです。