2019年3月30日第5土曜日は特別バージョンとしてのKIITOとのコラボ「ワンコイン番組」を行います。
神戸スタディーズ#7「港・越境・多文化共生」第2回
「神戸ってどんなまち?」と聞かれて、あなたはなんと答えるでしょうか。
「神戸スタディーズ」は、さまざまに語られる神戸というまちのイメージをあらためて考えるため、多彩な講師を招き、今までにない視点から神戸を考える企画です。#7となる今回は、社会学の視点から、世界に開かれた神戸の「港性」について考えてみます。
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この街で「他者」、「他文化」との出会いはいかなる経験を生んだのか?
そしてその経験から、今現在習うべきこととはなんなのか?
「入国管理法改正」が進む中、職場で、あるいは生活の現場で、「外国人」が観光客ではなく、隣人として共にある状況が、今後ますます増えて行くだろう。それが、我々の今である。
神戸スタディーズ#7では、多文化共生に豊富な経験を有する神戸・長田地区のこれまでと現在について学ぶ。さらに、このローカルな叡智の今日的な意味を再考する上でも、グローバル化が進み、越境し、多文化に関わりながら生活することがより浸透してきた現代において重要な視点となりつつある「トランスナショナリズム」という考え方について学んでみたい。
―芹沢高志(デザイン・クリエイティブセンター神戸 センター長)
◆インターネットラジオ/まち歩き「長田で歩く・聞く・話す」
「ゆるゆる多文化いとをかし」を合言葉にした神戸長田のコミュニティメディア・FMわぃわぃの番組枠を借りた生放送配信とまち歩きを行います。長田の「今」から、都市や国家をめぐる状況にも通じる「港・越境・多文化共生」について想像をめぐらせてみます。
日時:2019年3月30日(土) 11:30-16:00(JR・地下鉄新長田駅にて解散予定)
集合場所:たかとりコミュニティセンター(長田区海運町3-3-8 JR神戸線鷹取駅より徒歩5分)
講師:稲津秀樹(鳥取大学)、金千秋(FMわぃわぃ 総合プロデューサー)
モデレーター:芹沢高志(デザイン・クリエイティブセンター神戸 センター長)
**参加者は締め切りました。が、当日のスタジオ見学やYouTube配信やリスラジ、サイマルラジオでのライブ配信の視聴は可能です。
「ワンコイン番組」カテゴリーアーカイブ
2019年3月23日「ワンコイン番組」
本日のワンコイン番組の参加者は、田村遊さん、佃由晃さん、藤田学さん、ミキサーは平野由美子さん。バックグラウンドも、住んでいるところも関心もそれぞれが違うFMYYで繋がった仲間トークをお聞きください。あなたも一度FMYYの市民の広場「ワンコイン番組」にワンコイン握りしめておいでくださいませ。FMYYはいつでもあなたのおいでをお待ちしています。
2019年3月9日のワンコイン番組~来週16日は再放送です!
3月9日のワンコインの参加者は、蔀より子さん、宮本健一郎Crew、ミキサーは上澤寛文Crew、スイッチャーは金千秋でお送りしました。
始まりの前に、様々なマシーンのテクニカルのトラブルがあり、申し訳ありませんでした。
いやいや生放送がいろんなことが立て続けです。来週16日は再放送対応ですので、ご参加を予定されていた方は、ご容赦くださいませ。
今回は、宮本Crewによる、日台友好歴史探訪旅行記その4最終回でした。
【日台友好歴史探訪旅行記5】
1 1947年2.28事件と白色テロ
1945年8月の日本の敗戦直後の中国は、蒋介石の率いる中華民国が代表する南京政府でしたが、政治的に不安定な台湾、中国、朝鮮では、イデオロギー対立の内戦が始まりました。
これらの地域における今にも続く混乱は、ポツダム宣言受託で、日本が台湾、朝鮮、満州を放棄しましたが、その地をめぐって、我先にと実力行使に突入し、それも東西陣営の代理戦争の様相となっていったことに原因があります。
(いつになっても人間は、戦争を求める生き物なのでしょうか。)
1946年国共内戦、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が戦います。
1947年2月28日、台北で抗議デモに憲兵が発砲、国民党は大陸から軍隊を台湾に派兵し徹底弾圧、史上最長1987年までの戒厳令が始まり、白色テロとなりました。白色とは、政権側による、テロとはテラー、恐怖で支配する意味です。
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2019年3月2日「ワンコイン番組」3.1独立運動、そして311東日本大震災
3月になりました。3月11日は東日本大震災から8年!そして朝鮮半島にとって3月1日はとても大切な日です。
本日の参加者は、今ちゃんこと今井正さんと朴明子さん、ミキサーとスイッチャーは金千秋です。
■今ちゃんのお話は「コピーの力いろいろ」
■朴明子さんのお話は、「三・一独立運動」
日本では知られていませんが、朝鮮半島の人々にとってはとっても大切な日です。
そして日本もこの歴史を知識としてきちんと知り、そしてその思いを受け止める力を持たなければ、これからの多様性のある時代、住みやすいまちづくり、地域づくりをすることができないと思います。
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朝鮮半島が1910年日本に「韓国併合」されたことに抵抗し1919年3月1日、「朝鮮独立万歳」と叫んでデモが行われた。あらゆる層の人達が参加して数万人規模になった。
女性も大勢参加したが、柳寛順という女学生は集会を組織したとして捕まり獄死した。
彼女は韓国のジャンヌ・ダルクといわれる。
後に韓国国内で、女性であるあるがゆえに彼女への評価が低かったのではないか、という声があったため、100周年に当たる2019年の今年、評価が見直されたという。
抗議のデモは全国に広がり2カ月ほど続いたが、日本の官憲などによって数千人の死者を出し鎮圧された。その後はこれほど大規模な抵抗運動はなかったが、朝鮮人は奪われた祖国を取り戻すために、多くの犠牲を出しながらも日本の敗戦まで抵抗し続けた。
いや、解放後も差別と監視のもとで、様々な権利を取り戻すための闘争が今も続いている。
パク・ミョンジャ記
2019年2月23日ワンコイン番組多様な人々の参加です!
2月23日の参加者は左から佃由晃Crew、神戸ソーシャルブリッジFMYYグループのチームリーダー西岡幸子さん、そしてFMYYの定款まで熟読された大井秀人さん、日台友好歴史探訪旅行記その4を引っ提げての宮本健一郎Crew、そして陶芸家田村遊Crew、ミキサーは平野由美子Crewでした。
Youtubeはちょっとした手違いで、最初が切れていますが、ご了承くださいませ。
■神戸ソーシャルブリッジのお二人の報告by西岡さん
神戸ソーシャルブリッジメンバーから大井さんと西岡が参加。YYからの依頼はウェブページのリニューアル案、しかし現状・強み弱み分析の結果、「まずはより多くの人たちにFMわぃわぃの活動を知ってもらうことが必要!」ということで、番組のカテゴリー化と、それをもとに理念や表彰歴などを含めた表裏1枚にまとめたパンフレットを成果物として提案。そして今日、最終版のパンフレットを私たちメンバーも手にし、感動!!これをスタートに、ウェブページの改編にきっと役立つとはず。このプロジェクトを通して、素敵な活動をされているFMわぃわぃと関われたこと、異業種の方とのつながりができたこと、そして、これからも違った形で繋がっていけることが参加した私たちにとっても大きな収穫となり、本当にありがとうございました!
最後に、ソース通の大井さんにメンバーの森下さんから長田ソースの送別プレゼントが!すると、長田ソースの歌というのがあるということで、その曲をワンコイン番組中に流してもらい、神戸ルーツのソース話に花が咲き…意外なところでもつながりを感じることができました。
*神戸ソーシャルブリッジとは神戸市主催の、NPOや地域団体と、企業社員や行政職員など社会貢献活動に関心のある人とをつなぎ、地域社会の課題解決に取り組むプロボノプロジェクトです。
■日台友好歴史探訪旅行記その4
1 芝山巌精神 六氏先生のお墓
台北の見晴らしの良い丘に、芝山公園があります。太極拳や散歩など、憩いの場になっていて、静かな場所ですが、250段の階段を上ると六氏先生のお墓があります。
六氏とは台湾統治の初期に、台湾に渡った6人の学校の先生で、台湾で最初に設立された学校「芝山巌学堂(しざんがんがくどう)」に住み込んで、教育に没頭しました。
しかし、地元の抵抗運動が激しく、標的となり殺されました。
台北は不穏な空気に包まれ、早く逃げるべきと勧められていたのですが、「寸鉄を帯びずして教育に携れば、必ず通じる」「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」と信じ、避難しませんでした。
6人の先生はいずれも若く、一番年下は17歳「平井数馬」で、高等学校卒業後、「自分の力を試したい」として、台湾に渡りました。
2019年2月16日ワンコイン番組 日台友好歴史探訪旅行記 その3
シリーズとなってしまいましたワンコイン番組の連続登場「宮本Crewがいく!日台友好歴史探訪旅行記」その3
日台友好歴史探訪旅行記3
■前回伝えられなかったことから、
欧米列強の侵攻に対抗するため、防衛ラインとして樺太から台湾を設定したことは、前回お話ししましたが、その後、清朝が琉球を日本の国土と認める事件が起こります。
1871年(明治4年)琉球の船が台湾に漂着し、54名が原住民に惨殺される事件が起きました。(牡丹社事件)
副島外務卿は、清に賠償を求めましたが、琉球は清にも日本にも朝貢をしていたので、清は「琉球人は日本人ではないし、台湾は野蛮人の住むところで清と関係ない」と応えました。
ならば、琉球人は日本人と考える西郷従道は、台湾に出兵しても文句はないだろうと、1874年(明治7年)台湾に出兵、イギリスの仲介により清朝は、「台湾出兵は義挙であり、日本人である琉球人が殺されたことは遺憾である」として賠償金50万両を支払いました。これで、琉球は日本となったのです。
西南戦争(明治10年)より前の出来事ですが、この時点で台湾は射程圏に入っていて、日清戦争で勝利した日本が1895年、台湾を得ました。
しかし、そんなことは露とも知らない台湾人は、抵抗します。当然ですね。
実際、当初の台湾統治に大変苦労します。現地部族の風習は、首刈りです。「話せば分かる」と、丸腰で現地に入植した日本人や漢人など、7千人が、被害に遭いました。また、マラリアなどの風土病、衛生面でも困難を極め、後藤新平が台湾長官となってからは、風土病対策、アヘン吸引習慣の暫時解消政策、上下水道の整備等を進めました。
これにより、次第に落ち着いてきた台湾に、八田與一は、1910年台湾総督府の技師となりました。
八田は、上司の浜野弥四郎が進める上下水道事業を通じて、多くのことを学びました。
浜野は、台湾水道の父と呼ばれ、東京や名古屋より先に水道を整備しました。浜野は日本に帰って、神戸市水道課長になって神戸市に水道を引きました。
昔のエリートは、本当に立派で、欧米で最先端の技術を学び、本土より先に台湾で実践しました。
彼らの一人、名前は忘れたのですが、フランスに留学して、あまりにも休まず勉強するのを心配した、大家のマダムが、「少しは休んだら?」と勧めたところ、「私が一日休むと、日本が一日遅れる」と言ったそうです。
今の日本にそんな気概のある人がいるでしょうか
そんなエリート像に加えて、八田與一は、当時、本土の日本人は1等国民、沖縄人は2等国民、台湾人は3等国民といった差別がありましたが、そのようなことにとらわれず、平等に接し、関東大震災で予算の確保が厳しくなったときに、日本人から先に辞めさせたこと。作業員が家族と共に、職務に安心して集中できるよう、社宅や、病院、学校、テニスコートを整備し、それこそ家族同様に接したことが、愛される原因としてあげられ、台湾の教科書にも掲載されています。
そして現代、八田與一像、首切り事件の真相です。八田與一像とお墓です。