「YY音源ライブラリ」カテゴリーアーカイブ

「長田今昔ものがたり」第11話

第11話 菅原道真さんの道をたどる 2016年9月24日放送

901年に大宰府に左遷された、道真さん、梅の香りに誘われ、東尻池に寄っています。お話では、灘あたりで、船をつないでいます。苅藻川近辺で、船をおり、網代車でやってきたのでしょう。その後、板宿での臨時の「板の宿」、京都から飛んできた「飛松」の逸話もあります。須磨の前だけでお茶(菅の井)をいただき、綱敷天神では、漁師と綱に腰をかけ歓談しています。明石には友人が出迎えます。こまかく旅の跡が名所として残っている方はそうありませんよ。

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11話 匂の梅の祠(移転します)

「長田今昔ものがたり」第10話

第10話 神戸の橋、長田の橋(閑話休題) 2016年9月17日放送

新湊川大橋の北に「北所橋(きたんじょばし)」、南に「南所橋(なんじょばし)」があります。兵庫区まで足をのばすと「大輪田橋」、戦災も震災も記憶しています。兵庫運河には、くるりと回って船を通らせた「和田旋回橋」、船が来ると跳ねあがった「高松橋」を見ることができます。万葉集にでてくる「真野の継橋」は、今は尻池のお寺で保存されています。真野の入江でぬれぬように、つないだ継橋で、昔の和歌にもよまれています。室内にある「三六橋」を「さいろくばし」と読める人は少ないでしょう。条里制の名残の命名です。

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10話 大輪田橋

「長田今昔ものがたり」第9話

第9話 空海さんは2度やってきた 2016年9月10日放送

空海さんの最初の金剛峯寺は、いまの長田区と兵庫区の境の和田山近辺にあったと言っても、つくり話と思うでしょうね。宝満寺(現在は東尻池町2丁目)がそれなのです。空海さんは再度山にも唐に行く前と唐から戻ってきたときの2度のぼったとされています。大輪田の泊りは、中国へ出港する重要な港でしたが、物流拠点の役割も果たしたことでしょう。唐から持って帰った密教の経典や仏具など、高野山で金剛峯寺を開くまで、港に近い宝満山「金剛峯寺」で保管しておいたと推理しています。

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9話 今の宝満寺

9月10日土曜日の1コイン番組はお米パーティー!

今日9月10日の1コイン番組は、ごはんに一押しのおかずを食べるラジオ番組です。ご飯は、8月6日7日の大国公園での野田北夏祭りであたった特賞一等新潟こしひかり10キロを炊きました。(もちろん10キロ全部を炊いたわけではないので今後もこの食するラジオパーティは継続する予定)みんなでおいしいラジオ放送しました。
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お米はピッカピカ!炊き方が良いのかめちゃくちゃ美味しいご飯が炊けました。rice2 並んだおかずは30種類以上。なかでもおからを韓国風に炊いたのは絶品。FMYYの李玉順理事の午前4時の手作り日本・韓国融合在日のおかずです。rice3 この1コイン番組の後の1時30分~の「YYキッズラジオ」の子どもパーソナリティたちも中々な食通でした。rice4 それぞれのセレクトも一人一人のこだわりがあり、フ~~ンなるほどと思えるものがありました。rice5この生放送はいつものたかとりコミュニティセンターの2階FMYYのLivestudioではなく、1階のコミュニティホールでの実況生中継。 rice6中庭も地域の道沿いからも眺めることのできる気持ちの良いスペース。これぞTHE COMMUNITYという場所です。 rice7集う人々は元FMYY放送スタッフ、地元住民、年齢様々、職種も様々、放送の「場」であるとともに、地域の交流の場として存在するカトリックたかとり教会NPO法人たかとりコミュニティセンター「ゆるゆる多文化いとをかし」の想いは、95年の震災から今もなお引き続きFMYYの声にのせてあなたのもとに飛んでいきます。

「長田今昔ものがたり」第8話

第8話 万葉の碑 2016年9月3日放送

「玉藻刈る――」の万葉集・柿本人麻呂の和歌から、わが「苅藻川」は名づけられています。東尻池街園に高市黒人の万葉の碑があります。「真野」とか「白菅の榛原」という古い地名もでてきます。町名にも、苅藻・真野・菅原という地名が残っています。黒人さんの和歌は、「真野の湿原の榛の木を折って、染め物が好きな家内のおみやげにし、早く奈良に帰ろうよ」という心やさしい歌です。宮廷歌人が訪れたわが町、気持ちは万葉の時期から変わっていませんね。

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8話 万葉の碑(高市黒人)

「長田今昔ものがたり」第7話

第7話 Win-Win 大輪田の泊はどこだ 2016年8月27日放送

西神戸にとっては、西からの海路は重要、古代から「港」はたくさんありました。「大輪田の泊」も清盛の時代には和田岬を通り、今の「大輪田橋」あたり(D地点)で落ち着きます。(泊り)港の候補としては、神功皇后が船をつけた伝説がある「長良(ながら)の浜」(A地点)、古代に、玄蕃(通関)があったとあれる「駒ヶ林の浜」(B地点)や苅藻川の河口、船所という字名も残るC地点も古い書物に乗っています。ABCDの各地点とも、船での航行の時代ではバス停のように、どれも港機能(Win-Win)だったと思いましょう。

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7話 長田港(駒ヶ林)