「音源ライブラリ「長田今昔物語」」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第37話

第37話 村の集まり「南十八講」 2017年3月25日放送

大正時代の第1次大戦のころ、節約の時期で、東尻池村の村のあつまりの会則も改正されている。なおもお寺が村の会合の中心であり、「南十八講」という、いまの自治会のようなグループで、初午や春や秋のおまつりの予算などが民主的に決められていた。「婦人会」も組織され、予算の割当もある。まんじゅうの提供まで書面化されている。会計が重要で重宝され、当番の交代には一定額のお礼も配慮される。この地域では、1894年ころから工業化が進む。その前提となる道路開拓や池の埋め立てなども、住民により共同で行われた。こういう自治組織の会則も整っており、信頼感のある姿は、今も見習いたい。


37話 大正時代に真野池(現志里池公園)は埋められた

「長田今昔ものがたり」第36話

第36話 八百屋さん登場 2017年3月18日放送

明治時代に話は入っています。明治維新が本格化するのは1885年ころと言われています。村井さんという先輩が調べた資料(1883年)には、東尻池村でも、西尻池村でも数多くの「野菜売り」ができています。また、このころ、わが村が属していた林田村が神戸市と合併(1896年)します。神戸市林田区となります。区会議員のお名前も、末正さん、宗国さん、八尾さん、角野さんとかで親しみがでてきます。1894年から東尻池区域の産業化もカネボウを筆頭に始まります。1900年になると東尻池町とか梅ケ香町(うめがかちょう)とかの町名も今風になってくるのです。


第36話 八百屋(清水光久氏の画)

「長田今昔ものがたり」第35話

第35話 武庫離宮の傘亭(閑話休題) 2017年3月11日放送

須磨離宮公園の前身は、「武庫離宮」、1914年に建てられ天皇家の別荘であった。あずまや「傘亭」は戦災で焼けてしまい、柱だけが残っていた。その後、傘亭復元実行委員会が設けられ、文献資料に基づいて「平成の復元」が行われた。傘亭のある月見台エリアは、平安時代の歌人在原行平(ありはらなりひら)が月見をしたとされ、今も名月を楽しむ人が多い。須磨離宮公園では、園路などが改修され、樹林にも手が入り、月見の松も植えられている。市民が歴史を感じ、自然を楽しめる絶好のスポットとなっている。


第35話 傘亭(井上氏の図面と完成写真)

「長田今昔ものがたり」第34話

第34話 明治維新前夜の村々 2017年3月4日放送

江戸時代後半、人口増に伴い、新田の開発が奨励された。1833年、東尻池村の末正さんは大阪の吉田さんと今の和田山通のあたりで、甲子園球場7~8個分(68石)の新田を開発。いまも「吉田町」という名前が残るし、1894年にはカネボウがあたりに紡績工場をつくることになる。自立した住民がいたことがわかる。西尻池でも庄屋の藻川さんの活躍の記録もある。明治維新のあと、前の領主の鈴木家に以前に貸したお金を堂々と取り立てている。高福寺で寺子屋を開き、漢文を教えた人でもある。寺子屋は東尻池(宝満寺)にもあり、これが1873年には「真野小学校」となってゆく。自立住民のおかげでもある。


34話 西尻池の真野山高福寺

「長田今昔ものがたり」第33話

第33話 隠れた偉人、濱田篤三郎 神戸開港に貢献 2017年2月25日放送

神戸では「濱田篤三郎の名前はよく知られていない、神戸開港に寄与した人物であるのに」と須磨の住人・井上さんは指摘する。濱田氏は1868年の神戸開港と同時に、和歌山から神戸に移住した。元町を拠点に外国人向けの古美術品の販売や雑貨の輸出業を展開した。当時、輸出入は外国商社が主導権をにぎり、日本側は不利だった。外国人を通さずに、日本人が直貿易をするため、居留地にて同業者組合である「丸越組」を1881年に設立した。米英仏などへの販路を築くなど海外貿易の基礎をつくった。「東の渋沢、西の濱田」と言われたという。(神戸新聞2011年12月6日夕刊にて、井上氏などが濱田氏の手記を紹介)


33話 隠れた偉人濱田篤三郎

「長田今昔ものがたり」第32話

第32話 船からの朝鮮、ロシア 2017年2月18日放送

朝鮮半島に入り、当時の中国(明)まで占領しようした秀吉のふるまいは、今も半島では「壬辰倭乱(じんしんわらん)」として語り継がれています。徳川の世になり、朝鮮国と信(よしみ)を通じあうことが大切とし、1811年まで12回にわたり、「朝鮮通信使」が日本にやってきています。400名を越すグループで、海路で寄港する接待も1年前から準備するほどでした。兵庫津にも宿泊しました。港のある町は海洋での国際進出の話も残っています。淡路出身の高田屋嘉兵衛は、北方の海路を開拓、ロシア人とも毅然として交渉し、ロシアの「日本人観」の基礎をつくったのです。


32話 のろしの場所(いまの長田港)駒ヶ林にて