ハリケーンがハイチを襲う

【ポルトープランス5日=日比野純一】ハイチはいま11月5日午前6時です。ハリケーン・トマスがこの国を襲っていて、すごい風雨です。1月の大地震以来、初めてのハリケーンで、被災者100万人が暮らしているテントが心配です。地震から復興できないところに、コレラとハリケーンがハイチを襲うとは。。。
しかし、今回のハリケーンとコレラへの対応策として、地震の後にBHNとAMARCが手がけた支援活動が実を結んでいます。再建されたコミュニティラジオと、被災者が暮らすテント村と集落に設置した域内放送システムが、緊急情報の伝達に大いに役立っていて、住民に情報を伝える術がなく困っていた国際機関や国際NGOも活用しています。

ハリケーン・トマス来襲を前に一昨日、ハイチの大統領はTVで「政府は残念ながら何もできないので、何とか頑張って生き延びてください。ハリケーンが去ったら米国はじめ国際機関が必ず救援に来きます。すでに米国の救護用の艦船も待機しています」といった内容のメッセージを市民に送った、と信頼できる筋から聞きました。事実だとしたら、あまりに正直すぎます。。。

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タイのバス事情を熱く語るゲスト蔭山さん(Puuさん)再登場!

タイ赤バス

2010年11月5日金曜日夜8時からの「マイペンライサバイサバイ」は、ゲストとして蔭山さんが再登場です。
蔭山さんのブログから~詳しくはhttp://kageyan.blogspot.com/2010/10/1.html
赤バスの半分は、日本ではスクラップ工場でさえも引き取りを拒否すると思えるほどボロッちいバスですが、今日も首都の公共交通機関として営業しています。

タイ青バス

地球温暖化防止に向けて、先進諸国では、我が国の「大気汚染防止条例、都市圏ディーゼル車通行禁止」など、自主的に対策を行っていますが、それをあざ笑うかのごとく、黒煙を堂々と吐き出して、バンコクの赤バス、青バス群は今日も元気に営業しています。

タイ北部山岳民族

この少女は、蔭山さんが今年の夏日本語の先生としてボランティアしたタイ国メーホーソン県、クンユアムウイタヤ高校の教え子。

地域の小学校だいち小学校から4人の6年生が「ミニトライやる」にやってきました。

だいち小学校6年生の4人

(写真は最後に放送で「ミニトライやる」の感想を語る緊張の放送2分前です)
2010年11月4日木曜日の「まちはイキイキきらめきタイム」
今日はミキサースタッフの乾さんがお休みのため、「ダンディたぐち」がピンチヒッター。パーソナリティは第1週・第3週・第5週担当の平野由美子です。
本日は朝9時半から午前中一杯、「ミニトライやる」として、地域のだいち小学校の6年生4人がやってきました。
「ミニトライやる」とは、「地域に出かけ地域に学ぶ」を目的に、地域の事業所に出かけ、半日という短い時間ですが、地域の事業所の活動を実際に自分の目で見、お手伝いをして、自分達が「地域の一員」であることを体感するという試みです。

だいち小学校6年生の4人

(写真は、左から平野君、溝脇君、沼本君、為末君です。)
当日は事務所内の朝ミーティングに参加し、まず最初に「FMわぃわぃ」の誕生の話とその目指すところのレクチャーを受けてから、事務所ワークに取り掛かりました。
事務所ワークは基本的なもの、木曜日が古紙回収日でしたので、スタジオ・事務所内のリサイクル用紙をまとめてだし、後はスタジオやロビー、廊下やランドリーの清掃をして貰いました。
トイレとランドリーの前の廊下はピッカピカになりました。ありがとうございました!
私達は掃除当番をそれぞれのグループで交代ごうたいしています。
この日の掃除担当グループ、ひょうごんテックからは、「助かりました」とお伝えくださいという伝言をもらうほど、きれいにして貰いました。

関西学院大学総合政策学部山中ゼミ4年卒業番組~「老後を田舎で暮らしたいと考える人々へ」

関西学院大学4年本田央子さん

2010年11月2日毎週火曜日の「まちはイキイキきらめきタイム」の13時からのコーナーは「関西学院大学総合政策学部」山中速人教授の研究室の色んな学生の番組を放送しています。
現在はゼミの4年生の卒業制作のための番組を放送しています。
第5回目は「老後を田舎で暮らしたいと考える人々へ」と題して本田央子さんが担当しました。
FMわぃわぃの番組は周波数77.8メガヘルツ、インターネットはサイマルラジオで放送しています。
又このコーナーは、関西学院大学のサイトでポッドキャスティングでいるでもお聞きになることができます。

”ピース・ミュージック・フェスタ”10月30日31日辺野古ビーチにて開催!続報

ソウル・フラワー・ユニオン・モノノケサミット

2010年10月30日土曜日ピース・ミュージック・フェスタ”辺野古からのリポート (写真と文は日比野純一からのレポート)
10月30日31日辺野古ビーチにて開催!ピースミュージックフェスタ初日(30日)のトリはモノノケサミットでした。日比野@辺野古

辺野古ビーチ

辺野古ビーチ 向こう側とこちら側 日比野@辺野古

カッチャン</div>
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元コンディショングリーンのヒゲのかっちゃん。30数年前の中野サンプラザのライブ以来!!   日比野@辺野古</p>
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本日はラジオワークショップ~奄美とカトリシズム~FMわぃわぃ「南の風」奄美篇担当大橋愛由等さん

参加者

2010年10月30日辺野古で“ピース・ミュージック・フェスタ2010”が開催されているころ、ここFMわぃわぃの事務所奥のコーナーではラジオワークショップが開催されていました。
今回はFMわぃわぃ「南の風」奄美篇担当大橋愛由等さんのよる~奄美とカトリシズム~です。

日本のカトリック信者率が0.1%であるにもかかわらず、奄美では30%というから驚きです。
これはなにを意味するのか??

かつ世界の少数民族、先住民族はカトリック信者がとても多い、、、ということとも深く繋がるようです。

大橋愛由等さん

大橋さんの告知から抜粋いたしました。
★先日集中豪雨による大きな被害が出た奄美についてです。テーマは、「奄美とカトリシズム」

★奄美という場所はさまざまな局面から語りが可能ですが、今回はカトリシズムという観点に絞って語ります。
(去年は、「薩摩侵攻400年と奄美」というテーマで語りました。
だいたい一年に一回この「FMわぃわぃ・ラジオワークショップ」で〈奄美語り〉をしていこうと思っています)

★奄美を語るのに、カトリックに絞ることの意味は、日本の国内でも、カトリック信者数が多い地域であり、この地域の宗教を語るのに、カトリック信仰抜きでは語りえないということ。
そして、わたし自身のことに引きつけて云えば、奄美を所管するのは、コンベンツァル・フランシスコ修道会(過去なんどか変転があった)であり、わたしが通った小学校もこの修道会が運営しています。

つまり、わたしの幼少期の宗教観を決定したカトリック教会と、奄美の教会がつながっていることの縁(えにし)を
かみしめながら、カトリシズムについて語り得るのではないかということです。

★今回の語りで通底しようと思っているテーマは、しゃべる対象は奄美ですが、どうして特定の地域に、かくもカトリック信仰が根付いているのかを、私なりに分析をすることであることです。
またこの語りは、FMわぃわぃが、カトリックたかとり教会内にあることを意識していることも確かです。
信者のみなさんの前で語ることで、ひとつの共振空間を作っていけたら、と思っています。

—-では語る予定を書いておきます。時間の都合上、すべて語り得ないかもしれませんが——

★「奄美とカトリシズムをめぐる三つのテーマ」
(冒頭)「カトリシズム」の説明と、奄美大島北部は日本有数のカトリック信者の蝟集地であること。
なぜ奄美にカトリシャンが多いのか。–わたしが奄美の地元日刊紙である「南海日日新聞」に紹介した二人(神父と俳人)を介して、紹介していく。

(1)戦前に起こった「奄美カトリック弾圧事件」の紹介—-意外と知られていないのですが、戦前(昭和8年)に奄美市名瀬にあったカナダ系カトリックミッションスクール「大島高等女学校」が、旧日本陸軍、行政、民衆の圧力によって廃校させられる事件が起きている(奄美撤退後、鹿児島市に移転して現在にいたっている)。
プロテスタント系は弾圧の対象とならなかったのだが、ではどうしてカトリックが軍部の標的になったのか。
その経緯について語る。

(2)1942年に京都学派と言われる人たちが中心に行った「近代の超克」座談会は、現在でも思想課題として取り上げられることが多い。
その座談会に、(カトリック)神学者を代表して、吉満義彦が参加している。徳之島・母間集落出身の吉満が、どのような言説を展開して、かつ戦前の日本の思想情況に立ち向かおうとしたのかを語る。

(3)奄美に20年間居住して、ミホ夫人の影響で、カトリックの信者となった小説家・島尾敏雄は、毎晩就寝前に、聖書を読むことを習慣にしていたという。彼の作品の中にキリスト教的要素があるのかないのか、探っていく。
また、島尾がカトリックに対してどのように対峙していったのかも探りたい。

神戸市長田区から世界の言語で放送しています。