「ミャンマー軍事クーデターニュースに泣いているあなたへお手紙」
2月1日朝8時ころ、ぼんやりテレビを見ていた。そこに臨時ニュース。
ミャンマーでの軍クーデター、事実上の政府トップ、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相らが拘束されたとの臨時ニュース。
ミャンマー、行ったことのない国、でもさっすがの長田、
市場には、ミャンマーカレーteteがある。
ミャンマーレストラン、ニシャゴンさんのとこで、水かけ祭の地域ミャンマー人たちに遭遇したこともある。
「世界の言葉で長田から(^^♪)」FMYYにいると、あの人確かJICAミャンマー駐在だったよなぁ~~聞いてみようか?と思い浮かぶ。
そういえばこの前JICA関西の研修でミャンマーテレビ局人が来ていたやん。
テレビをみながら、顔の浮かぶあの人この人に連絡しようかなぁと思いつつ、日常の仕事に紛れてしまった。
翌日は124年ぶりの2月2日の節分、バタバタと在宅ワークの中、近くの韓国料理屋に電話してキムパを確保。これで2021年の厄は、切れたと夕食にいただいた。
そんな時ふたばで知り合ったミャンマーの女の子からのLINE。
「キムさん、テレビ見た?私こわい。でもなんもできない」
LINEの向こうに、不安な気持ちに、つぶされそうになっている女の子がいた。
「なんもできない!なんもできない!」
いや、そんなことはない、なんかできるはず、なんかしたい、、、に、私の心が変わるのに、あんまり時間はかからなかった。
そこでFMYYの仲間たちにグループLINEで「ミャンマー軍事クーデターに対して、なんかFMYYとしてできることしたい!」と問いかけた。
急な私の招集にも関わらす、多分それぞれの家で、それぞれの家族と共に、「節分の時間」時間をすごしていながらも、私のオロオロする気持ちを受け止めてくれた。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災から、一人ひとりのそれぞれの哀しみに、寄り添い、最後の一人の涙が乾くまで、最後のひとりが「このまちで生きていく、このまちで幸せになる」と戻ってくるまで、FMYYは長田区海運町から一人ひとりのあなたへ発信している。
そんなFMYYとして、泣いている女の子の心に寄り添う、一番似合う形で、できることが見つかった。
「その子からのエピソード入れて、千秋さんのおもい、手紙みたいなメッセージとして書いてみたらええんちゃうかなぁ」
私のオロオロする気持ちが、すっとおちついた。
長い長い前置きでした。
ここからは2021年震災26年目のFMYYの仲間と共に歩んできた、私、金千秋と震災復興で繋がった「だち」からの
「ミャンマー軍事クーデターニュースに泣いているあなたへお手紙」です。
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