「FMわぃわぃ番組情報」カテゴリーアーカイブ
3月31日木曜日3時~4時特別番組「阪神・淡路大震災から生まれた市民活動文化」
3月31日木曜日3時~4時特別番組として災害・防災に関して様々な肩書をお持ちの室崎益輝さんをお招きして「阪神・淡路から生まれた市民活動文化」についてお聞きします。
ご自身のWEBでも ≪大地震の被害想定において、地震火災の被害が過少に見積もられる傾向があり、それが地震火災対策の軽視につながっています。その誤った風潮に風穴を空けるために、今一度過去の震災時の火災被害のデータを読み解き、信頼性のある被害想定手法の確立を図ると共に、効果的な地震火災対策の提案につなげたいと、考えています。≫と書かれています。火災の専門家であるとともに、災害後の復興においていかにその被害に押しつぶされようとしている一人一人に寄り添うのか?制度やまちの設計もどちらの方向を向いて構成されているのか?室崎益輝さんの語る端々に、「人が生きるまち」「人を生かすまち」という思想姿勢を強く感じます。
人が生きているためのまちづくり、それを行きつ戻りつ、立ち止まったり、道に迷ったりしながら、市民活動文化の一つとして21年を走ってきたFMわぃわぃの「場」で語っていただきます。
毎週土曜日夕方5時10分からは「われら学校放送部」の時間
2016年3月26日土曜日毎週の土曜日この時間は高校生たちの制作番組です。
2011年の東日本大震災以後、神戸市立須磨翔風高校の学生たちは、福島県立原町高校の放送部との中継番組を制作しています。
今回は先週と2回に分けて、5年目の福島県南相馬市の原町についてお聞きしています。その2回目です。
われら学校放送部神戸市立須磨翔風高校・原町高校との電話中継1
毎週土曜日17時15分からは、「われら学校放送部」の時間。
そして第3週担当の神戸市立須磨翔風高校は、1月3月8月の年3回は、福島県立原町高校との電話中継をしています。
震災5年の福島県原町の様子を、今回は3月19日と3月26日の2回にわたって放送します。
本日はその前半です。
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今回の放送内容は東日本大震災から満5年ということで、この5年間を原町高校の皆さんと一緒に振り返るというものです。
原町高校の生徒さんの被災体験や、印象に残った出来事、復興の進行具合などの話を通して、福島県の高校生の心境や生活を掘り下げました。
*福島県立原町高等学校は、福島県南相馬市原町区西町にある県立高等学校。
2011年
3月11日 – 東北地方太平洋沖地震により罹災
5月09日 – 相双サテライト校(相馬高等学校)
県北サテライト校(福島西高等学校)での授業開始
10月26日- 相双サテライト校が大木戸校舎へ移転、大木戸校舎での授業再開
2012年3月26日 – 県北サテライト校が大木戸校舎へ移転
地域の中の小高地区は帰還限定地域であり、原ノ町駅には2011年午後3時9分発の「はずだった」特急「スーパーひたち」が駅に停車したままであった。(先日震災5年を経てやっと撤去された)東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で、常磐線は一部区間が津波の被害や原発事故の避難区域となったため、特急を動かすことができず、原ノ町駅に止まったままになった。そしてその後5年間、地域の中の駅には止まったままの特急が存在した!という地域にある高校である。
普通列車もまだ駅に停車したまま、それらの列車は停車したまま放置されていたので、再利用は不可能であるという事である。
20万のSilentリスナーの愛番組「南の風」奄美編
2016年2月22日月曜日奄美と沖縄の音楽と文化「南の風」
本日は1996年から奄美にこだわって放送されてきた大橋愛由等さんの担当です。
毎年1月にこの10年あまり、沖永良部・徳之島・奄美を訪問されてきたその時間の流れの中での変わってきたこと、変わらないことなどなど音楽を挟みながら話されました。
今年はびっくりするような大寒波が奄美を襲いました。雪が降ったのだそうです。そのため神戸から鹿児島への飛行も大幅に遅れ、また乱気流の天候のため沖永良部→徳之島のフェリーも欠航。都会の電車の遅れとは違う島々の交通が天候に如何に左右されるかというお話を聞きました。
再放送は今週の金曜日2時からです。ぜひお聴き下さい。
毎週金曜日はハロー長田の時間です♪~~
毎週金曜日13時からは「ハロー長田」のコーナーです。今週は第5週で、神戸市立長田公民館の毎年のフェスティバル「ひと・まち出会いフェスティバル」のお知らせをしていただきました。
チラシの右肩にあるキャラクターは「マナビ―」というそうです。生涯教育ということを表しているそうです。
本日のご担当は神戸市教育委員会 社会教育部 神戸市立長田公民館 指導主事 川村和也さんでした。今年度から公民館のご担当で、実は小学校の先生だそうです。地域の人々が生涯教育の場として活用される公民館の職員としての経験は、また小学校に戻られた時、地域の拠点とのもいえる小学校をいかに活用するか!ここでの多様な人々との出会いで花開くことと思います。