2019年1月26日の「らの会わぃわぃbyネットワーク長田」


石倉泰三さんの話しの中で「1.17KOBEに灯りをinながた」会場に毎年来られる様々な方々。
☆彡珈琲の炊き出しのお手伝い(毎年)
静岡からの毎年おいでです。一度大きな病気をなさったそうです。
☆彡本部テントに置かれていたスイトピー(毎年)
札幌のプー横丁からのプレゼント。被災地障がい者センター繋がり。
☆彡一七市拡大版と「1.17KOBEに灯りをinながた」のおいでの方。(毎年)
関市の方で、95年の震災ボランティアからのお繋がり。
☆彡エキストラ珈琲
社長とは兵庫県立兵庫高校繋がり。

シリーズ 多様性のある街/長田を考える「世界の街角で多様性について考える旅」その1

長田今昔物語~千夜一夜が130夜で終了。131夜132夜133夜は、その振り返りをプロジェクトMのお二人がお送りしています。
それに呼応して、毎週の土曜日関西学院大学総合政策学部山中速人研究室の時間では、山中速人教授がシリーズ番組として「多様性のある街/長田を考える」と題しまして、世界的な見地から、「多様性とは?」「多様性に満ちた街としての長田」それを世界の4つの街の視点から眺めます。その第1回目は、ザンジバル(アフリカ・タンザニア)で考えた加害/被害を越える道。

最近は簡単に「多様性のあるまちつくり」とか「多文化共生社会」と言葉にします。しかしながらそう簡単にいくものではない事は、世界の現状をみればすぐわかります。
それを創り上がるためには、人が生きてきた歴史の中で試行し、思考し、施行していかなくてはならない。。。その道すじをみつけるために、番組では4つの街の様々からたどります。まず最初はアフリカ「ザンジバルで(タンザニア)で考えた加害/被害の歴史を考える道」です。
結論は見えません!が、考え続ける必要はあるとFMYYは考えます。
みなさんも、山中教授と世界の街角で考えてみませんか?ご案内はFMYY金千秋です。

神戸市立須磨翔風高校~はばたけ!翔風タイム1月

2019年1月19日第3土曜日4時半から5時は、われら学校放送部「神戸市立須磨翔風高校~はばたけ!翔風タイム」です。
今回はFMYYのスタジオからライブ配信。
阪神・淡路大震災から始まったレスキューロボットの社会実装!その研究に携わってきた近畿大学理工学部機械工学科准教授でFMYYの理事でもある大坪義一氏に、高校生たちが質問しました。


須磨翔風の放送部は、歴代2011年の東日本大震災の被災地の高校生、福島県立原町高校の放送部と交流番組を制作してきました。

その一環として、現在東電の原子力発電所事故の処理のため廃炉計画の中の大きな部分を占めるレスキューロボットについて専門家である大坪理事に高校生らしい質問をしました。
この番組を通じて高校生からの率直な感想が来週届けられる予定です。みなさまもどんな風に感じられたかお知らせくださるとうれしいです。

2019年1月17日木曜日~24年目の「1.17KOBEに灯りをinながた」会場の公開収録番組1

1999年9月21日発災「921大地震」の被災地から来神戸!
パート1 お聞きした内容
「紙経堂ぺーパードーム新故郷見学園」を中心とした自然と共存する復興の形
【出演者】
●廖嘉展氏
財団法人新故郷文教基金代表・社団法人大埔里観光発展協会代表
●江大樹氏
国立曁南国際大学副学長
●陳亮全氏 元台湾大学教授・通訳もしていただきました。

パート2_1 お聞きした内容
2018年のインドネシアでの被災地で活躍したラジオ。日本の災害ラジオのシステムの研修と見学、その目的
【出演者】
●Mr.Imam Prakoso(イマム・プラコソ氏)
世界コミュニティラジオ放送連盟(AMARC)アジア太平洋地域前副代表
●Mr.Sinam Sutarno(シナム・スタルノ氏)
インドネシアコミュニティラジオ協会(JRKI)会長 現AMARC AP副代表
●Mr. Mario Birowo(マリオ・アントン氏)
アトマジャヤ大学ジョグジャカルタ コミュニケーション学部教員

パート2_2 お聞きした内容
インドネシアで実際に活用されているバックパックラジオについて。
【出演者】
・瀬戸義章氏
BHNテレコム支援協議会 バックパックラジオプロジェクトオフィサー

パート3 お聞きした内容
FMYYの毎週水曜日19時~20時配信の「Latina」について、その意味と役割
【出演者】
・大城ロクサナ氏
ひょうごラテンコミュニティ代表・FMYY理事
・山内リリ氏
ひょうごラテンコミュニティスタッフ

長田今昔物語~千夜一夜物語 その最初から130夜までの番組を振り返って。132夜

長田今昔物語千夜一夜全130話を振り返り、番組提供者で長田に在住の宮川清と信子が、その思いを語りました。

【132夜 振り返りのその2】
その中で忘れてはならない事件の一つに「阪神教育闘争」があります。日本が戦争に破れ解放された在日朝鮮人たちが、いざ祖国に帰ろうと思っても、日本で生まれ育った人たちが祖国の言葉を理解できないことに気づき、朝鮮語の教育熱が高まりました。ところが、民主化路線から方向転換を始めたGHQは、朝鮮人学校を閉鎖し日本の学校への編入を指示しました。1948年4月に、これを強行しようとする体制側と在日朝鮮人との間で、特に大阪と兵庫で激しい争いが起こり、警官の発砲で一人犠牲者が出るまでの事件になりました。

神戸市長田区から世界の言語で放送しています。