A/まず去年のおさらいから。
(1)ユネスコ世界自然登録遺産に奄美の自然は残念ながら登録されませんでした。次の2020年には再度チャレンジすることが決まっています。
(2)NHK大河ドラマ「西郷どん」で奄美が映し出され、それなりに奄美が注目されたのです。
(3)明治維新から150年目だったことを記念して、この「南の風」と南海日日新聞が連動して「奄美から明治150年を問う」シリーズを放送し、連載記事を紙面に反映させたのです。日本列島にはさまざまな「明治150年」があることを知らせたかったのです。
B/そして番組は、2019年版〈奄美ふゆ旅〉について語ります。今年も、1月21日から24日にかけて奄美群島を旅します。今回は小説家の高木敏克さんと一緒に旅に出ます。文学紀行となりそうです。毎回、ことなる出会いがある奄美旅です。今回はどのような旅となるでしょうか。
C/神戸・長田にとって1月は、阪神・淡路大震災が発生した月であり、忘れることができません。そこで震災について書いた大橋の文章(南海日日新聞に掲載されたコラム「つむぎ随想」)を転載することにしましょう。
★つむぎ随筆(2019年1月16日掲載)
◎阪神・淡路大震災 深化する記憶
―詩人・出版社代表
今年もその日が近づいてきた。
1月17日、阪神・淡路大震災が発生した日。何年たっても身心のこわばりから解放されない。
午前5時46分。いきなり襲ってきた本震の20秒の間、なすすべもなく起き上がれないままに、わたしの目の前に長い髪、白い服を着た男性が現れた。極限状態における幻視に違いないのだが、誰だったのだろう。わたしが通った小学校はカトリック系だったので、意識の奥深いところでわたしの心の中に生きていたイエスその人であったのか。いまだその人の正体を特定できずにいる。
わたしが被災したのは、神戸市東灘区。拙宅周辺は昭和30年代に建てられた老朽住宅がほとんどだったので、家屋倒壊率80%以上。すさまじい破壊力だった。
震災から24年。神戸にはまだところどころに更地が残っている。その更地が語りかけてくるものに耳を澄ませば、震災で亡くなった犠牲者たちの声が聞こえてくる。
記憶というのは風化するものではない。深化するものだと思っている。だとすればその記憶を深化させる装置が必要だろう。わたしは廃墟になった街を目の前にして〈神戸にシマウタを!〉となりふり構わず叫んでいた。
奄美のシマウタは、民族の記憶装置だと思っている。藩政時代にシマンチュが受けた苦しみや悲しみ、明治になって島・シマを超えて広がった生活圏で生きることの期待感。シマンチュが刻々と変化していく時代のありように対応するための智慧の一つでもあったろう。何度も歌うことで、そのたびに先祖(ウヤフジ)の受苦を反芻できるのだ。
拙宅周辺は、震災直後に建てられた家屋が解体されて、震災第2世代の家も現れるようになった。時は移ろい、様相が少しずつ変化していくなかで、あの日の晴れ上がった冬青の空を今年も思い起こしている。
(神戸市)
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