今夜4月28日の韓国・朝鮮語番組「ヨボセヨ」はCチームの担当

韓流女子のための妄想韓国語入門

4月28日のCチームの「ヨボセヨ」は電波ジャック丸尾、アン・ソラ、フランシス大和のそろいぶみです。
そしてこれから20回にわたって、「韓流女子のための妄想韓国語入門」をエピソード1からエピソード20まで、妄想らしいドラマ仕立てでお送りします。お楽しみに!

韓流女子のための妄想韓国語入門

また生放送でこの妄想韓国語入門ドラマに参加したいという方は、FMわぃわぃまでお申し込みください。
隔週の日曜日夜の7時から9時までの「ヨボセヨ」Cチームの生放送に参加できる方!というのが条件です。
FMわぃわぃ問い合わせは、yy778@tcc117.orgまで、ふるってご応募くださいませ。

第4土曜日夜8時からの英語番組「SOUNDWAVES」は「MIXROOTS」が担当です。

今晩のミックスルーツは久々の豪華座談会!日経ブラジル人、在日イラン人、在日コリアン、ミックスルーツ、日本人、様々な背景の6名と活動や日本、今後の活動への思いを話します。

平成20年から現在までのラジオ番組のテープ起こし&レポート作成のためのインターンを募集中です!また、夏の年次イベントやワークショップのお手伝いを探しているので、下記メールまでご連絡下さい!
shakeforward@gmail.com
http://www.mixroots.jp
Tonight’s Mixed Roots Radio is a special feature – six people of various mixed roots come together to discuss their various activities with their own groups, various international organizations, and their aspirations and feelings about the future. Japanese only but transcriptions coming!
We are accepting interns this summer at our Kobe office to transcribe our English radio programme archives from 2008 to present and also to help organize workshops and annual events. Come join us and contact us at shakeforward@gmail.com
http://www.mixroots.jp

13時からのゲストは神戸で生まれて90年「エキストラ珈琲」の小室こゆみ取締社長

放送風景「KOBEながたスクランブル」

「KOBEながたスクランブル」今日4月27日のゲストは、神戸で大正12年創業(1923年)、90年の歴史を誇る老舗のコーヒー会社、エキストラ珈琲株式会社取締役社長、小室こゆみさんをお迎えしました。
最初は、コーヒーの歴史と共に歩んで来たご家族の歴史、四国から神戸という「ハイカラ」に憧れて食品会社に入社、そこからなんと1923年のまだまだ珈琲が一般的でもない時代に、神戸で初めての珈琲豆焙煎問屋として独立されたという初代のおじい様。

エキストラ珈琲

現在は兵庫区西柳原に小売と焙煎工場があるそうです。
地域で神戸の文化ともなっている珈琲の会社の社長となり、いろんな商業活動をされる中で、地元兵庫県立高校のご出身ということで、同窓会武陽会との出会い、そしてFMわぃわぃでの「ゆうかり放送委員会」との出会い、そして須磨の開業医の子息。神戸二中(現兵庫高校)から三高(現京大)、東京帝大に進み、行政マンとなった島田叡さんとの不思議な縁のなかで、沖縄へ遺骨収集に参加された話などいろんな地民活動の中から生まれた「つながり」について話していただきました。
職業人として神戸で生きる人の、その背後には、様々な歴史、つながり、こだわりがあると知りました。
だからこそ人となりを知った方の販売するこのこだわりの豆のブレンド珈琲を、ゆった楽しむと時を持ちたいと思います。
**島田叡は、神戸人である。
沖縄県知事への任命に際し、「自分が行かなければ、誰かが行って死ななければならない」と、大阪に妻子と「断」の文字を残し沖縄に発った。旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)、第三高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法科へ進んだ後、政治家となり昭和20年沖縄最後の知事として赴任。戦後70年近くたった今も、沖縄の人々にその誠実な政治姿勢から慕われる人である。・・・兵庫の人がそれを知らないのは残念至極です。政治家の正しい姿勢は、やはりこの誠実さが一番なのであろう!

春の特番4月16日から5月14日まで毎週火曜日13時から「メッセージソングの現代史」

メッセージソングの現代史2

4月16日から5週連続でお送りする関西学院大学総合政策学部山中速人研究室春の特番
「メッセージソングの現代史」
東京経済大学山田晴通教授をお迎えして、聞き手山中速人、進行金千秋ですお送りします。
2)1960年代:メッセージソングの時代
◆本日の1曲目
「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられた「死んだ男の残したものは」
谷川俊太郎(1931- ) 作詞(1965年)
武満徹(1930-1996) 作曲
林 光(1931-2012) 編曲
高石 友也(1941- )
現在はアルバム『坊や大きくならないで 高石友也フォーク・アルバム第3集』(1969年)のCDにボーナス・トラック収録。高石は1967年の最初のアルバムにも同じ曲を収めている。
武満徹「メッセージソングのように気張って歌わず、『愛染かつら』のような気持ちで歌って欲しい」と初演時の歌手、友竹正則に伝えたという。『愛染かつら』は映画作品名、当時ちょうどテレビドラマで取り上げられていた。
主題曲は「旅の夜風」(1938年、作詞西條八十、作曲万城目正)
霧島昇・松原操
(一)
花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独り行く

反戦歌、プロテストソング、関西フォークといった文脈、最大のスター、「日本ボブ・ディラン」としての岡林信康
「チューリップのアップリケ」、「手紙」、「山谷ブルース」等々

この場合、単に「伝える」のではなく、聞く者に「行動を促す」歌である点が重要!

◆本日の2曲目
岡林信康(1946- )「私たちの望むものは」
バージョン未決定*******

今ある不幸にとどまってはならない!まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!

私たちの望むものは
歌・詞・曲 : 岡林信康
私たちの望むものは、生きる苦しみではなく、
私たちの望むものは、生きる喜びなのだ!

私たちの望むものは、社会のための私ではなく、
私たちの望むものは、私たちのための社会なのだ!

私たちの望むものは、与えられたことではなく
私たちの望むものは、奪いとることなのだ!

私たちの望むものは、あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは、あなたと生きることなのだ!

今ある不幸にとどまってはならない。
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!

私たちの望むものは、くりかえすことではなく
私たちの望むものは、たえず変ってゆくことなのだ!

私たちの望むものは、決して私たちではなく
私たちの望むものは、私でありつづけることなのだ!

今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!

私たちの望むものは<
生きる喜びではなく
私たちの望むものは
生きる苦しみなのだ

私たちの望むものは、あなたと生きることではなく
私たちの望むものは、あなたを殺すことなのだ!

今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ!

私たちの望むものは、、、、、

防災活動実施に向けて

こんばんは[:月:]まだまだ雨季が終わらないインドネシアから近藤です。

今日は防災活動実施に向けて、地元NGOのYakkum Emergency Unit(YEU)に活動内容の相談をしてきました。女性のスタッフが多く、インドネシア内で防災教育や学校での安全管理をメインに活動している団体です。YEUはディザスター・オアシスと呼ばれる、宿泊施設を兼ね備えた防災体験施設を保有しています!(行ってみたい・・・)過去には日本の団体と防災教育指導ハンドブックも作っていて、経験豊富な方々です。そんな防災活動のプロフェッショナルに、私たちの活動計画を話し、アドバイスをたくさん頂きました。

スタッフのRatnaさん(左)とSusiさん(右)

今後私たちの防災活動を進めていく中で、協力していただけるとのことで、強力な助っ人ができました!つながりは大事ですね!!良い活動になるように、これからも頑張ります[:オッケー:]

ミーティング風景

1981年13mの小さなボートで祖国ベトナムを脱出した73人、半分あきらめたところでタンカーに奇跡の救出!

ファム親子と村岡船長

4月20日土曜日12時からの番組「KOBEながたスクランブル」の13時からのコーナーは、じっくりとお話をゲストの方にお伺いする時間です。
今回は1981年日本がやっと難民受け入れの条約を批准した年に、小さな13mの小船に73人が乗り合わせ、祖国ベトナムを脱出した、その中の2人、ファム親子にご出演いただきました。お父さんは、ファム・バン・クーさん、そして息子はファム・フィン・リンさん、小船は3日目にエンジンが停止。
その後は東シナ海で、台風に遭遇。木の葉のように波にもまれ、流され、漂流し、半分沈没状態になったところで、次々とやってくる大きな船に救援を求めました。

ファム親子

やっとこのボートに救援の行動を起こしてくれたのは、なんと7隻目のタンカーアルリアド号。たまたま望遠鏡で周辺の監視をしていたアリリアド号の船長村岡千秋さんが、救出の指令をだしてくれたからでした。
このときのタンカーの乗組員は23人、そこに73人の人間を乗船させる!ということは、地上で生活する人間には考えられないほど、水や食料の事を考えると難しいことだそうです。またこの時代、船で航行する人々の間では、「難民船の漂流」というのは、大きな問題になっていたということは、村岡船長はおっしゃっていました。
つまり救出しても引き受けてくれる港、上陸許可をくれる港がなかなかなかったそうです。このときも日本政府には、まだ批准はしたものの、体制はとれておらず、日本にそのままつれてくることは許されず、フィリピンのマニラに降ろすようにようにという指令が、村岡船長に届き、そこから船長とこの親子は出会うこともなく、名前もよく分からず、30年という時間が経過していたのでした。。。。まるで映画のようなお話!しかし実際にファム親子は「たかとり」での仲間です。
国の中に発言をする自由がない辛さ、そして自分の国から脱出するという決断をすること、死を覚悟して子どもも連れて行動すること、そしてその後の外国人であるために様々な差別や困難と出会い、また神戸では95年の震災も体験しました。
今はこの地域の大きな力となっている1000人近いベトナムをルーツとする人々を阻害するような国であってはならない、社会であってはならない、地域であってはならないと強く思いました。
そしてまた村岡船長の決断!いろんな困難があると分かっていても、人が人を思う判断で、救出したからこそ、今ファム親子も、ここ長田でしっかりと地域住民として、私たちの仲間として活躍しています。その恩をベトナムの人々は、それぞれの家庭の中で語り継ぎ、当時4歳のリン君もまだ見たこともないこの船長と会いたい、、ということで探し出したそうです。(この番組は4月13日土曜日大きな地震があった日に収録したものです。

神戸市長田区から世界の言語で放送しています。