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奄美専門チャンネル「南の風」2019年5月の放送

★奄美専門チャンネル「南の風」2019年5月の放送

さようなら「平成」〈平成時代の奄美30年間を振り返る VOL.03〉

奄美専門チャンネル「南の風」では、「世(ゆ)替わり」にあわせて、平成時代の奄美はいったいどんな30年間だったのかを、数回にわたって特集したいと思います。今回は3回目です。平成30年間の奄美における社会・環境をめぐる変化について語ります。写真は大橋撮影。徳之島伊仙町犬田布集落にある小規模「製糖工場」。積み上がったキビを手際よく煮詰めていく工程が見学できる(最近の奄美のキビ農家は大型製糖工場に収穫したキビを搬入するだけの原料提供者となっている。かつては各農家で刈り取ったキビを絞り煮詰めて黒糖にして木樽に詰めるまでの作業を行っていた)

〈語り/01〉今回の最初の語りは、〈争いから離れて〉をテーマにしましょう。平成時代がまさに終わろうとしている4月19日。保岡興治元衆議院議員(鹿児島一区)が死去しました。この保岡興治氏と徳田虎雄氏は、奄美選挙区で激しい選挙戦を展開しその様相は「安徳戦争」とも呼ばれていたのです。
奄美の衆議院議員選挙は1953年に日本へ復帰して特例として設けられた当時全国で唯一の一人区でした(奄美以外は複数の議員が当選していた)。この衆議院議員選挙で過去何度か、激しい選挙戦を繰り返してきました。
1983年と1986年の衆議院選挙では、現職の保岡氏に対して、徳洲会の徳田虎雄氏が挑戦。いずれも僅差で現職が勝利します。しかし徳田氏はあきらめません。つづく1990年になって今度は徳田氏が三度目の挑戦で当選したのです。この「安徳戦争」は1993年の全国的な選挙区の区割り変更で、二人が別の選挙区(鹿児島一区=保岡氏、同二区=徳田氏)に分かれて立候補したのでこの二人による熾烈な選挙戦はなくなりました。この「戦争」と言われた時期は、二人の衆議院選挙だけに終わらず奄美群島の首長選挙をはじめ市・町・村議会議員選挙も巻き込み、シマを二分したのです。その対立は親子、夫婦、兄弟、親戚間でも両派に分かれて、争うなど激しい人間模様が展開されたのです。今ではかつての対立がウソのように静かな選挙戦が行われています。そしてかつての「戦争」の当事者の一人である保岡氏が亡くなったことで、ひとつの時代が終焉しことを実感するのです。
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2019年5月18日「奄美専門チャンネル~南の風」平成30年を奄美から見る。その3

日本でただ一つの「奄美専門チャンネル~南の風」は、2019年3月から平成の30年を奄美の視点から振り返るというシリーズです。5月18日はその第3回目、今回は社会・歴史篇です。

挿入曲は♪ジャバラレコードの石原久子さんの歌声です。

2019年5月18日「ワンコイン番組」今日は神戸の全区で区民フェスティバル。


本日の参加者は、今井正こといまちゃんとミキサー・スイッチャーは金千秋です。
最初に今ちゃんから今日の区民祭りの日の住吉駅での募金活動の話は、

あしなが育英基金「あしなが学生基金」

のことでした。あしなが育英基金は、時代の趨勢というべき交通事故遺児の支援から始まり、親の自殺、病死そして災害遺児という現代社会を映し出している被害者となった子どもたちへの教育支援金制度としてその形を時代に合わせてきた、「被害者が作り、庶民・若者が育てているともいえる育英資金制度」です。

2曲目挿入曲は♪アフリカbyヤタニドットコム~アフリカ遺児支援までにその視野を広げている育英会に敬意を表して。
そして今ちゃんの「五月晴れのように晴れ晴れと」
1曲目挿入曲は♪SAMASAMA~フィリピン・マニラのストリートチルドレンへの支援のためのCDから。
タガログ語の「SAMASAMA」は「一緒に、ご同様」という意味のようです。
そしてマレーシア語インドネシア語での「SAMASAMA」は「どういたしまして!」という意味。この「どういたしまして」という意味だそうです。
日本のこの素晴らしい言葉「ありがとう」に対してのお返しの言葉「どういたしまして」を広げていきたいと二人でお話しました。
**来週も12時から「ワンコイン番組」をしています。ワンコイン握って、あなたもぜひお越しくださいませ。

2019年5月11日「ワンコイン番組」ゴールデンウィークって??

本日の参加者は六甲道からJRでやってきた蔀より子さんと自転車の金千秋、名古屋から高速バスで駆けつけているミキサーの上澤寛文です。

最近の交通事故の多さや5月9日の朝の地震。地震情報の手に入れ方やスマホやパソコンを使わない人にとっては、「地震があった」とはわかるものの、その後の情報のとりにくさがかえって大きなストレスになること。
これは情報弱者と言われる、なんらかの視覚・聴覚などのなんらかの障がいのある人、または外国人にとって同じ状況が生まれます。
また「ゴールデンウィーク」映画業界から生まれたというこの言葉は、本当に誰もが休日を謳歌できるのか??サービス業界に身を置くもの、また介護業界に身を置くものは、休むことはできない、反対に休みだからこそ忙しいということが生まれます。
みなさんは、いかがお考えですか?

즐거운 잔소리 시간<오늘방송 한국 가곡>

한국 가곡에 대해서, 겐 미레이와 다키자와 선생님이 들려줍니다. 일본에는 가곡은 있는 것인가? 에 붙어도 두사람이 이야기합니다.

지금까지 즐거운잔소리시간에는 한국의옛가요와 인기가요에대해서 말씀드렸습니다.
오늘 이시간에는 한국의가곡에대해서 말씀드릴까합니다. 일본에도가곡이있습니다. 일본의가곡은 주로 어린이들이 부르는 동요와 같이 계절과 자연을 나타낸 가곡들이 있으리라는 생각이 듭니다. 한국의가곡은1910년대에는창가(唱歌) 라고불러졌지만 홍난파씨가 만드신 「봉선화」1920대부터는 가곡이라고불리게되었고 이때부터 많은가곡들이 만들어졌습니다.

1930년대에는 윤해영씨가 만든시(詩) 「선구자」를 조두남씨가 곡을 붙여만든것이「 선구자」라는 가곡입니다.  1933년 이은상씨가 만든 「가고파내고향남쪽바다」 시(詩)를 김동진씨가 곡을 붙여 「가고파」라는 가곡을 만들어습니다.
이때부터 서정적인가곡이나타나기시작했지요.
1940년대 김성태씨의 「동심초」 라는가곡도 서정적인선율에 산뜻한 악상을 추구하고 있습니다.
또 1967년에 발표된「비목(碑木)」은 한명희씨의「비목(碑木)」이라는시(詩)에 곡을붙여 만든것이「비목」이라는 가곡 입니다.
작사자인 한명희씨가1964년,군근무때 비무장지대를 순찰하던중,
조선전쟁 때 숨진 어느 무명 용사의 무덤인 듯 옆에는 녹슨 철모가 딩굴고 있었고,무덤 머리의 십자가 「비목(碑木) 」은 썩어금방이라도 무너질 듯 보였다고합니다.
이것을 본 한명희씨는 이내 「비목(碑木)」이라는시(詩)를 만들었고 지인인장일남씨가 곡을붙여「 비목」이라는 가곡이탄생되었습니다.

[프로그램를 조금 동영상으로 소개합니다.]
가곡이란 그나라 민족정서와예술성이 짙게밴 고유의 성악곡이라고도 말합니다. 한국의가곡은 모국어로된 시(詩)를 노래말로 한다는 점에서 세계적으로 몇안되는 희귀한전통 입니다.
무엇보다 한국가곡은 단순한 음악장르의 차원을넘어 민족의노래로서 그시대의 희노애락(善怒哀楽)을 같이해왔습니다. 이번즐거운잔소리시간에 이야기를나눈가곡 「가고파」 「선구자」 「비목」은 한국의 국민가곡 처럼 인식되고 있기도 합니다.