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2019年5月18日「奄美専門チャンネル~南の風」平成30年を奄美から見る。その3

日本でただ一つの「奄美専門チャンネル~南の風」は、2019年3月から平成の30年を奄美の視点から振り返るというシリーズです。5月18日はその第3回目、今回は社会・歴史篇です。

挿入曲は♪ジャバラレコードの石原久子さんの歌声です。

奄美専門チャンネル~南の風~さようなら「平成」〈平成時代の奄美30年間を振り返る VOL.02〉

さようなら「平成」〈平成時代の奄美30年間を振り返る VOL.02〉

奄美専門チャンネル「南の風」では、「世(ゆ)替わり」にあわせて、平成時代の奄美はいったいどんな30年間だったのかを、数回にわたって特集したいと思います。今回はその2回目です。
〈語り/01〉プレリュード 奄美の「平成時代」の30年間を考える時、メルクマールとなるのは①2002年=「島唄ブーム」②2005年=奄美が日本に復帰して50年が経過。記念式典が行われる。③2009年=薩摩軍が奄美・琉球に軍事侵攻してちょうど400年にあたる―と言った具合に、2000年代(00年代)に集中していることが特徴です。

今回はその①2002年=「島唄ブーム」について語りましょう。それはつまり〈歌の力〉が奄美のひとたちを変えたのです。
THE BOOMというバンドが歌った「島唄」が全国で150万枚のCD売上げを果たし、この曲のヒットから「島唄ブーム」が始まりました。
「島唄」はもともと奄美に流通していた呼称で、正確には、〈われらシマ(集落)のうた〉という意味です(〈しま〉とは元来、「島」ではなく「集落」を意味します)。それがブーム現象の副作用として、沖縄の民謡を含む沖縄発信の歌謡・POPSを含めた呼称として「島唄」が定着していきます(このことについては奄美でもともと使われていた原義から逸脱したとしても、言葉・概念の拡散現象の中でしはしばおこりうる事象であり客観的にみていきましょう)。

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この島唄ブームを準備するかのように、奄美では大きな地殻変動が起きていました。つまり島唄ブームに前後する形で奄美のシマウタが全国的に知られることになり、それがフィードバックされて、奄美の人たちに、大きな自信をもたらしたのです。それまでは北に鹿児島(薩摩)、南に沖縄(琉球)という文化・経済・軍事強国に挟まれた奄美はなかなか自分たちのアイデンティティを確立しにくかったのです。
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★奄美専門チャンネル「南の風」2019年3月の放送

★奄美専門チャンネル「南の風」2019年3月の放送
もうすぐ「平成」という時代(元号)が終わります。
奄美専門チャンネル「南の風」では、「世(ゆ)替わり」にあわせて、平成時代の奄美はいったいどんな30年間だったのかを、数回にわたって特集したいと思います。

〈語り/01〉奄美に忍び寄る〈戦争〉

2枚の写真は「徳之島・伊仙町犬田布集落にある島では数少ない黒糖製造所。島で収穫されたキビを煮詰めて黒糖を作っているその様子」

平成時代は戦争がなかったという表現があります(その一方で、ひとびとにとって、昭和時代のように〈戦災〉には遭わなかったが、阪神・淡路大震災、東北大震災のように多くの〈天災〉がふりかかった時代だという分析もあります)。
しかし戦争がない時代を平和だというのなら、こと奄美に関しては、平成の最後の年になって、陸上自衛隊があらたに奄美大島にふたつも基地を開設するという事態を、どのように受け止めたらいいのでしょう。☆3月26日に陸上自衛隊は「奄美駐屯地」(奄美市名瀬)、「瀬戸内分屯地」(瀬戸内町)を使用開始すると発表がありました。これは近年緊張が増している東シナ海における中国の活発な動きに軍事上に対応したもので、地対空・地対艦ミサイル部隊、警備部隊の配置となります。(さすがに「地対地」となると中国本土に向けたミサイル配備となるので「自衛」隊の枠組みを超えることになるため、表現を抑えています。しかし現実に配備されているミサイルの性能について

正確にはわかりません)。

☆奄美ではこうした自衛隊のあらたな配置に反対する声も上がっていますが、その声は大きくなく、むしろ地域振興の観点から歓迎する声の方が支配的です。地域振興の観点からすると、自衛隊の基地があらたに配備されてもその地域経済にどれほど寄与するのか、疑問視する分析もあります。自衛隊とはつまり軍事基地ですから、次の戦争事態になったら、奄美は確実に攻撃の対象になることは必須です。それは先の太平洋戦争で旧海軍、旧陸軍の基地が多かった奄美が米軍・連合軍から攻撃を受けており、その被害の大きさは痛いほど経験しているはずです。
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奄美専門チャンネル「南の風」2019年2月の放送

今月の放送は、24回目を迎えた〈奄美ふゆ旅〉(2019.01.21-24)の報告を中心に番組を構成しました。

ゲストに、旅をともにした小説家の高木敏克さん。

①まず高木さんに旅の全体の印象を語ってもらいます。わたし(大橋)は今回沖縄経由で沖永良部島に入ったのですが、高木さんは鹿児島経由でした。20日(日)に小説家・中脇初枝さんの講演を聞くためです。今回の旅は文学紀行の様相を濃くしています。

②21日(月)最初に訪れた沖永良部島では、知名町公民館で、沖永良部島を舞台にした小説『神に守られた島』『神の島のこどもたち』(中脇初枝著)について、わたし、高木氏をふくめた四人で「読書会」を開催したことを報告。戦中、戦後(奄美の日本への復帰運動をふくむ)のエラブ社会の変動をよく記述しているその小説世界を、エラブの側から語り合ったのです。

③22日(火)つづいて訪れた徳之島では、島に住む俳人・亘余世夫さんに島を案内していただき、亀津で句会を開催したのです。俳句をつくるのは初めてという高木さんをふくめて、披講(作品を講評しあうこと)は島の文化を語ることにも言及され、愉しいひとときだったのです。

④23日(水)徳之島から奄美大島に向かう飛行機が故障で欠航となり、急遽、亀徳港から船に乗って奄美大島に向かいます。大島に到着した後、カトリック教会におもむき田端孝之神父に挨拶。その田端神父をまじえて、名瀬で地元新聞記者をまじえて、親睦会をもよおしたのです。

⑤24日(木)旅の最終日、飛行機便の都合で早く帰る高木氏を見送り、わたし詩人の仲川文子さんとランチタイム。奄美で詩について語ることの至福の時間を費やしたのです。

わたしの恒例の〈奄美ふゆ旅〉は人と会う旅です。今回も、一年ぶりに会う各島の友人・知人たちと、親しく語り合いました。しかし24年間の歳月は、島でであうひとの世代交代を実感するに十分なのです。去っていったひとたちの追憶と、追悼文をしたためる立場になってしまっています。

そして、この旅のことも南海日日新聞にまとめていますので、どうぞ読んでください。

★つむぎ随筆(南海日日新聞/2019年2月掲載)

◎語り部としての中脇小説

―大橋愛由等 詩人・出版社代表

ひととひとがつながり、多くの語りと抒情が交わされた。

今回で24回目となる〈奄美ふゆ紀行〉は、奄美の島々をめぐり、人と会い、語り、風土や人情を感受する旅なのである。そして、阪神・淡路大震災がおきた1・17の日に毎年仮死の状態となるわたしは、そこから甦る(黄泉帰る)ための再生に向かう通過儀礼の旅でもあるのだ。

最初に訪れた沖永良部島では、この島の戦中、戦後を舞台にした小説、中脇初枝著『神に守られた島』『神の島のこどもたち』をエラブの人たちと語り合う読書会を知名町公民館で催したのであった。

エラブを描いた小説は一色次郎、干刈あがたといったこの島の血を引く人間が表現した作品はあるが、数は多くない。久しぶりにエラブを舞台にした作品が登場したことになる。 小説といえども、この2書には戦中、戦後のエラブ社会の変動について書かれていることから史実(伝承的事実も含む)を正確に記述することが求められる。わたしが読む限りにおいて、正確に史実を踏まえて表現されていることを評価したい。

通奏低音のように鳴り響く沖縄への米艦船からの艦砲射撃、エラブへの米軍の空襲を逃げ惑いながらも生き抜き、いよいよ次はこの島に米軍が上陸する恐怖におののく毎日。そして島に不時着した特攻機に乗っていた日本兵との会話。

戦後になってからは、大山(知名町)のレーダー基地に駐屯していた米兵と、島民との間にほのぼのとした交流が交わされていた。奄美大島における米軍政府と復帰を希求するシマンチュとのとげとげしい関係とは異次元の世界だった。

この2書から見えてくるものは、〈語り部〉としての中脇作品の立ち位置である。研究書、歴史書では表出されにくい島の人たちの情念が小説という形でリアルに記述・再現され、エラブの歴史を再体験できるテキストとなりうるだろう。

この作家はもともと少年少女を描く巧みさがあり、この2書には何人かの少年少女たちの青春群像がよく表現され、成長物語としても読みうることから、この2書の続編として復帰後にヤマトへの交通や進学が容易になった島の青年たちの動向と情念が表現されるのかどうか注目していきたい。  (神戸市)

奄美専門チャンネル~南の風 2019年1月/まず去年のおさらいから。

A/まず去年のおさらいから。
(1)ユネスコ世界自然登録遺産に奄美の自然は残念ながら登録されませんでした。次の2020年には再度チャレンジすることが決まっています。
(2)NHK大河ドラマ「西郷どん」で奄美が映し出され、それなりに奄美が注目されたのです。
(3)明治維新から150年目だったことを記念して、この「南の風」と南海日日新聞が連動して「奄美から明治150年を問う」シリーズを放送し、連載記事を紙面に反映させたのです。日本列島にはさまざまな「明治150年」があることを知らせたかったのです。



B/そして番組は、2019年版〈奄美ふゆ旅〉について語ります。今年も、1月21日から24日にかけて奄美群島を旅します。今回は小説家の高木敏克さんと一緒に旅に出ます。文学紀行となりそうです。毎回、ことなる出会いがある奄美旅です。今回はどのような旅となるでしょうか。
C/神戸・長田にとって1月は、阪神・淡路大震災が発生した月であり、忘れることができません。そこで震災について書いた大橋の文章(南海日日新聞に掲載されたコラム「つむぎ随想」)を転載することにしましょう。

★つむぎ随筆(2019年1月16日掲載)
◎阪神・淡路大震災 深化する記憶
―詩人・出版社代表
今年もその日が近づいてきた。
1月17日、阪神・淡路大震災が発生した日。何年たっても身心のこわばりから解放されない。
午前5時46分。いきなり襲ってきた本震の20秒の間、なすすべもなく起き上がれないままに、わたしの目の前に長い髪、白い服を着た男性が現れた。極限状態における幻視に違いないのだが、誰だったのだろう。わたしが通った小学校はカトリック系だったので、意識の奥深いところでわたしの心の中に生きていたイエスその人であったのか。いまだその人の正体を特定できずにいる。
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奄美専門チャンネル「南の風」~奄美にとって明治150年を問う第3回~

~奄美のとって明治150年を問う 第3回 9月15日 再放送 10月20日~

2018年7月から〈奄美にとって明治150年を問う〉シリーズを放送しています。

9月放送の第3回目のゲストは、奄美出身者の動向について研究されている中西雄二さん(東海大学文学部講師)です。奄美出身者にとっての近代150年を語ってもらいました。

FMわぃわぃの配信では9月15日土曜日夕方17時から、そしてYoutubeでも録画いたしました。(10月は都合により3回目の再放送を行いました)

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